好きこそモノの上手なれ
病院に着いたのは深夜。母危篤の連絡に取るものも取り合わず車を飛ばしたのだが、結局一時間三十分近くかかってしまった。閑散とした病院の駐車場に乗り入れて、急いで携帯電話を手にした。守衛室に連絡を取った。
「表に回って下さい。いまドアのロックを外しますわ」
何とものんびりした口調だった。しかし、これで病院に入れるのだ。
ひっそりした病室のベッドに母は眠っていた。昨日までの荒い息遣いはなかった。
「一時四十二分に亡くなられました。おいでになるまでと先生も処置をされましたが、引きのばしは無理でした」
「いえ、ありがとうございました」
母の遺体を目の前に、看護師との受け答えは淡々としたものになった。それは私がいい大人であり、いい年齢だからだった。それに前日までの母の状態を見て覚悟を決めていたせいでもある。
母と二人きりの時間。入院してチューブで生きながらえる状態になってからは、隔日にベッドのそばに付き添ったが、カクシャクとしていたころは、滅多に二人で向き合う時間は取れなかった。母の傍に居たのは兄の家族で、私は自分の家族との生活があった。いま後悔している。元気な母の話を聞き、私の話を聞いて貰えばよかったと切実に思う。
私は極端な『お母ちゃん子』だった。末っ子だから、母は可愛くて堪らなかったのだろう。二人しかいない息子の一人を事故で喪ってから、母の愛情は俄然私一人に向いた。何かにつけて息子の家族の世話を焼いてくれた。私はそれを煩わしく思ったりしたのだから、まさに親の心子知らずだった。いくら後悔しても、もう母は生き返らない。
何も語らぬ母と水入らずで送る深夜の時間。無性に悲しくなってきた。張っていた大人の虚勢が時間と共に緩んできたに違いない。私は母が惜しげもなく愛を注いだ子供に戻っていた。(お母ちゃん……)胸が熱くなった。目を閉じると、若く美しい母の姿が浮かぶ。私の人生の岐路に必ず立ち会ってくれた母の姿が蘇ってくる。
「ええか、よう覚えときや。お母ちゃんに似て内弁慶のお前が社会に出たら、しんどい目に合うのは分かりきっとる。そやけど固い殻ん中に閉じこもるんやないで。喋れんでもええ。その分、仕事を、人を好きになったらええ。言葉なんかのうても好きになったら向こうも好きになってくれる。そしたら、お前も生きやすうなる」
母がこんこんと諭すように言ったのは、私が不祥事を起こして高校を退学せざるを得なくなった時である。仕事に忙しい父は子供の問題は母に任せた格好だった。母の言う通り、私の性格は母そのものだった。人との付き合いが苦手で、一人で何かをコツコツやっていた母を常に身近に感じて育ったのだ。そっくりで当然かもしれない。
「そら一人で楽しめるんが一番やけど、お前は男やろ。社会に出なあかんのや。女のお母ちゃんと違う。そやから、仕事も周りの人も、何でもええとこ見つけて好きになることや。好きなもんは誰でも努力が出来る。努力したら成果が出るやろ。そしたら周りが認めてくれる。好きこそモノの上手なれ、やがな」
箱入り娘で育ち、父を養子に迎えた母。たぶん我がまま放題に生きて来たのは間違いない。その母が、挫折のさ中にいる息子を放っておけなくて口にした言葉。母なりに大事に記憶していたのだ。尋常小学校でしか学べなかった時代。女に学問は必要ないとされた時代を生きて来た母が発した言葉。息子だから私はそれを信じて受け止めた。
高校を受け直して工業高校に入った。普通科に通っていた私は、工業高校が何たるかを知らなかった。学ぶのは電気科。教科書を見てもちんぷんかんぷんだった。やる気が起こらなかった。電気技術の実習など興味がないから逃げ出したくなる。とにかく高校を卒業さえできればとの打算だけで我慢の学校生活を送った。クラスでも、「自分は落第生」との意識が強くて、一人もんもんと机にかじりついていた。
「どない?学校は」
母はわざわざ部屋に入って来て訊いた。敏感に私の鬱々した気分を悟ったのだ。
「まあまあ、やってる」
「なんか好きなもん見つけたか?」
「え?」
いきなりの問い掛けに驚いて母の顔を見直した。優しい笑顔が、そこにあった。
「好きな教科は?」
