9月16日朝、欧州旅行から帰ってきた。少し寝て、睡眠不足をとりもどし、夕方、国会前に行った。この日の夜、参議院の特別委員会で安保関連法案が強行採決される予定になっていた。警察発表で1万数千人、主催者発表で3万数千人の人々が国会を取り巻いていた。
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詳しい話は17日の朝刊でお読みいただくことにして、ここでは、集まった市民にマイクで語りかけたある政治学者の意見を紹介しておこう。自分の頭でことの是非を考えることをせず、党首である安倍首相の言いなりに唯々諾々と法案成立の指令に従う与党議員たちに、「陳腐な悪」をみる――アイヒマン裁判の傍聴記でハンナ・アーレントが使った言葉を投げかけた。「議員は官僚ではない。市民によって選ばれた人であるはずなのに」
ハンナ・アーレントの名が出たところで、マルクスを思い出した。
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ヘーゲルはどこかで述べている、大事件は2度繰り返される、と。だが、ヘーゲルはこう付け加えるのをわすれた――最初は悲劇として、2度目は茶番として。マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の冒頭でそう書いた。「叔父(ナポレオン・ボナパルト)の代わりに甥(ルイ・ボナパルト)」と、マルクスは例にあげた。はるかそののち、安全保障と対米従属をめぐって、遠いとおい極東の地・日本で「祖父の代わりに孫」という茶番が繰り返されたと聞けば、泉下でマルクスが大笑いすることだろう。
国会の周囲をひと回りしていると、「解放派」というゼッケンをつけた人がいた。かつての「社青同解放派」のことであろう。「懐かしい名前ですね。まるでアンティーク・ショップからもち出して来たような」と声をかけると、「ははは、タイムスリップしたような気分になるでしょう」とゼッケンの人から答えが返ってきた。
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(2015.9.16 花崎泰雄)
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