こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

ほんの束の間

2015年02月04日 07時09分57秒 | 文芸
ハイウェイバスは快調に走った。名古屋に着いたのは夜の十時過ぎ。まだ時間は充分ある。名鉄の駅に急いだ。目的地は東岡崎駅。
 定年以来、何とも空しい日々を送っていた私のもとに、一通の手紙が。開けてビックリ!とはこの事だった。
「今回のエッセー下田歌子賞にあなた様の作品が『最優秀賞』に選ばれました」
 寝耳に水とも思える朗報だった。賞金十万円と表彰式に招待とある。交通費の全額と昼食持ちである。生まれて初めての好待遇に、(こりゃ夢か?)と頬っぺたを叩いてみた。痛い。思わず相好が崩れた。
 表彰式の会場は岐阜県の恵那市。全く未知数の中部圏の市町。急いでネットを開いた。路線検索で、名古屋経由と知った。これは思わぬ偶然に小躍りする。息子が働いているのは、名古屋の近くだったはず。彼に会える!
 私の子どもは四人。上と一番下が女、真ん中二人が男と、我ながらうまく産み分けたと自負する。順調に結婚して家庭を持ってくれれば万々歳だ。ところが時代はそんなに甘くはない。息子は大学を卒業すると、家を後にした。就職先が、なんと名古屋近郊。家から通うなどまず望めない。以来、彼との顔合わせも会話も無縁となって久しい。
 妻や娘らにメール連絡は結構入っている。ラインになってからはしょっちゅうらしい。それが父親の私だけが蚊帳の外である。
「名古屋圏内ではかなり有名な居酒屋らしいよ」「ほうか」
「結構太ったみたい」「ふ~ん」
「法被姿で店内を闊歩してる写真が入ってた。ニヤニヤしててキモいんだ」「!」
 と断片を聞かされるだけ。父親とはかように希薄な存在だったのかと思い知らされる。記憶する息子の顔が、ぼんやりとしか思い出せなくなったのも致し方ない。
 偶然とはいえ、息子の顔をもう一度しっかりと記憶に刻む、いい機会がやって来た。
「おい、俺、岐阜県に行くで。名古屋経由や。アゴアシつきで表彰式や!」
 得意満面で披露しても、家族の反応は実にクールだ。十万円の賞金も話題にしてくれない。いつからこんな家庭になったのだろう。
 思い当たるのは私の定年退職。職なしになって家にのほほんと居座るようになった。やる事がないからのんべんだらりと日暮しの身に。妻と長女はフルタイムで働く。末の娘は大学入試を控えた高校生。たった一人怠惰な生活を送れば阻害されて当然過ぎよう。
 その上、亭主の孤独を慮るには条件がさらに狭まった。長女の結婚式が来年の二月と決まったからだ。三十二歳になった娘がようやくその気になったのは嬉しいが、そのせいで妻と末娘は長女と一緒になって結婚準備に右往左往している。
 長女がテレビの前に落ち着くのを見計らって声を掛けた。
「ああ…あの…」
「なに?」
 気後れするから言葉に詰まる。大黒柱の威厳などあったものじゃない。しかし、訊いておかなければ、長男の働く店の住所を。住所さえ分かれば、後はネットで検索できる。
「アイツの店は、どこの駅前にあるんや?」
 やっと質問を吐き出した。
「うーん」
 長女は邪魔くさげな反応をチラッとみせたが、それでもスマートフォンを開けた。
「東岡崎駅前の花の舞ってお店や」
「ふーん、ほうか。いや、有難う」
 すぐパソコンに向かった。家族と対するよりもより親しみを感じるデジタル機器だ。従順だし期待を背くことは滅多にない。だから、長男が店長を務める店の全容はクリック一つで手に入った。東岡崎店である。
 ハイウェイバスの降車場からJR名古屋駅に向かって歩くと、途中に名鉄の駅がある。ここから本線に乗れば四十分少しで東岡崎駅に降り立てる。妙なプレッシャーを感じた。いやはや、父親が息子に会うのにプレッシャーとは情けない限りである。
 駅を出ると、目の前に大きく派手なネオンサインがきらめく。『花の舞』。あそこだ!
レジに作務衣姿の女の子がいた。店内は忘年会シーズンらしくかなりの賑わいだ。下腹にグッと気合を入れた。
「あの…ここのスタッフに、齋藤っておりますか?」
「ええ、はい」
「親父なんですけど…」
 言わずもがなの事だったが、自然に口を吐いて出た。私は間違いなく父親である。
「まあ、店長のお父さん…」
 女の子が見やる方向を見た。息子が歩いて来る。法被姿。よく似合ってる。それににこやかな顔。ああー!元気そうだ。ホッとする。
「あれ?どないしたん?一人なん?」
 のほほんとしか聞こえない、懐かしいわが子の声だった。
「一人で来たんけ?よう来れたなあ」
