寝台特急に新型客車(24系など)の整備が進むと それまで急行に使用していた旧型客車の置き換えに 余剰となった20系が順
次投入され 「だいせん」も20系に衣替えしました。
1982年06月00日撮影 福知山線 生瀬~武田尾 DD51 777 706レ だいせん
当時「だいせん」の大阪到着は7時前と早く 朝此処に差し掛かるのは6時前だったので 夜明が早くなるのを待って 出かけたの
を覚えています 夏至の頃が一番いいのですが その頃は梅雨の最中なので 梅雨に入る前の晴れの日に出かけました 今の様
にデジタルなら感度を上げて写せるので苦労はないのですが この時も日の出が早いと言っても 山の陰で日は当たらず 少し
靄っていたので ISO400のフィルムを使用しましたが シャッター速度を上げられず 霧が晴れて早く明るくなる事だけを願ってい
ました。
1982年06月00日撮影 福知山線 宝塚~生瀬 DD51 706レ だいせん
武庫川渓谷を抜けた列車は 生瀬を過ぎると武庫川を渡り 間もなく宝塚に到着です 宝塚で降りる人も多いのでしょう カーテン
の開いた窓から 乗客の姿が見えます。
画面の左奥に「ウヰルキンソン炭酸」の工場が見えます 「バヤリスオレンジ」でも有名でしたが 明治の頃から「ウヰルキンソン
ソーダー」を作っていました。
その後アサヒ飲料に合併されましたが やがて工場も閉鎖され 今ではマンションに代わってしまいました 赤く塗られた柱に白い
壁 黒い屋根の洋風の建物も 保存運動が有った様ですが取り壊され 複線電化された鉄橋や 国道の拡幅工事の陸橋が出来
此処から見る景色もすっかり変わってしまい 古い鉄橋の橋脚も撤去され 変わらないのは 手前の水道橋だけになってしまいまし
た。
次投入され 「だいせん」も20系に衣替えしました。
1982年06月00日撮影 福知山線 生瀬~武田尾 DD51 777 706レ だいせん
当時「だいせん」の大阪到着は7時前と早く 朝此処に差し掛かるのは6時前だったので 夜明が早くなるのを待って 出かけたの
を覚えています 夏至の頃が一番いいのですが その頃は梅雨の最中なので 梅雨に入る前の晴れの日に出かけました 今の様
にデジタルなら感度を上げて写せるので苦労はないのですが この時も日の出が早いと言っても 山の陰で日は当たらず 少し
靄っていたので ISO400のフィルムを使用しましたが シャッター速度を上げられず 霧が晴れて早く明るくなる事だけを願ってい
ました。
1982年06月00日撮影 福知山線 宝塚~生瀬 DD51 706レ だいせん
武庫川渓谷を抜けた列車は 生瀬を過ぎると武庫川を渡り 間もなく宝塚に到着です 宝塚で降りる人も多いのでしょう カーテン
の開いた窓から 乗客の姿が見えます。
画面の左奥に「ウヰルキンソン炭酸」の工場が見えます 「バヤリスオレンジ」でも有名でしたが 明治の頃から「ウヰルキンソン
ソーダー」を作っていました。
その後アサヒ飲料に合併されましたが やがて工場も閉鎖され 今ではマンションに代わってしまいました 赤く塗られた柱に白い
壁 黒い屋根の洋風の建物も 保存運動が有った様ですが取り壊され 複線電化された鉄橋や 国道の拡幅工事の陸橋が出来
此処から見る景色もすっかり変わってしまい 古い鉄橋の橋脚も撤去され 変わらないのは 手前の水道橋だけになってしまいまし
た。