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講和の日

2013-04-07 22:31:22 | Weblog

安倍政権が4月28日に天皇を招いて政府の主催でやろうとしている「主権回復の日」は、いったい何を意図してのことだろうか? 憲法改正や王政復古(Restoration)を視野に入れての地ならし作業の一つだろうか?

日本国の構成メンバーである沖縄県は、4月28日を「屈辱の日」ととらえている。沖縄県民は、政府の行為を更なる屈辱として、同じ日に沖縄で抗議の県民大会を開く。サンフランシスコ平和(講和)条約締結にあたって、吉田茂ひきいる当時の日本政府が、沖縄・奄美・小笠原を本土から切り離して、引き続き米軍の占領下に置く決定をしたという沖縄の認識は、正しい歴史認識である。

さらに、4月28日の「主権回復の日」に出席を予定している天皇についても、先代の昭和天皇が宮内庁御用掛を通じて米国に、日本に主権を残したままで長期租借のかたちで琉球諸島を米国が軍事占領し続けることを望むと伝えた。1947年のことだ。米国公文書館に保管されているこの文書は「天皇メッセージ」とも「シーボールド・メモ」ともよばれる。沖縄県公文書館のデジタル資料でも読むことができる。先代のメッセージだとはいえ、沖縄の長期占領を米国に希望した昭和天皇の後継が、沖縄が屈辱の式典と判断する4月28日の催しに出席することは、沖縄にとってさらなる屈辱である。

加えて、TBS系のJNNが3月9日に行った世論調査では、主権回復の日の式典に賛成する意見と、反対する意見と、わからないとするものが、3割ずつに分れた。全面講和か単独講和かで、締結をめぐって議論が沸騰したサンフランシスコ講和条約を記念する日にふさわしい賛否の別れ方だ。

サンフランシスコ平和条約は1951年に締結され1952年に発効した。当時すでに米国とソ連の冷戦が始まっていた。また、1949年には中華人民共和国が樹立され、1950年には朝鮮戦争が始まった。米国は東アジアの防共の核として日本を取り込むことにした。

サンフランシスコ平和条約に締結後、米国は日本と2国間安全保障条約を結び、引き続き日本に米軍を駐留させ続けた。また、日本に中華人民共和国ではなくて、台湾の国民党政府と平和条約を結ぶことを強いた。当初、たとえ自衛のためであっても憲法第9条は一切の軍備を禁じていると国会で答弁した吉田首相が警察予備隊創設で日本再軍備の方向へ向かったのも、朝鮮戦争で忙しくなった米軍の役割を補完せよとの米国の要求に従ったからだ。

大日本帝国は連合国に無条件降伏し、連合軍が日本に進駐した。占領軍の中核が米軍だったので、占領中の日本の針路の基本路線は米国が決めた。したがって、サンフランシスコ講和条約締結後の日本と米国の関係も筋書きは米国側が書いた。

日本でもよく売れた『敗北を抱きしめて』や『吉田茂とその時代』の著者ジョン・ダワーは『吉田茂とその時代』で「アメリカの計画策定者の目からみれば、日本はつねに世界を舞台とするチェスの一駒にすぎなかった」という、これまた正しい見方をしている。

さて、現在、日本はもはやアメリカのチェスの駒ではなくなったのだろうか?

あらましこういう次第なので、4月28日に「主権回復の日」と銘打ってあたかも日本が完全独立国になったかのような幻想を振りまいてはしゃぐのはやりすぎというものだ。せいぜい「講和の日」程度だろう。4月28日は、日米関係史だけではなく世界史の中で、日本の戦後を静かに見直す日――せいぜいその程度の日であろう。

(2013.4.7  花崎泰雄)

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