はなこのアンテナ@無知の知

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山陰旅行(4)―追記1~城下町は和菓子がおいしい

2006年08月28日 | 山陰旅行(2006年夏)
金沢がそうですが、城下町は茶の湯文化の発達で、
和菓子がおいしい
と相場が決まっています。
松江も然り。松江藩中興の名君として名高く、
あの「しじみしぐれ」の元となった料理の考案者、
七代目藩主松平治郷公は号を不昧(ふまい)と称され、
茶道不昧流の始祖でもありました。
不昧公は茶事に数多くのお菓子を用い、
「茶事十二ケ月」の中に、その記録が残っているそうです。


松江の老舗和菓子店・彩雲堂の若草 
無粋な皿でゴメンナサイm(_ _)m


写真の「若草」は、
1~4月の茶席で好んで用いられたお菓子らしく、
確かにその色彩は春の若草を思わせる鮮やかさです。
菓子名「若草」の由来は、治郷公が詠まれた歌

曇るぞよ 雨ふらぬうちに
   摘みてむ
栂尾山の 春の若草

から命名された由。
食感はモチモチとして、ゼリー菓子のようでもあります。
求肥(ギュウヒ)*の一種らしい。
*求肥:白玉粉を蒸し、或いは水と合わせて熱を加え、
これに白砂糖と水飴を加え、練り固めたもの。
求肥飴、求肥糖、牛皮とも言う。
中国・唐伝来のお菓子で、元の名称「牛皮」の忌み言葉として、
日本では「求肥」という漢字が当てられた。


明治時代に一時途絶えたこのお菓子を、
当時の古老や茶人からの言い伝えを聞いて、
彩雲堂先代店主が復活させたものが、
現在では城下町松江を代表する和菓子となっているようです。

興味深いのは、今や季節を問わず供されている為か、
春の若草を表わすお菓子の緑は、
季節ごとに少しずつ色彩に変化を持たせているそう

そういう繊細な作り手の気遣いが、いかにも和菓子らしくて、
好感が持てます。

甘みは強めですが、お茶請けにはピッタリかな♪


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