おそらくさまざまな利権が絡んで、この国では実現不可能だとは思うけれど、これだけ自然災害が多いと敢えて声を大にして言いたくなる。
災害大国である日本では、平野部に、免震装置を備えた堅牢な鉄筋鉄骨コンクリート造の公営賃貸集合住宅を建て、そこに国民を居住させることが、国民の命や資産を守ることになるのではないか?
少なくとも人口の集中する都市部(地方でも人口密集地)ではそうすべきだと思う(そうすると情緒もへったくれもないけれど、国民の命と生活を守ることを最優先するならば、そうするしかないと思う)。
せめて、仮にそのような住宅に住みたいと言う国民の声が今後出た場合、それに応える天災対応公営住宅があっても良いと思う。
今回広島で起きた大規模土砂災害では、マンションの最上階に避難して助かった市民も少なくないようだ。今朝のNHKのニュースでは、専門家から、こうした「垂直避難」を推奨する発言もあった。逆に「異変<異臭・異音・振動>に気付いてから、戸建て住宅から車、或いは徒歩で避難する猶予はなかった」との、被災者からの声も多い。
さらに、こうした災害で住宅が全壊・半壊した場合、持ち家の市民は、既に抱えている住宅ローンに建て替え・補修費用のローンが加わって、命は助かっても二重ローンを抱えるケースが多い。これでは子どもの教育資金、自身の老後資金等、人生設計を大きく変更せざるを得なくなる。しかも、戸建ては費用の工面さえできればOKだが、分譲マンションとなると区分所有という複雑な権利関係で、補修も建て替えも、必要な住民の合意が得られず難航するケースが多い。まさに"持ち家リスク"である。
だからこそ、ある程度の資産を持った富裕層はともかく、大多数の庶民には公営の良質な賃貸集合住宅の供給が必要だと思う。因みに我が家は都市部でマンション住まいだが、もし公営で良質な集合住宅があれば、分譲マンションなど購入しなかっただろう。
場所にもよると思うが、バブル以降の分譲マンションなど購入して20年で、資産価値は購入時の半額どころか三分の一以下である。マンション購入費用(我が家の場合、頭金、住宅ローン、ローン利子合計で、おそらく6,000万円近く?)の一部でも生活費に充てられたなら、いったいどれほど余裕のある生活が送れたことだろう?
仕事を求めて地方から都市に人が流れるのは、世界的な傾向である。日本も例外ではない。しかも日本は高度経済成長期以降、国策として国民に持ち家を推奨し、住宅建築を促進させて来た。
約1万点の部品で作られる自動車と並んで、住宅建築は住宅産業はもちろんのこと、住宅取得に伴う家電製品、家具の買い換え等、他産業への経済波及効果が高い。庶民が組む住宅ローンも銀行等の金融機関をさぞや潤わせたことだろう。経済の活性化にはお金の循環が必須である。国民は自家用車を買い、自宅を買うことで、日本経済の発展に大きく貢献して来たと言える。
しかし、ただでさえ狭い国土で、住宅建設に適した平野部は限られている。そこでデベロッパーは山間部を切り開き、宅地造成して、無理矢理住宅地を拡大させて行った。特に新たな土地の取得を必要とする地方出身者の戸建て志向(もしかしたら、それは植え付けられた戸建て"幻想"なのかもしれない。戸建て住宅所有は、そもそも土地に余裕のある田舎の発想ではないか?)もあって、住宅地は元は山だった郊外へとどんどん広がって行った。それが、近年目に見えて増えている集中豪雨による、住宅地の土砂災害のリスク増大に繋がっている。
いくら災害で多くの人々が甚大な被害に遭い、不幸に見舞われようとも、さまざまな利権が複雑に絡んだこの国では、私のような考えが採用されることはないのだろう。人々の資産所有欲も消えることはなく、容易に予想されるリスクには敢えて目を瞑って、家を買ってしまうのかもしれない。
今後も相次ぐであろう大災害に、果たして「日本の国力」は、国民は、どこまで耐えられるのだろう?
