長女が嫁いで二日目。がらーんとした家でぼんやりと時間が過ぎていきます。ふいに思いついて台所を片付け始めました。よりシンプルに、と思い立ったのです。大食いの子どもたちはそれぞれ家を出て、誇るはお年頃の末娘だけ。彼女はスタイルが気になるのか、いたって小食。夫婦二人もいい歳になって大食いが出来なくなりました。そこで台所は整理のターゲットに。ポイポイいらぬもの、賞味期限切れも、ドンドン捨てます。なんかすかーっとしていい気分ですね。さて、シンプルなレイアウトを考えてみましょう。時間はたっぷりありますもんね。さてさて?
雨は午後になって上がった。厚い雲は跡形もなくなり、青空が随分と広がった。
伝吉の心は一向に晴れなかった。くそ面白くないと言った顔付きで、茶の間のざわめきに背を向けたままである。
兼子は、もう嬉しくてたまらない風で、生き生きと征夫の世話を焼いている。それがまた伝吉には癪に触ってたまらない。
星井理代子という若い女は、征夫と同棲していた。籍はいれていないと言う。それが子供を作ってのご帰還とは、全く不真面目過ぎる。
そんないい加減さが、昔人間の伝吉には気に入らない。どうしても認められないのだ。
「あんた、征夫は、いま、設計事務所に勤めてんだって。設計士の資格も、もう直ぐ取れそうやと。ほんまに偉いやないか」
兼子はいちいち大声で報告する。
「ほらほら、こっちへ来いな。伝太が、こない笑うてくれて、まあ嬉しいがな」
伝太ってのは、伝吉の孫になる赤ん坊の名前だった。自分の名前の一字を取って名付けられた孫の存在が、伝吉にとっても嬉しくないわけがない。まして初孫なのである。
しかし、伝吉はどうしても頑なさを崩せないのだ。昔気質の不器用さと言えようか。
「こんな可愛い赤ちゃんも出来たんやから、ちゃんと結婚式も挙げにゃいかんのう」
兼子の言葉に若い二人は戸惑い気味に顔を見合った。
「母さん。俺たち、結婚式はせえへん。籍だけは入れなあかん思たから帰って来たんや」
「そないな不細工な真似できるまいな。世間体もあるやろ。ちゃんとしたるさかいに…」
「いや、ほんまにええんや。彼女と約束sとるんや。無駄なことはせんとこ言うてなあ」
「無駄な事やて……そんな、お前…」
兼子は額に皺を刻んで口篭った。
「いいんです。私たちが充分納得しているんですから。元々籍も入れるつもりなかったんですよ。でも、この子が出来ちゃったから、やっぱり籍がいるかなって……」
理代子は、えらくアッサリした物言いをする。家に来てまだ一度も笑顔は見せていない。
伝吉は立ち上がると、玄関の方へ足を向けた。
「お父さん、どこ行くの?」
兼子が気付いてすかさず尋ねたが、伝吉は黙殺して居間を突っ切った。
「もうお父さんは、子どもみたいな真似してから……いつまですねてんのやいな」
かねこは息子夫婦(?)へ弁解するように、慌てて夫を責めた。伝吉はちょっと荒っぽい仕草で玄関の戸を開け放って外へ出た。
家の裏手にくっ付いた形の作業場に入った伝吉は、加工台を前にした。樋受けの飾りの型取りをするのが中途で抛ってある。
別に急ぐ仕事ではないが、何かやってれば気は紛れる。自分の思い通りにならぬモノに、ややこしく頭を使っているよりは格段にいい。
伝吉は型木に銅板をあてがって金槌を振るった。小気味いい音を立てながら、金槌は伝吉の思い通り確実に叩いていく。五十年以上も妥協しない仕事に賭けて来た
職人芸の見事さだった。
「…あの…バカタレが……!」
伝吉は思わず吐き捨てた。どうも今日は集中出来ない。あの親不孝者の征夫のせいだった。もう息子と思うまいと無視を決め込んでいるつもりだが、どうも上手くない。あの孫の存在が伝吉の動揺を誘ってばかりいる。
伝吉は遂に諦めて金槌を置いた。気が乗らないまま仕事を続けても納得いくものが作れるはずはない。職人のプライドが傷付くだけなのだ。伝吉はフーッと大きく息をついた。
胸ポケットの煙草に手を伸ばしたが、中味は切れている。苛立っていたおかげで補充するのを忘れていたらしい。伝吉は舌打ちした。
「お父さん」
兼子がソワソワと顔を覗かせた。
「なんや?あいつら抛っといてええんか?」
「いま出ていったがな」
「帰ったんか?」
伝吉はズボンの埃を払い落した。やっぱり気になっている。久し振りに顔を見せた息子と、まだ何も話していないのに気づいた。
「役場やがな。籍を入れに行くんやと」
「伝太は……?連れて行きよったんか……?」
「当たり前やろ。プリプリ怒ってばかりのおじいちゃんとこに置いとけわな」
兼子は伝吉に、それと分かる皮肉を言った。
「また帰って来るんか?」