「……国語……かな」
小さい頃から本の虫だった。自分の世界に閉じこもれたからだった。だからあえて言えば国語は苦手ではないのだ。
「へー、すごいすごい。好きなんあるやんか。よし、国語を頑張って勉強したらええ。好きなんやから、ええ点取れるよう努力しい。あとのんは、程ほどでええから」
私は口あんぐりとなった。母の思わぬ反応に戸惑った。通う工業高校電気科の生徒にはさほど重要でない国語を頑張れと言うのだ。好きだからと言う理由だけで。しかも好きな教科があることを底抜けに喜んでいる。
母の言葉に従って、テスト勉強は国語を中心にやった。するとどうだろう。勉強が楽しい。国語の勉強はどんどん進んだ。母の言う好きになった効用だった。
学期末の試験で国語の成績はクラスのトップになった。嬉しかった。その影響は大きかった。次々と好きな教科が生まれた。英語、数学……電子理論、電子工学……。好きな先生、頼れる同級生仲間も出来た。相乗効果である。その先生の指導で校内弁論大会で優勝、地区大会の学校代表となった。さらに地区弁論大会に入賞。その実績で生徒会長に立候補して選ばれた。どんどん好きな世界が広がった。
「よかったなあ。お母ちゃんの言うた通り、好きこそモノの上手なれやろ」
喜び過ぎてクシャクシャになった母の顔。自分の言葉を信じて実践した息子の成長が嬉しくてたまらなかったのだろう。そんな母が輝いて見えた。
私はベッドの上から覗き込んだ。魂を失って横たわる母の顔は白かった。大柄だった体がまるでミイラのように縮んでいる。母の顔に触れんばかりに屈みこんで、シワシワになった手を握った。さすった。何度も何度も。不肖の息子に溢れんばかりの愛をくれた母に感謝しながら、優しく優しくさすり続けた。
「好きになったらええ。それが始まりや。好きこそモノの上手なれやで」
母の声が聞こえる。(うん!そうやお母ちゃんの言う通りやったわ。おかげでなんとか自分の家庭を持てるまでなったんやもんな。ありがとうな、お母ちゃん)
思い返せば、私が好きになった一番手は、間違いなく……母だった!
病院に着いたのは深夜。母危篤の連絡に取るものも取り合わず車を飛ばしたのだが、結局一時間三十分近くかかってしまった。閑散とした病院の駐車場に乗り入れて、急いで携帯電話を手にした。守衛室に連絡を取った。
「表に回って下さい。いまドアのロックを外しますわ」
何とものんびりした口調だった。しかし、これで病院に入れるのだ。
ひっそりした病室のベッドに母は眠っていた。昨日までの荒い息遣いはなかった。
「一時四十二分に亡くなられました。おいでになるまでと先生も処置をされましたが、引きのばしは無理でした」
「いえ、ありがとうございました」
母の遺体を目の前に、看護師との受け答えは淡々としたものになった。それは私がいい大人であり、いい年齢だからだった。それに前日までの母の状態を見て覚悟を決めていたせいでもある。
母と二人きりの時間。入院してチューブで生きながらえる状態になってからは、隔日にベッドのそばに付き添ったが、カクシャクとしていたころは、滅多に二人で向き合う時間は取れなかった。母の傍に居たのは兄の家族で、私は自分の家族との生活があった。いま後悔している。元気な母の話を聞き、私の話を聞いて貰えばよかったと切実に思う。
私は極端な『お母ちゃん子』だった。末っ子だから、母は可愛くて堪らなかったのだろう。二人しかいない息子の一人を事故で喪ってから、母の愛情は俄然私一人に向いた。何かにつけて息子の家族の世話を焼いてくれた。私はそれを煩わしく思ったりしたのだから、まさに親の心子知らずだった。いくら後悔しても、もう母は生き返らない。
何も語らぬ母と水入らずで送る深夜の時間。無性に悲しくなってきた。張っていた大人の虚勢が時間と共に緩んできたに違いない。私は母が惜しげもなく愛を注いだ子供に戻っていた。(お母ちゃん……)胸が熱くなった。目を閉じると、若く美しい母の姿が浮かぶ。私の人生の岐路に必ず立ち会ってくれた母の姿が蘇ってくる。
