こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

夢見心地

2015年11月21日 00時20分36秒 | 文芸


なんと25年も前に賞を頂いて雑誌上に掲載されたエッセーが再掲載したいとの依頼がありました。もう夢見心地ですね。

掲載許可依頼の書類と活字になった作品の校正刷りが同封されて手元に届きました。

またまた、なんと!原稿料までいただけるそうです。

25年の間に3度掲載されるなんて、なんとも不思議な感じ。

原稿は次の通りです。。

私の半生で最も痛烈な打撃だった。当時30歳、それまでは多少の波はあれこそ、幸運に恵まれトントン拍子にきていたせいもあって、失意のどん底を味わうこととなった。
 独立の夢を描き脱サラ、調理師学校を経てレストラン・喫茶店で修業を積み、ついに一軒の店を任されるまで7年がかり。兎より亀になるんだと、慌てず騒がず、じっくりと取り組んできた。しかし開店二年目、不景気風もあり、売り上げがジリ貧状態になった。
 いろんな対策を講じてはみたものの、悪い時には悪いことが重なるもので、売り上げが回復しないうちに体調を崩してしまったのである。店のオープン以来、年中無休の長時間労働に堪えてきたきたツケが回ってきたのだ。健康だけには自信があったのに……。
 オーナーは慰留してくれたが、自信をなくした私は結局辞めることにした。
 無職となり、失意にかまけてぶらぶらする毎日を送る私の唯一の希望は、結婚を前提に付き合っていたK子の存在である。
「まだ若いし、体さえ治せば必ず独立の夢がかなうわ。一緒に頑張ろうよ」
 そう励ましてくれたK子さえも、二か月後には、もう心変わりしていた。無理もない。まだ学生で将来の夢もいっぱいのK子に、デートするたびグチってばかりいる私の姿は、きっと耐えきれなかったのだろう。
「私、先生になるの。齋藤さんも頑張ってね。今までありがとう。……さようなら」
 K子は明るく笑って別れを言って去った。
 この失恋はとどめの一発となった。私の生活はどんどん乱れていった。働きもしないで毎晩のごとく飲み歩いた。
 父も母も呆れてはいたが、ただ黙って見ていた。病気と失職、失恋……これらの事情を知っていただけに何も言えずにいたらしい。
 しかし、僻み根性に染まっていた私には、両親の思いやりは逆に負担になった。(もう、どうにでもなれ!)と捨て鉢な気持ちで家に閉じこもる日が多くなり始めた。
 そんな時、調理師学校で得られた友人のO君から連絡があって、何年ぶりかの旧交を温めた。O君は6歳年下だったが、、調理のキャリアは私の倍以上だった。中学校を卒業した頃から喫茶店や食堂で働いていたらしい。そんな彼と出会ったのは調理師学校だった。
「齋藤さんが店長をやってた店に連絡したら、辞めたって聞いたんやけど、今どないしとんのや?」
 人の好いO君は、自分のことのように、心配げにあれこれ私の話を訊いてくれた。
 O君と会った時から不思議に素直な気持ちになっていた私は、堰を切ったように話していた。
「俺といっしょやな」
 笑顔そのままでO君はボソッと言った。
 O君は先手的な心臓障害を持っていて、これまでに数回手術を受けたことを話した。
「しゃあない、これも運命や思ってる。
 アッサリ言ってのけたO君は、脇の下の切開跡まで見せてくれた。
「こんなんあったら、女の子なんか誰も相手になってくれへんわ。無理あらへんけど……」
 若いのに悟りきった感じのO君。心臓障害と長年付き合って来たせいだったのだろう。
「いかん、いかん。こんな暗い話やめとこか。久しぶりやからパッと行こうぜ」
 O君は本当に嬉しそうな表情をつくった。
 その日、私とO君は一日中遊びまわった。パチンコ、打ちっ放しゴルフ、喫茶店、レストラン……夜になると酒を飲みに出た。
 もう楽しくてたまらなかった。一人で飲んでいた時の、あのクサクサしていた気分が嘘みたいに思えた。自分を取り巻く状況はまるっきり変わっていないのに、とにかく楽しかった。
「お互い頑張ろうや。俺、今、Yホテルのコックやっとるけど、来月から東京のホテルに移るつもりや。一流の腕、みがき上げるまで帰ってきやへんで」
「心臓の方、大丈夫なんか?」
「なんとかなるわ。今までもそないしてやってきたんやから。負けとったてしゃあない」
 O君と再会を固く約束し別れた。
 一週間後、私は経理学校に通い始めた。独立して店を持つ際に、必要な経理知識を身につけようと思い立ったからだ。体が少々本調子でなくても出来る勉強だった。
(負けてられないのだ!)O君と出会い語らったのが発奮材料になった。悪い状況でも、それなりに対応して前向きに生きているO君の姿を見せられては、私も甘えているわけにいかないと思ったのだ。
 東京に行ったO君からも電話が度々あった。
「負けんなよ。お互いの夢、実現させようぜ」
 自分でもビックリするぐらい力強い言葉が出た。それは私が自分に言い聞かせる言葉でもあったと思う。
 経理学校に通いだして体の回復は急テンポになった。健康を取り戻すと独立の夢にまっしぐらとなった。そして2年後、ついに喫茶店で独立!
 開店準備も兼ねての東京行きで、私はO君の勤めるホテルに宿泊した。もちろん、独立の報告は上京する前にしていたが、O君は大歓迎してくれた。夜の東京を案内してもらいながら、私は(ありがとう!)と呟き続けていた。(1990年作文)
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