「そやろ。二、三日泊まるー言い寄ったさかい」
兼子は伝吉の反応をうかっがている様子だ。
「勝手なやつや」
伝吉は顔をしかめて強い語調で吐き出した。
「まだ、若いんやから゛」
兼子が慌てて息子の弁解をして見せる。
伝吉は取り合わず、プイと外に出た。
(続く)
(1992年5月2日神戸新聞掲載)
伝吉の心は一向に晴れなかった。くそ面白くないと言った顔付きで、茶の間のざわめきに背を向けたままである。
兼子は、もう嬉しくてたまらない風で、生き生きと征夫の世話を焼いている。それがまた伝吉には癪に触ってたまらない。
星井理代子という若い女は、征夫と同棲していた。籍はいれていないと言う。それが子供を作ってのご帰還とは、全く不真面目過ぎる。
そんないい加減さが、昔人間の伝吉には気に入らない。どうしても認められないのだ。
「あんた、征夫は、いま、設計事務所に勤めてんだって。設計士の資格も、もう直ぐ取れそうやと。ほんまに偉いやないか」
兼子はいちいち大声で報告する。
「ほらほら、こっちへ来いな。伝太が、こない笑うてくれて、まあ嬉しいがな」
伝太ってのは、伝吉の孫になる赤ん坊の名前だった。自分の名前の一字を取って名付けられた孫の存在が、伝吉にとっても嬉しくないわけがない。まして初孫なのである。
しかし、伝吉はどうしても頑なさを崩せないのだ。昔気質の不器用さと言えようか。
「こんな可愛い赤ちゃんも出来たんやから、ちゃんと結婚式も挙げにゃいかんのう」
兼子の言葉に若い二人は戸惑い気味に顔を見合った。
「母さん。俺たち、結婚式はせえへん。籍だけは入れなあかん思たから帰って来たんや」
「そないな不細工な真似できるまいな。世間体もあるやろ。ちゃんとしたるさかいに…」
「いや、ほんまにええんや。彼女と約束sとるんや。無駄なことはせんとこ言うてなあ」
「無駄な事やて……そんな、お前…」
兼子は額に皺を刻んで口篭った。
「いいんです。私たちが充分納得しているんですから。元々籍も入れるつもりなかったんですよ。でも、この子が出来ちゃったから、やっぱり籍がいるかなって……」
理代子は、えらくアッサリした物言いをする。家に来てまだ一度も笑顔は見せていない。
伝吉は立ち上がると、玄関の方へ足を向けた。
「お父さん、どこ行くの?」
兼子が気付いてすかさず尋ねたが、伝吉は黙殺して居間を突っ切った。
「もうお父さんは、子どもみたいな真似してから……いつまですねてんのやいな」
かねこは息子夫婦(?)へ弁解するように、慌てて夫を責めた。伝吉はちょっと荒っぽい仕草で玄関の戸を開け放って外へ出た。
家の裏手にくっ付いた形の作業場に入った伝吉は、加工台を前にした。樋受けの飾りの型取りをするのが中途で抛ってある。
別に急ぐ仕事ではないが、何かやってれば気は紛れる。自分の思い通りにならぬモノに、ややこしく頭を使っているよりは格段にいい。
伝吉は型木に銅板をあてがって金槌を振るった。小気味いい音を立てながら、金槌は伝吉の思い通り確実に叩いていく。五十年以上も妥協しない仕事に賭けて来た
職人芸の見事さだった。
「…あの…バカタレが……!」
伝吉は思わず吐き捨てた。どうも今日は集中出来ない。あの親不孝者の征夫のせいだった。もう息子と思うまいと無視を決め込んでいるつもりだが、どうも上手くない。あの孫の存在が伝吉の動揺を誘ってばかりいる。
伝吉は遂に諦めて金槌を置いた。気が乗らないまま仕事を続けても納得いくものが作れるはずはない。職人のプライドが傷付くだけなのだ。伝吉はフーッと大きく息をついた。
胸ポケットの煙草に手を伸ばしたが、中味は切れている。苛立っていたおかげで補充するのを忘れていたらしい。伝吉は舌打ちした。
「お父さん」
兼子がソワソワと顔を覗かせた。
「なんや?あいつら抛っといてええんか?」
「いま出ていったがな」
「帰ったんか?」
伝吉はズボンの埃を払い落した。やっぱり気になっている。久し振りに顔を見せた息子と、まだ何も話していないのに気づいた。
「役場やがな。籍を入れに行くんやと」
「伝太は……?連れて行きよったんか……?」
「当たり前やろ。プリプリ怒ってばかりのおじいちゃんとこに置いとけわな」
兼子は伝吉に、それと分かる皮肉を言った。
「また帰って来るんか?」
「そやろ。二、三日泊まるー言い寄ったさかい」
兼子は伝吉の反応をうかっがている様子だ。
「勝手なやつや」
伝吉は顔をしかめて強い語調で吐き出した。
「まだ、若いんやから゛」
兼子が慌てて息子の弁解をして見せる。
伝吉は取り合わず、プイと外に出た。
(続く)
(1992年5月2日神戸新聞掲載)