告白された記念日
好きになった相手を、ただ見守るだけしか出来ない。内向的な性格で、思いを正直に告白などとても無理な話だった。
やはり、彼女にも片思いだった。相手に好きだとはやはり打ち明けられない。(また、失恋かな……)でも、彼女を遠くから見ているだけで不思議に幸せだった。
「あのう、今度のゆかた祭り、一緒に行ってくれませんか?」耳を疑った。信じられなかった。でも彼女の笑顔は目の前にあった。
初めてのデートは、楽しかった。でもよそ行きの態度しか取れない自分が情けなかった。好きな相手が手の届くところにいても本音が出せない。すると別れ際に彼女が言った。
「これからも付き合って下さい。前から好きだったんです。でも、声がかけられなくて。やっと思い切って誘えて、よかった!」
逆告白で、私はやっと恋人を手に入れた。プロポーズも彼女がしてくれた。以来三十年近く、婦唱夫随のしあわせ関係が続いている。
節分ごっこ
「年の数だけ豆を食べたら、この一年幸せに暮らせるんやで。さあお食べ」
父の言葉に従って、兄と競って大豆の炒ったのをボリボリ食べた。ふと父が豆を食べないのに気づいた。いま考えれば、四十何粒もいっぺんに食べるのはむちゃくちゃなのに。でも、幸せを約束してくれる豆なのだ。
「どうして食べないの?幸せになれないよ」「おとうさんは鬼になるからええんや」
とボール紙で作った鬼の面をかぶった父。赤いクレヨンで書きなぐった赤鬼はかっこよかった。「ウォーウォー」と手を上げて襲いかかる真似をする父から、「キャッキャッ」と逃げ回った。豆は家の外にまいた。鬼の面をかぶった父も一緒になってまいた。
「鬼は外!福はうち!」
最近豆をまく光景は身近に殆ど見かけない。恵方巻きの丸かじりに凌駕された感がある。どうも物足りない。鬼とはしゃぎ回ったあの行事は家族の絆作りにつながったのに。
娘の結婚式を前にして
「今日、結婚届を出してきたよ」
2月に結婚式を控えた娘の報告に、思わず彼女の顔を見なおしてしまった。
とうとう来たか。愛する娘がドーンと遠くに行ってしまった気がする。名字が変わってしまったのだ。無性に寂しさを感じた。
免許証をはじめ、通帳、保険……と書き換えを早めに済ませて、新婚生活に備えようと、毎日あれこれと忙しい娘を見るにつけ、男親の無力さと侘しさが募る。なんと存在感が薄いことか。娘といつも付き添って行動する妻が羨ましくてならない。
そこで始めたのが、結婚式にむけて花の絵手紙の製作。招待客に一枚一枚配ってやろうと、四季折々の花を手描き、幸せいっぱいの娘の気持ちを代弁した言葉を筆に託して書き添える。父親の愛をそこに込めて。
男親ってどんなん?
さて、結婚式で男親の存在感を認めて貰えるだろうか?それにしても、名字の変更、少し早すぎるぞ。胸のうちでボヤきっぱなしだ。
長女の結婚話が着々と進む。(やっとその気になったかと…)とひと安心である。 ところが、お互いの家族の顔合わせ、結納、結婚式場の打ち合わせ……と具体的に進みのに一向に相談がない。花嫁荷物の買い物も、仲間外れで、妻と娘がなかよくデパートに出かけるのを黙って送り出す。なんとも侘しい。
「土曜日に結納に来られるから家にいてよ」
「水曜日の大安、荷物を運び入れるからね」
声がかかるのは、その場に父親が必要な時だけ。それも直前である。わたしの予定などお構いなしだが、愛する娘のことだから慌てて予定を調節して間に合わせた。
ところが古い友人との何十年ぶりの対面日が、その日に重なった。相当前に告げていたので、優先した。帰宅すると不機嫌丸出しの妻のきつい皮肉が待っていた。
「これだから男って、もう頼りにできないんだから。本当に父親の責任感じてるのかしら」
おいおい、それはないだろうが!
