中央アジア史の本を開くと、ティムール王朝をひらいたアミル・ティムールの残虐な行為が書かれている。彼は、数万の人の首を切り落としそれを粘土にまぜて高い塔を築くよう命じた。ソ連邦崩壊を機に独立国家となったウズベキスタンでは、略奪・殺戮を重ねて恐怖政治を敷いたアミル・ティムールが英雄となってよみがえり、ウズベキスタン・ナショナリズムの象徴になっている。
昔から人は人間の首を切り落とすという残虐な行為を、なかば楽しみとして行ってきた。日本では罪人に対する刑としての獄門(さらし首)。豊臣秀次の首は京の三条河原に晒された。
日本では江戸時代から明治初期まで首切りが死刑執行の一つだった。首切り浅右衛門で知られる山田浅右衛門の一族が代々斬首の任に当たった。明治政府の時代になって、日本で死刑が斬首刑から絞首刑に切り替わる直前に処刑された高橋お伝は、日本で最後の斬首刑を受けたと死刑囚だと巷間言われている。
余談だが、織田信長が浅井長政の頭蓋骨でどくろ杯をつくったという俗説がある。どくろ杯は古くから世界各地でつくられていたようだ。ヘロドトスの『歴史』にはスキュタイ人が討ち取った敵の首を切り落とし、頭の皮をはいで馬の鞍の飾りや縫い合わせて上着にしたという話が出てくる。皮をはいだあとの頭蓋骨は眉のあたりから下をのこぎりで切り落とし、半球にした頭骨の内側に金を張ってどくろ杯にしたとも書いている。人間の皮膚で電気スタンドの傘をつくった話はナチのユダヤ人ホロコースト関連で読んだことがある。金の縁取りをしたどくろ杯は、かつて台北の故宮博物院のチベット・セクションに展示されていたのを見た。
フランスではたとえば、ルイ16世とその妻マリー・アントワネットがコンコルド広場でギロチンによる斬首刑をうけている。 公開処刑だった。フランスは永らくギロチンを愛用し、植民地であるアルジェリアやベトナムに持ち込んでいた。筆者もベトナムで展示されていたギロチンを見たことがある。イギリスのトマス・モアも斬首刑だった。
斬首刑は現代では他の処刑方法に切り替えられているが、サウジアラビアにはいまなお斬首刑があることはよく知られた話だ。山田浅右衛門のような首切り役が切り落とすのである。とはいうものの、このところサウジアラビアでは首切り役が不足していて、絞首刑や銃殺刑が増えているという記事を2年ほど前のBBCのサイトで読んだ記憶がある。
ベトナム戦争のころは、南ベトナム軍兵士や米軍兵士が、切り落とした解放戦線の兵士の生首と一緒に記念撮影におさまっている写真が出回っていた。図書館にでも出かけて、陸井三郎編『資料・ベトナム戦争 下』(紀伊国屋書店、1969年)を開くと、その冒頭で、生首と首を切り落とされた死体の前で、米兵がにこやかに記念撮影におさまっている資料写真を見ることができる。
人類は残虐非道な動物である。
(2015.2.2 花崎泰雄)
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