近年は世界的な異常気象(森林伐採や先進国を中心としたCO2排出が原因とされる"温暖化"のせいなのか、或いは「地球の歴史」と言う長いスパンで考えて、今が偶々"気候変動期"に当たっているのか…)で、各地で干ばつや集中豪雨で大きな被害が出ている。また、海水温の上昇により台風(サイクロン、ハリケーン、タイフーン)の勢力も年々拡大傾向にある。
日本も例外でなく、特に山間部での集中豪雨による大規模土砂災害や竜巻災害が、相次いで起きている。つい最近も広島市内で、集中豪雨による大規模な土砂災害が起きて、現時点で90人近い死者・行方不明者が出ている。
夏休みにSGTで地方から訪れる児童生徒の話を聞いても、彼らの殆どが、夏休み期間中に自分の住む地域で集中豪雨を経験し、何らかの被害を受けている。日本のどこに住んでいようと、災害に無縁ではいられない。
さらに"天災"と言う大枠で考えるならば、この20年の間に、阪神・淡路大震災(1995年、死者・行方不明者6,437人)、新潟県中越地震(2004,死者68人)、新潟県中越沖地震(2007年、死者15人)、岩手・宮城内陸地震(2008年、死者・行方不明者23人)、そして、2011年の東日本大震災(死者・行方不明者19,000人以上)と、二桁以上の死者を出した地震だけでも4回起きている。1人でも死者が出た地震となると、実に15回も発生している。
地震年表を見れば、日本が世界でも類を見ない地震発生国であることは一目瞭然である。因みに過去の記事を調べて見ると、2007年時点の記述で「ここ10年間に世界で発生したマグニチュード6.0以上の地震の20%が日本で発生している」
これだけ日本各地で災害が相次いでいるのに、自分だけは大丈夫とはとても言えない。「いつ何が起きるか分からない」「いつ何が起きても不思議ではない」と言う覚悟を持って、一日一日を大切に生きるしかないのかもしれない。
【追記:2014.09.16】
私が当記事を書いてから3週間後に、土砂災害と宅地開発との関連について、以下のような記事がタブロイド紙に掲載されました。
環境社会学者でもある嘉田前滋賀県知事へのインタビュー記事ですが、政権批判の論調はともかく、日本が他の先進国と比較して、
「国民の生命軽視(=土地持ち階層優遇)の宅地開発を戦後一貫して続けて来たこと」、
さらに
「自然災害リスクの周知徹底が未だ不十分であること」
が、専門家の視点から明確に述べられています。
「嘉田前滋賀県知事が告発『広島土砂災害は自民政権の人災』」(日刊ゲンダイ)
災害大国である日本では、平野部に、免震装置を備えた堅牢な鉄筋鉄骨コンクリート造の公営賃貸集合住宅を建て、そこに国民を居住させることが、国民の命や資産を守ることになるのではないか?
少なくとも人口の集中する都市部(地方でも人口密集地)ではそうすべきだと思う(そうすると情緒もへったくれもないけれど、国民の命と生活を守ることを最優先するならば、そうするしかないと思う)。
せめて、仮にそのような住宅に住みたいと言う国民の声が今後出た場合、それに応える天災対応公営住宅があっても良いと思う。
今回広島で起きた大規模土砂災害では、マンションの最上階に避難して助かった市民も少なくないようだ。今朝のNHKのニュースでは、専門家から、こうした「垂直避難」を推奨する発言もあった。逆に「異変<異臭・異音・振動>に気付いてから、戸建て住宅から車、或いは徒歩で避難する猶予はなかった」との、被災者からの声も多い。
さらに、こうした災害で住宅が全壊・半壊した場合、持ち家の市民は、既に抱えている住宅ローンに建て替え・補修費用のローンが加わって、命は助かっても二重ローンを抱えるケースが多い。これでは子どもの教育資金、自身の老後資金等、人生設計を大きく変更せざるを得なくなる。しかも、戸建ては費用の工面さえできればOKだが、分譲マンションとなると区分所有という複雑な権利関係で、補修も建て替えも、必要な住民の合意が得られず難航するケースが多い。まさに"持ち家リスク"である。
だからこそ、ある程度の資産を持った富裕層はともかく、大多数の庶民には公営の良質な賃貸集合住宅の供給が必要だと思う。因みに我が家は都市部でマンション住まいだが、もし公営で良質な集合住宅があれば、分譲マンションなど購入しなかっただろう。
場所にもよると思うが、バブル以降の分譲マンションなど購入して20年で、資産価値は購入時の半額どころか三分の一以下である。マンション購入費用(我が家の場合、頭金、住宅ローン、ローン利子合計で、おそらく6,000万円近く?)の一部でも生活費に充てられたなら、いったいどれほど余裕のある生活が送れたことだろう?