好きになった相手を、ただ見守るだけしか出来ない。内向的な性格で、思いを正直に告白などとても無理な話だった。
やはり、彼女にも片思いだった。相手に好きだとはやはり打ち明けられない。(また、失恋かな……)でも、彼女を遠くから見ているだけで不思議に幸せだった。
「あのう、今度のゆかた祭り、一緒に行ってくれませんか?」耳を疑った。信じられなかった。でも彼女の笑顔は目の前にあった。
初めてのデートは、楽しかった。でもよそ行きの態度しか取れない自分が情けなかった。好きな相手が手の届くところにいても本音が出せない。すると別れ際に彼女が言った。
「これからも付き合って下さい。前から好きだったんです。でも、声がかけられなくて。やっと思い切って誘えて、よかった!」
逆告白で、私はやっと恋人を手に入れた。プロポーズも彼女がしてくれた。以来三十年近く、婦唱夫随のしあわせ関係が続いている。
節分ごっこ
「年の数だけ豆を食べたら、この一年幸せに暮らせるんやで。さあお食べ」
父の言葉に従って、兄と競って大豆の炒ったのをボリボリ食べた。ふと父が豆を食べないのに気づいた。いま考えれば、四十何粒もいっぺんに食べるのはむちゃくちゃなのに。でも、幸せを約束してくれる豆なのだ。
「どうして食べないの?幸せになれないよ」「おとうさんは鬼になるからええんや」
とボール紙で作った鬼の面をかぶった父。赤いクレヨンで書きなぐった赤鬼はかっこよかった。「ウォーウォー」と手を上げて襲いかかる真似をする父から、「キャッキャッ」と逃げ回った。豆は家の外にまいた。鬼の面をかぶった父も一緒になってまいた。
「鬼は外!福はうち!」
最近豆をまく光景は身近に殆ど見かけない。恵方巻きの丸かじりに凌駕された感がある。どうも物足りない。鬼とはしゃぎ回ったあの行事は家族の絆作りにつながったのに。
娘の結婚式を前にして
「今日、結婚届を出してきたよ」
2月に結婚式を控えた娘の報告に、思わず彼女の顔を見なおしてしまった。
とうとう来たか。愛する娘がドーンと遠くに行ってしまった気がする。名字が変わってしまったのだ。無性に寂しさを感じた。
免許証をはじめ、通帳、保険……と書き換えを早めに済ませて、新婚生活に備えようと、毎日あれこれと忙しい娘を見るにつけ、男親の無力さと侘しさが募る。なんと存在感が薄いことか。娘といつも付き添って行動する妻が羨ましくてならない。
そこで始めたのが、結婚式にむけて花の絵手紙の製作。招待客に一枚一枚配ってやろうと、四季折々の花を手描き、幸せいっぱいの娘の気持ちを代弁した言葉を筆に託して書き添える。父親の愛をそこに込めて。
男親ってどんなん?
さて、結婚式で男親の存在感を認めて貰えるだろうか?それにしても、名字の変更、少し早すぎるぞ。胸のうちでボヤきっぱなしだ。
長女の結婚話が着々と進む。(やっとその気になったかと…)とひと安心である。 ところが、お互いの家族の顔合わせ、結納、結婚式場の打ち合わせ……と具体的に進みのに一向に相談がない。花嫁荷物の買い物も、仲間外れで、妻と娘がなかよくデパートに出かけるのを黙って送り出す。なんとも侘しい。
「土曜日に結納に来られるから家にいてよ」
「水曜日の大安、荷物を運び入れるからね」
声がかかるのは、その場に父親が必要な時だけ。それも直前である。わたしの予定などお構いなしだが、愛する娘のことだから慌てて予定を調節して間に合わせた。
ところが古い友人との何十年ぶりの対面日が、その日に重なった。相当前に告げていたので、優先した。帰宅すると不機嫌丸出しの妻のきつい皮肉が待っていた。
「これだから男って、もう頼りにできないんだから。本当に父親の責任感じてるのかしら」
おいおい、それはないだろうが!