こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

コラム4

2015年02月21日 00時34分48秒 | Weblog
ニッコリ、車掌さん

 幼稚園と小一の子を連れ、二歳の子をだっこして大阪へ夫婦連れで出かけるはめに。夏休みでJRも阪急電車もギュウギュウ詰めで、座れることはまず絶望的でした。
 所用を済ませて帰る電車もやはり立つしかなく、その二人の子も、末っ子をだっこし続けの夫も、もう限界の様子で、ハラハラ。
 その時です。通りかかった阪急電車の車掌さん。若い方でした。子供にニコッとされると、キョロキョロ。そして「ちょっと待っててね」と、若い女の子がグループで座ってる席へ素早く行かれ、
「ごめんね。君ら、席譲ってくれへん?」
 と、まるで友達みたいな気軽さで声をかけられたのです。
 若い女の子たちも最初ビックリした感じでしたが、こちらを振り返ってやっぱりニコッ。サッと立ち上がり、
「どうぞ座ってください」。
「いや、いいです」
 と恐縮する私と夫でしたが、
「ハイ。ボクら、ゆっくり座ろうね」
 と、車掌さんは子どもたちをその席へ。結局、私たちも後に続きました。
「よかったね」とまたニッコリされた車掌さん。女の子たちに「どうもありがとうね」と会釈を残して立ち去られました。
 その車掌さんの手際のよさと、女の子たちの親切な対応といったら……。いまだかって若い人のそんな姿にお目にかかった経験のない、不運な私たちの目を開かせてくれたこの方たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。
(和子二十七歳時掲載)

七つの子
 身体の弱い子どもだった。よく熱を出しては寝込み、親父やおふくろに心配のかけっぱなしだった。いつだって、ウンウンいいながら寝ているそばに、おふくろはジッとつきっきりでいてくれた。
 気が遠くなりかけたとき、頭の濡れ手拭いが冷たく置き直された。そのヒヤッとする刺激に意識を取り戻した私は、のぞき込んでいたおふくろの顔をぼんやりと認めることができた。
 おふくろの口は何かを口ずさんでいた。眼はしっかりと私を見守っていた。指が布団の上から私の身体をポンポンと優しく叩いていた。「七つの子」のリズムに、自然と私の口も開いた。
 歌はおふくろがたぶんそれしか知らなくて、子守唄といえばそれだった。声を出す元気もない私の唇が、おふくろと見事にハーモニーしていた。    (恒義四十七歳時掲載)

汲み取りに落ちた亭主
 ウチの亭主は、トイレは水洗じゃないとダメなタイプ。でも私は、実家がいまなお汲み取り式という田舎の家庭で育ったから、どんなトイレでも平気なんです。
 さて、結婚して十数年になりますが、私の実家に一緒に帰ったのは数えるほど。理由は、亭主が「汲み取り式やとワシ、便秘になるんや」というから。だから帰省しても、亭主は便意を催すと、近所のスーパーか喫茶店に出かけて用を済ませるのです。
 ところがこれが、実家の両親にとっては気にくわない。
「田舎を馬鹿にしやがって!」となる。で、便所ひとつで私の実家とは疎遠になってしまいました。
「子どものときから水洗で育っているから、汲み取り式は、どうもイカン」が口癖の亭主。    
彼の関西にある実家だって、ひと昔前までは汲み取り式だったはずです。たかがトイレのことですが、私は結婚して以来、田舎モンの悲哀をしみじみ実感していました。
 ところが最近、何年ぶりかに亭主の兄さんが我が家に寄ったとき、何かのはずみでトイレの話になりました。そしたら、兄さんは、
「こいつは子どものころ、便所に落っこちよってな。それで長いこと怖くてトイレに行けんかったんや!」
 思わぬ亭主の過去に、私も子どもも大笑い。もちろん本人は苦笑いーー。
 何が便秘になるからや!汲み取り式が怖かっただけやんか。アホか!さァ、今度は有無をいわさず私の実家に連れて帰るぞ!と思っている私です。
コメント
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