私が敬愛する俳優、役所広司が2023年の「第76回カンヌ国際映画祭」で「最優秀男優賞」を受賞して、その公開が待ち遠しかった表題作。
自然な流れでアドリブも行ったと言う、主演の役所広司の秀逸な演技はもちろんのこと、映像が繊細で美しく、時折流れるBGMも心に沁みて、見終わった後に何とも言えぬ余韻があり、多幸感に包まれる作品。
ドイツ人監督ヴィム・ヴェンダースWim Wendersの演出による、日本を舞台とした、全編日本語による本作。「第96回米国アカデミー賞国際長編部門日本代表」にも選出されている。
期待に違わぬ良作であった。
私なりに一言で本作を表現するなら、「足るを知ることの大切さ」だろうか？
よく言われるように、「(人生における)幸い」は自分の“外”にあるのではなく、自分の“内”にある。
自分が幸せであるか否かを決めるのは、結局、自分自身であると。たとえ過去にどんな経緯(いきさつ)があり、幾ばくかの哀しみを抱えていようとも。
そして、ひとりの人間がその人なりに懸命に生きた人生は、どれも掛け値なしに尊いものだと。
(個人的には「日常を疎かにするな」との戒めにも受け取れて😅。)
本作は、ひとりの人間の普遍的な幸福な生き様を描いて、自らの人生に今ひとつ価値を見出せない多くの人々にとって、「福音の物語」とも言えるのではないか。
主人公、平山は愚直を絵に描いたような男である。
職業はトイレ清掃員。
東京スカイツリーにほど近い下町にある、年季の入ったメゾネットタイプのボロアパートで1人暮らす。
毎朝、近所の老婆が箒で道を掃く音で目を覚まし、まず布団を畳んで部屋の隅に置くと、階下の台所の流しで洗顔・歯磨きをして、口髭を整えたあと、2階に戻り、作業着に着替えて、コツコツと拾い集めて育てている植物に水を遣る、と言った一連のルーティンを終えると、これまた年季の入った軽ワゴンの自家用車で清掃現場へと赴く。
仕事帰りにはいつもの銭湯で汗を流し、行きつけの一杯飲み屋で安酒をあおり、たまに贅沢をして美人で唄の上手いママの店に行く。
家に帰れば布団に寝そべり、部屋を暗くして電気スタンドの灯りだけで、古本屋で手に入れた100円文庫本を読み耽る。
判で押したような、そんな平山の日常を、本作はドキュメンタリータッチで描く。
しかし、変わり映えしないかに見える平山の日常にも、時折さざなみが立ち、そこで平山と言う人間の意外な過去や人間臭さが垣間見えるのである。
まず目を引くのは、平山が担当するトイレのデザインである。
「日本財団」が「THE TOKYO
TOILET」と銘打ったプロジェクトで、公共トイレのイメージを刷新すべく、世界で活躍する16人のクリエイターに依頼してリノベーションした渋谷区の17のトイレは個性豊かで、ひとつとして同じものはない。
自分で拵えた掃除道具も駆使して、そのひとつひとつを丁寧に、丹念に平山は清掃する。
そんな平山の姿には心惹かれるものがある。どんな職種であれ、どんな現場であれ、そこで真摯に、懸命に働く人の姿は颯爽として清々しい。
その姿は人となりを反映したもので、様々な属性を超越して人々を魅了するものなのかもしれない。否、人々には当たり前にその誠実さを認める感性を持ち合わせて欲しい。真摯に何かに取り組む人を、「クソ真面目なのは滑稽だ」と嗤う風潮は、醜悪以外の何ものでもないと思うから。
平山とは真逆の人間として登場するのが、柄本時生演じる、タカシと言う青年である。何に対しても軽薄で無責任な姿勢は傍目にも腹立たしく、その当然の帰結として思い通りに行かない自分の人生をひたすら愚痴る様は哀れですらある。
そのタカシの上滑りな饒舌さとは対照的に、平山は全編を通じて口数が少ない。それだけに平山が発する言葉には注意深く耳を傾けたくなるし、その佇まいさえ無言で何かを伝えているように見え、いっときも目が離せない。
加えて平山が、仕事の合間や昼食休憩時に空を見上げ、風にそよぐ木々の葉を写真に収める姿がまた印象的だ。
そんな平山を優しく包み込むように、柔らかな木漏れ日が降り注ぐ…
自然な流れでアドリブも行ったと言う、主演の役所広司の秀逸な演技はもちろんのこと、映像が繊細で美しく、時折流れるBGMも心に沁みて、見終わった後に何とも言えぬ余韻があり、多幸感に包まれる作品。
私も主人公の平山のように、日々の暮らしの中で、ささやかな喜びや楽しみを見出す達人になりたいものだと思う。
随所に過去の日本映画へのオマージュも感じられ、脇を固めるキャストもさりげなく豪華で、本作が世界87か国で公開されるのは、日本人として嬉しく、誇らしい限り。
オススメです。
(了)
