成年被後見人に選挙権を与えないとする公職選挙法の規定は憲法違反だとする判決が東京地裁ででた。政府は東京高裁に控訴した。新聞報道によると、新藤総務相は「今回の違憲判決が確定すると、全国各地の選挙で直ちに成年被後見人の取り扱いが混乱する」と控訴の理由を説明したが、時間稼ぎのための控訴でもある。
法律はあちらこちらに矛盾を秘めている。民法は「未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす」(753条)としている。だが、飲酒、喫煙、公職選挙法などでは、成年扱いされない。
逆に、成年後見制度は財産管理を主な目的にしたものだが、その制度を利用すると政治的判断能力の欠如とみなされ、選挙権を奪われることになる。重度のアルツハイマー型認知症で判断能力が希薄になっても、成年後見制度を利用しない限り、選挙権が剥奪されることはない。
もともと選挙権は選別的な権利だった。日本で初めて選挙が行われた明治時代には、選挙権は直接国税15円以上の納税者にしか認められなかった。納税額の多寡にかかわらず、成人男性すべてに選挙権が認められたのは1925年のことで、女性に選挙権が与えられたのはもっと遅れて敗戦後のことである。
「読み書き計算のできない者には選挙権を与えるべきではない」「議員は税を払う人々によってのみ選挙される」「救貧法により生活保護を受けている人、破産者、滞納者には選挙権を与えるべきでない」。このような提言をしたのは、原則的に成年者男女に選挙権を与える普通選挙を主張したJ.S.ミルである。
ミルの主張の背景には、労働者階級の政治進出への懸念があったといわれる。そこでミルは優れた知性をもつ大学卒業者、雇用者、自由職業者らに2票以上の投票権を与える考え方に賛意を示した。このことは1861年に出版された『代議政治論』に書かれている。1861年は日本では文久元年で、坂本龍馬が国事に奔走するため土佐藩を脱藩した年の前年にあたる。19世紀後半の日英の政治文化をめぐる議論にはこれだけの差があった。
シンガポールの元首相リー・クアンユーも、35歳から60歳までの既婚・世帯も持ちの人々には、2票の投票権を与えてよいのではないか、と1990年代の中ごろ記者団に語ったことがある。彼らはシンガポールの経済・社会により多く貢献しているので、かれら自身と子どものための票が与えられてしかるべきだ、という理由からだ。Han Fook Kwang, Lee Kuan Yew: The Man and His Idea, Singapore, Times Editions, 1998に書かれているエピソードで、「いつごろそうした変化が必要になりそうか」と記者が質問すると、リーは「15年か20年後かな」と答えた 。2013年の今、そろそろ変化の時期だが、シンガポールにそれらしき兆候は見られない。
民主政治と衆愚政治は表裏一体である。民主政治も衆愚政治も有権者の一票によってつくりだされる。昨年12月の衆院選をめぐる「一票の格差」をめぐる16の訴訟は、「違憲・選挙無効」2、「違憲・選挙有効」12、「違憲状態」が2となった。
議員にとって最重要な関心は議席を獲得し、獲得した議席を守ることであり、そうした議員が集まってつくった政党の最重要関心事は議員を増やして政権の座に就くことである。したがって、議員にとっても政党にとっても有権者から集める票が自分に有利になるような選挙制度を作り、守ることがまた関心事になる。国会には衆参合わせて700人を超える議員が肥しを撒いてきた地盤にしがみついている。「まだ最高裁がある!」と言わんばかりである。
日本の選挙区選挙が生み出したものは、ジバン・カバン・カンバンの3バン選挙で、それが生み出したものが自民党に多く見られる議員世襲現象である。イギリスには大ピット・小ピットが親子で首相になった例があると歴史で教わったことがあり、合衆国ではブッシュ父子が大統領になった例もある。それにしても、短期間で繰り返された福田康夫―福田赳夫、麻生太郎―吉田茂、安倍晋三―岸信介、鳩山由紀夫―鳩山一郎の、父・子、祖父・孫首相は、摂関時代のような門閥政治で、目に余るものがある。
小選挙区制導入は失敗だった。確かに自民党から民主党への政権交代はあったが、民主党はその出自からして半自民党・第2自民党的性格を持っている。小選挙区制は2大政党制による政権交代と結びつけられているが、逆に日本では今のところ、多党化が進んでいる。
背門閥政治を排除して、政治的知性に満ちた議員を議会に送り込むために、今度は比例代表制を前面に出した選挙制度の実験をやってみる価値はある。
(2013.3.28 花崎泰雄)
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