 親父を全く理解していない。若い頃は一人で東京の小劇場に何度も通ったんだぞ。それに較べたら名古屋なんてへのカッパだ。
「どないしたん?」
 また同じ質問だ。他に言う事はないのか?
「エッセーで最優秀賞に選ばれた。岐阜の表彰式に招待されてるんや。アゴアシ付きやで」
 えらく饒舌になる自分に驚いた。息子を前に、もう嬉しくて堪らないのだ。
「へえ!ごっついやんか」
 息子が使う故郷の方言が耳に心地よい。
「一人やけど……席は…ないやろな…?」
 私も二十年以上も飲食店で働いてきた。忘年会シーズンの忙しい時間に一人客は招かざる客なのだと、よく知っている。それでも内心期待してしまう。相手は息子なのだ。
「うーん。いまみんな埋まってるさかい、…無理やなあ」 
客席を窺いながら、息子の返事は予測通りだった。失望したが、顔には出さない。大人の対処とはそういうものである。
「そうかそうか。お前の元気な顔見れたら、それでええんや。ほなら、行くわ…なあ」
 居たたまれなくなった。手を上げて息子に合図すると、アッサリと居酒屋の外に出た。そのままヨタヨタと歩きはじめる。
 居酒屋の引き戸が音を立てた。息子だった。
「姉ちゃんの結婚式には帰るさかい」
「おう。帰って、ようけ祝たってくれや」
 息子との対面は十五分も持たなかった。父親の、いや私の、これが限界なのだろう。
 名古屋駅に戻ると、もう他に目的は浮かばない。表彰式の岐阜行きは明日の話である。
(居酒屋で朝の五時までおれるはずやったのになあ。えらいアテ外れや))
 ネットで花の舞の営業時間は承知している。金曜日は朝の五時までだった。目論見は崩れた。さて、今夜はどうしようか?
 結局、名古屋駅近辺を歩き回って一夜を過ごした。居酒屋の次に期待していたマックも二十四時間営業の看板通りではなかった。深夜一時にはテイクアウト専門になる。しかも三時閉店の張り紙だ。どうも世の中、まだまだ不景気なのだろう。じっとしていると厳しい寒さに襲われる。だから歩いた。名古屋駅の開放は早朝五時。飛び込んだ駅中で確かめた携帯の歩数計は三万五千歩を示している。足はパンパンで痛みが走った。
 始発の中央線に乗車した。ガラガラで好きな席に座れる。しかもポカポカと尻が暖かい。車窓から外を見ると、うっすらと雪景色である。七時前に恵那駅に着いた。
 恵那駅に岩村町から迎えのマイクロバスが来る時間は十時二十分過ぎ。三時間以上の待ち時間を無駄にしたくなかった。駅前を散策した。中山道大井宿という、よく股旅もの時代劇で聞き知った名所(?)を踏みしめて感慨を深くした。広重美術館の前をウロウロした。しかし、なんとも爽やかな町である。
 二十数分マイクロバスに揺られて着いた岩村町コミュニティセンター。粉雪が舞い始めている。首筋に忍び込む寒気に思わず首が縮んだ。しかし、会場に入ると、すべてが一変した。その他大勢ではない立場の心地よさは経験しないとまず分からない。それにしても、もう少し若い頃に味わいたかったなあ。
 クライマックス(?)場面で、自分の受賞作品を朗読した。久しぶりのの壇上で味わうプレッシャー。油断すれば震えはじめる足や手に意識を集中して、原稿を広げた。緊張が過ぎて、一部始終はよく覚えていない。朗読し終えて頭を下げた時に、初めて拍手が耳に小気味よく響いた。(やったー!)
「今日は遠いところを、ありがとうございました。いい作品でしたな」
 帰ろうとすると、恵那市長の笑顔が目の前にあった。首長直々に声をかけられる栄誉に、少し狼狽える。しょせん私は小物である。
 名古屋駅に着いたのは夕方の六時過ぎ。ネットで申し込んでいる深夜バスの乗車時間は真夜中の十二時半。六時間以上の待ち時間がある。それに昨日よりも寒さはきつい。
 フッと頭に浮かんだのは、息子の顔だった。
(もう一度、アイツの店に寄ってみるか…?)
 迷いは一瞬だった。
(いや、もういい…!)
 息子の元気な顔を拝めたのだ。それ以上望むのは欲と言うもの。それに、長男が歓待してくれるなど、まず考えられない。彼は店長、忙しい立場である。肉親の情をしつこく押し付けるなんて、父親の沽券にも係わる。
 私は歩き出した。別にアテはない。ただ思いはいっぱいだ。息子が近くにいる。それだけで充分なのだ。名古屋駅頭の人の流れはきのう以上だった。途切れる事のない雑踏に紛れ込んで、しばし孤独を忘れた。
 深夜バスは定刻に出た。リクライニングシートに身を委ねると、すぐ眠りに襲われた。
 
 
コメント
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