はなこのアンテナ@無知の知

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日本も普通の国になったと実感すること

2022年07月02日 | はなこ的考察―良いこと探し
海外赴任を終えて帰国した時、息子はまだ3歳半でした。幼稚園を途中入園するわけにも行かず、知り合いもいない土地で新生活を始めるにあたってまず買い求めたのはママチャリでした。

B社製の中級品で価格は3万円弱。ほぼ毎日使用して、子どもを乗せる必要がなくなった後も使い続けて、15年は持ったでしょうか?

さすがに最後の2年は構造躯体に錆びが出ました。その自転車は日本の工場で製造されたものでした。

その後、再びB社製の3万5,000円位の自転車を買いました。ワインレッドの色合いが素敵な自転車でした。しかし、この自転車は前の自転車ほど使用頻度は高くなかったはずなのに、タイヤの劣化が早くタイヤ交換のスパンが短いだけでなく、構造躯体の錆びも早く発生しました。

この頃には一部高級車を除き、大半の普及車クラスの自転車は、中国の工場で製造されるようになっていたのでした。

B社に限らず、工業製品の多くがコモディティ化で価格競争力を失い、製造コスト圧縮の為に、多くの企業が生産拠点を中国や東南アジアに移していました。

それに伴い、「価格が手頃で高品質の日本社製品」は殆どなくなってしまったようです。

「安かろう、悪かろう」「高品質を求めるなら高価格」と、価格相応の品質の商品が増えました。

電化製品は「日本製」を謳っていても、組み立てだけが日本で、部品は殆ど海外製のものが増え、心なしか故障する率も高くなったような…また、「日本製」のタグが付いた服も、作り手は東南アジアからの出稼ぎ労働者だったりします。

日本もすっかり「普通の国」になってしまいました。

日本は技術者の不断の努力で技術革新を推し進め、「ものづくり立国」として経済発展を遂げたはずなのに、その根幹である技術やそれを生み出す技術者を蔑ろにした結果、新技術が従来のようには生まれなくなったどころか海外へ流出し、「技術先進国」の看板を下ろさざるを得なくなったのかもしれません。

そして、観光産業のようなサービス業に注力している。しかし今回のコロナ禍で、外的要因によってその動向がいとも簡単に左右されてしまう不安定さ、脆さが顕になりました。

日本はかつての貧しく、欧米の下請け工場だった頃に逆戻りしつつあるのか…「ものづくり立国、日本」の復活はあり得ないのでしょうか?


日本の工業製品は、そのことごとくが世界で価格競争に敗れ、一部素材メーカーがその技術開発力で未だ世界で存在感を示してはいるものの、「完成品」で国際競争力があるのは今や自動車くらいなものです。

その自動車ですら、基本的にハコに燃料電池を積めば走れるEV車が主流の時代になれば異業種参入が増え、既存のメーカーの優位性はなくなります。

携帯電話がフィーチャーフォンのような機器の性能より、搭載するソフトの性能次第で利用価値が高まるスマートフォンの時代に移ったように、今や自動車産業でも、ハードウエアよりもソフトウエアで勝負する時代へと移り変わりつつあります。

これを象徴するのが、AIを活用した自動運転技術の開発競争や、魅力的なコンテンツ開発に優れたソニーと自動車メーカーホンダの連携ですね。

自動車もいよいよ「スマートカー」の時代に突入したようです。

しかし、それにしても、この30年間に自動車産業に匹敵、もしくは取って代わるような新たな産業を生み出せなかったこの国の体たらくは、何が原因なのでしょう?

個人的に思うのは、50年100年というスパンで国家のヴィジョンを打ち出せるリーダーが、政界・官僚機構・経済界・学術界の全てに不在なのが1番の問題なのでは?

そして、そもそも各分野でリーダーとなるべき人材が、特に戦後教育で育たなかったのは、穿った見方をすれば、戦後同盟国として長らく歩調を合わせ来た米国の影響も(が?)あったのではないか?

具体的には、戦前から世界の盟主を自負していた米国に極東アジアの小国日本が逆らったことで、その怒りを買い、日本は太平洋戦争で米国に原爆を投下される(米国が欧州諸国に対して、そこまでするでしょうか?)まで徹底的に叩きのめされ、戦後も国の法律の根幹である憲法の草案まで与えられる等、半植民地化されたことと関係があるのではないか?

つまり、日本が米国の実質的な植民地として機能する程度の人材教育のレベルは保つようにはするが、米国に逆らうような強国化は望んでいないので、敢えて強力なリーダーシップを備えたエリートの教育は日本の文教政策から排除するよう、暗に仕向けているように見えなくもないのです。

その意味では、政権与党がほぼ一貫して特定の政党なのは、米国にとって都合が良いのでしょうね

占領政策の一環で実施された米留制度も、日本のエリート層に親米派を作るのが1番の目的であったはずです。そのエリート層が各分野で後に中核となって戦後の日本を作り上げて来たのだから、米国にけっして逆らえない半植民地的な日本の現在の在り方が出来上がったのは当然のことかと。

そういえば、米国株が下がれば日本株もほぼ間違いなく下がる、日本株の自律性の無さも気になるところ。

日本がエネルギー資源のない小国ゆえに海外進出に活路を求めたのが運のつきだったのか、大国に目を付けられ、戦後も頭を抑え込まれ、「生かして、殺さず」状態が延々と続いているようにも見えます。

また、「愛国心」って何かと右翼思想と結びつけて考えられがちですが、先の戦争のトラウマでそれをひたすら忌避した結果が、国民全体の国防意識の低さに繋がり、例えば国の法整備を遅らせ、“技術や技術者の海外流出”や“外国人による日本の水源地を含めた不動産の買い漁り”を招いているような気がします。

何も軍備を増強するだけが、国を愛し、守ることではないはずです。国力を維持するには、「法律」で国の資産を守ることと、「教育」と言う国民への投資を欠かさないことも大事だと考えます。

それから“武器を持たない戦争”とも言われる「外交」で、他国と強かに渡り合うこと。小国だからこそ、知恵を絞る必要がありますね。

その何れもが、今の日本では重要視されていないのが、おかしいと感じています。

日本の政治家は、日本をどんな国にしたいのでしょうか?彼らは何の為に政治家になったのでしょうか?






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