仕事を求めて地方から都市に人が流れるのは、世界的な傾向である。日本も例外ではない。しかも日本は高度経済成長期以降、国策として国民に持ち家を推奨し、住宅建築を促進させて来た。
約1万点の部品で作られる自動車と並んで、住宅建築は住宅産業はもちろんのこと、住宅取得に伴う家電製品、家具の買い換え等、他産業への経済波及効果が高い。庶民が組む住宅ローンも銀行等の金融機関をさぞや潤わせたことだろう。経済の活性化にはお金の循環が必須である。国民は自家用車を買い、自宅を買うことで、日本経済の発展に大きく貢献して来たと言える。
しかし、ただでさえ狭い国土で、住宅建設に適した平野部は限られている。そこでデベロッパーは山間部を切り開き、宅地造成して、無理矢理住宅地を拡大させて行った。特に新たな土地の取得を必要とする地方出身者の戸建て志向(もしかしたら、それは植え付けられた戸建て"幻想"なのかもしれない。戸建て住宅所有は、そもそも土地に余裕のある田舎の発想ではないか?)もあって、住宅地は元は山だった郊外へとどんどん広がって行った。それが、近年目に見えて増えている集中豪雨による、住宅地の土砂災害のリスク増大に繋がっている。
いくら災害で多くの人々が甚大な被害に遭い、不幸に見舞われようとも、さまざまな利権が複雑に絡んだこの国では、私のような考えが採用されることはないのだろう。人々の資産所有欲も消えることはなく、容易に予想されるリスクには敢えて目を瞑って、家を買ってしまうのかもしれない。
今後も相次ぐであろう大災害に、果たして「日本の国力」は、国民は、どこまで耐えられるのだろう?
近年は世界的な異常気象(森林伐採や先進国を中心としたCO2排出が原因とされる"温暖化"のせいなのか、或いは「地球の歴史」と言う長いスパンで考えて、今が偶々"気候変動期"に当たっているのか…)で、各地で干ばつや集中豪雨で大きな被害が出ている。また、海水温の上昇により台風(サイクロン、ハリケーン、タイフーン)の勢力も年々拡大傾向にある。
日本も例外でなく、特に山間部での集中豪雨による大規模土砂災害や竜巻災害が、相次いで起きている。つい最近も広島市内で、集中豪雨による大規模な土砂災害が起きて、現時点で90人近い死者・行方不明者が出ている。
夏休みにSGTで地方から訪れる児童生徒の話を聞いても、彼らの殆どが、夏休み期間中に自分の住む地域で集中豪雨を経験し、何らかの被害を受けている。日本のどこに住んでいようと、災害に無縁ではいられない。
さらに"天災"と言う大枠で考えるならば、この20年の間に、阪神・淡路大震災(1995年、死者・行方不明者6,437人)、新潟県中越地震(2004,死者68人)、新潟県中越沖地震(2007年、死者15人)、岩手・宮城内陸地震(2008年、死者・行方不明者23人)、そして、2011年の東日本大震災(死者・行方不明者19,000人以上)と、二桁以上の死者を出した地震だけでも4回起きている。1人でも死者が出た地震となると、実に15回も発生している。
地震年表を見れば、日本が世界でも類を見ない地震発生国であることは一目瞭然である。因みに過去の記事を調べて見ると、2007年時点の記述で「ここ10年間に世界で発生したマグニチュード6.0以上の地震の20%が日本で発生している」
これだけ日本各地で災害が相次いでいるのに、自分だけは大丈夫とはとても言えない。「いつ何が起きるか分からない」「いつ何が起きても不思議ではない」と言う覚悟を持って、一日一日を大切に生きるしかないのかもしれない。
【追記:2014.09.16】
私が当記事を書いてから3週間後に、土砂災害と宅地開発との関連について、以下のような記事がタブロイド紙に掲載されました。
環境社会学者でもある嘉田前滋賀県知事へのインタビュー記事ですが、政権批判の論調はともかく、日本が他の先進国と比較して、
「国民の生命軽視(=土地持ち階層優遇)の宅地開発を戦後一貫して続けて来たこと」、
さらに
「自然災害リスクの周知徹底が未だ不十分であること」
が、専門家の視点から明確に述べられています。
「嘉田前滋賀県知事が告発『広島土砂災害は自民政権の人災』」(日刊ゲンダイ)