安倍首相の私的諮問機関である通称「安保法制懇」に代表されるような安保オタク勢力が、右派国家主義オタクの安倍晋三氏を利用しているのだろうか。それとも、安倍晋三氏が祖父譲りの私的願望達成のために私的諮問機関を利用しているだろうか。
安保法制懇と安倍首相が結託してつくりあげた集団的自衛権容認論の根拠は「国際環境の激変」だ。
しかし、ふり返ってみれば、過去日本の周辺では、朝鮮戦争があり、李ラインで日本の漁船が拿捕され、竹島が韓国の実効支配下におかれ、北洋では漁船がソ連に拿捕され、中国が核武装し、ベトナム戦争があり、ドミノ理論の下に共産主義の脅威が喧伝された。
しかし、日本の政府は個別的自衛権こそ容認したものの、集団的自衛権は憲法に反するとして認めてこなかった。
日本を取り巻いてきた厳しい国際環境のかなりの部分が、冷戦の崩壊とともに消えた。変わって経済発展で軍備費を増大させた中国と、ミサイルと核で武装した北朝鮮が危機の代名詞になっている。
中国と北朝鮮のもたらす危機感は、沖縄の基地からB52が北爆に飛び立っていた頃の危機感より強いのだろうか。そのころ、ベトナム戦争のための基地を提供する日本に向けて、核ミサイルの照準を合わせていた国家はなかったのだろうか。
解釈改憲の正当性を主張する安保法制懇の報告書は、言ってみれば、「理屈と膏薬はどこにでもつく」ことの見本である。
安保法制懇の報告書は、まとめの部分で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認について、次のように正直なことを言っている。
「遡ってみれば、そもそも憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、個別的自衛権の行使についても、我が国政府は憲法改正ではなく憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある。こうした経緯に鑑みれば、必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない。また、国連の集団安全保障措置等への我が国の参加についても同様に、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能である」
上記のような理屈が通用するのであれば、次のような理屈もまた、まかり通ることになろう。
「遡ってみれば、そもそも憲法には徴兵制度に関する明文の規定はなく、必要最小限度の徴兵制度の実施にむけて政府が適切な立法を行うことは可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない」
防衛白書(2012年)によると、「士(昔の日本軍の二等兵・一等兵、上等兵にあたる)には若年者が多いことから、その減少により結果として自衛隊全体としての年齢構成が高齢化してきており(全自衛官の平均年齢は、90(平成2)年には31.8歳であったが、11(同23)年には35.6歳となっている。)、年齢という観点から、自衛隊の精強性についての再評価が必要な状況」ということだ。
そのうえ、少子化の時代である。
(2014.5.23 花崎泰雄)
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