「ええか、よう覚えときや。お母ちゃんに似て内弁慶のお前が社会に出たら、しんどい目に合うのは分かりきっとる。そやけど固い殻ん中に閉じこもるんやないで。喋れんでもええ。その分、仕事を、人を好きになったらええ。言葉なんかのうても好きになったら向こうも好きになってくれる。そしたら、お前も生きやすうなる」
母がこんこんと諭すように言ったのは、私が不祥事を起こして高校を退学せざるを得なくなった時である。仕事に忙しい父は子供の問題は母に任せた格好だった。母の言う通り、私の性格は母そのものだった。人との付き合いが苦手で、一人で何かをコツコツやっていた母を常に身近に感じて育ったのだ。そっくりで当然かもしれない。
「そら一人で楽しめるんが一番やけど、お前は男やろ。社会に出なあかんのや。女のお母ちゃんと違う。そやから、仕事も周りの人も、何でもええとこ見つけて好きになることや。好きなもんは誰でも努力が出来る。努力したら成果が出るやろ。そしたら周りが認めてくれる。好きこそモノの上手なれ、やがな」
箱入り娘で育ち、父を養子に迎えた母。たぶん我がまま放題に生きて来たのは間違いない。その母が、挫折のさ中にいる息子を放っておけなくて口にした言葉。母なりに大事に記憶していたのだ。尋常小学校でしか学べなかった時代。女に学問は必要ないとされた時代を生きて来た母が発した言葉。息子だから私はそれを信じて受け止めた。
高校を受け直して工業高校に入った。普通科に通っていた私は、工業高校が何たるかを知らなかった。学ぶのは電気科。教科書を見てもちんぷんかんぷんだった。やる気が起こらなかった。電気技術の実習など興味がないから逃げ出したくなる。とにかく高校を卒業さえできればとの打算だけで我慢の学校生活を送った。クラスでも、「自分は落第生」との意識が強くて、一人もんもんと机にかじりついていた。
「どない?学校は」
母はわざわざ部屋に入って来て訊いた。敏感に私の鬱々した気分を悟ったのだ。
「まあまあ、やってる」
「なんか好きなもん見つけたか?」
「え?」
いきなりの問い掛けに驚いて母の顔を見直した。優しい笑顔が、そこにあった。
「好きな教科は?」
「……国語……かな」
小さい頃から本の虫だった。自分の世界に閉じこもれたからだった。だからあえて言えば国語は苦手ではないのだ。
「へー、すごいすごい。好きなんあるやんか。よし、国語を頑張って勉強したらええ。好きなんやから、ええ点取れるよう努力しい。あとのんは、程ほどでええから」
私は口あんぐりとなった。母の思わぬ反応に戸惑った。通う工業高校電気科の生徒にはさほど重要でない国語を頑張れと言うのだ。好きだからと言う理由だけで。しかも好きな教科があることを底抜けに喜んでいる。
母の言葉に従って、テスト勉強は国語を中心にやった。するとどうだろう。勉強が楽しい。国語の勉強はどんどん進んだ。母の言う好きになった効用だった。
学期末の試験で国語の成績はクラスのトップになった。嬉しかった。その影響は大きかった。次々と好きな教科が生まれた。英語、数学……電子理論、電子工学……。好きな先生、頼れる同級生仲間も出来た。相乗効果である。その先生の指導で校内弁論大会で優勝、地区大会の学校代表となった。さらに地区弁論大会に入賞。その実績で生徒会長に立候補して選ばれた。どんどん好きな世界が広がった。
「よかったなあ。お母ちゃんの言うた通り、好きこそモノの上手なれやろ」
喜び過ぎてクシャクシャになった母の顔。自分の言葉を信じて実践した息子の成長が嬉しくてたまらなかったのだろう。そんな母が輝いて見えた。
私はベッドの上から覗き込んだ。魂を失って横たわる母の顔は白かった。大柄だった体がまるでミイラのように縮んでいる。母の顔に触れんばかりに屈みこんで、シワシワになった手を握った。さすった。何度も何度も。不肖の息子に溢れんばかりの愛をくれた母に感謝しながら、優しく優しくさすり続けた。
「好きになったらええ。それが始まりや。好きこそモノの上手なれやで」
母の声が聞こえる。(うん!そうやお母ちゃんの言う通りやったわ。おかげでなんとか自分の家庭を持てるまでなったんやもんな。ありがとうな、お母ちゃん)
思い返せば、私が好きになった一番手は、間違いなく……母だった!