はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

ダ・ヴィンチ・コード

2006年05月29日 | 映画(2005-06年公開)


土曜日に家族で見て来ました。
既にご覧になった方の感想をブログ等で拝見する限り、
原作を読まないことには理解し難いとあったので、
私は原作を読んでからと思っていたのですが…

やっぱりジェットコースターな展開で、肝心の?謎解きの
部分はあまり理解できなかった、というのが正直なところ。
それは夫も、息子(←の場合、当然か!『ナイロビの蜂』でさえ
理解できないとボヤいていたのだから)
も同じ。

謎解きモノなので、ひとつひとつのエピソードが
どう繋がって行くのかが重要ですが、
とにかく展開が早いので、ひとつひとつを自分の脳内で
反芻し、自分なりに咀嚼して結びつける余裕がない。
おそらく原作を読んだ方も、舞台となった場所を映像で
確認する面白さはあっても、
原作で味わったような、一歩一歩真実へと近付いて行く、
謎解きならではのワクワク感はなかったのでは
ないでしょうか?
まっ長編小説の映画化では仕方のないことなんですけどね。
細部を楽しむ、という小説の楽しさを映像で表現するのは、
娯楽映画の名手ロン・ハワード監督を以てしても至難の技で
あったことでしょう。



物語そのものについて少し感じたことを。
映画の最後に「すべてフィクションであり、実在の団体とは
一切関係ない」というような断り書きを添えるくらいなら、
実在する団体の名前を使うことはなかったのにと思う。
確かに思わせぶりで人騒がせな内容だけど、
これを真に受けて騒いだりしたら作者の術中に嵌ったも同然。
実際ハマッてしまった国、組織は数知れず。ボイコット運動
を起こすほどの内容でもなかったと思うのですが…
不信心者(一応学生時代に通算5年間教会に通い洗礼も受け
ました。今は離れていますが息子がミッション系の学校に
通うなど、細々とは繋がっています)
だから言えることなのか?
逆にマスコミ報道やブログを見る限り、意外にも個人は
(クリスチャンであるか否かには関係なく)
冷静に受け止めているように見受けられるのが面白い。

結局、内容は映画のクライマックスでトム・ハンクス演じる
ラングドンに語らせた言葉からも判るように、作者は物語に
あくまでも神の下(もと)の権威を振りかざす組織への
皮肉を込めたのであって、信仰そのものを否定しているわけ
ではないようです。
やはり神の国は自分の内に存在する、
ということでなのしょうか?
信仰とは神と個人との1対1の関係なのであると。

原作を読んだら、また改めて感想を書いてみたいと思います。

ところで最近気になる配給会社の宣伝戦略と作品自体との
ビミョーなズレ。この映画の宣伝コピーにも違和感が。

「ダ・ヴィンチは、その微笑みに何を仕組んだのか」って?
これにつられて見に行った純粋な映画ファン
(原作を未読という意味で)は、たぶん「?」だと思う。


写真は”レオナルド・ダ・ヴィンチ”という名の薔薇です。
友人の家の庭で撮影。


また、昨晩TBSの世界遺産はダ・ヴィンチの作品を巡る
特別ヴァージョンとも言うべき内容でしたが、
最後のヴィンチ村の映像をバックにした解説で、
「両親の愛情に守られながら…」という下りに、
またまた疑問符が。私が本や資料を読んだ限りでは、
ダ・ヴィンチは父親の名前は明らかになってはいても、
私生児として生まれ(母親は中東から連れて来られた
下女という説も)、孤独な少年時代を過ごした、とあります。
確かにヴィンチ村が彼を育んだ側面は否めませんが、
けっして愛情に恵まれていたわけではなかった。
それが彼の人格形成に及ぼした影響は計り知れないはずで、
世界遺産の解説には「あれれ?」と思ったわけです。
それとも最新の学説に基づいたものなのかな?
【蛇足】イタリア語のdaは英語のfromに相当する前置詞で、
定冠詞ではありません。だからレオナルド・ダ・ヴィンチは
ヴィンチ(村)出身のレオナルド、ということになります。
「そんなの常識!」と言われたら、ハイそれまでよ


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