朝早くに出かける予定が入り、
ラジオ体操は急遽中止することに。
準備もあり、またまた昔の原稿でお茶を濁します。
ご容赦を。
「ふるさと川柳公募」は3作品です。
イクメンの告白
四十にして惑わずと言う。
私の場合は四十を過ぎてなお戸惑いの渦中にあった。要因は『子育て』。ああ、何をかいわんやである。
四十面下げて、血液型はB型、そして射手座。無責任で何を仕出かすか分からぬタイプらしい。自分が可愛いので、子供はさほど好きじゃない。どちらかと言えば苦手だった。親に甘えても、甘える子供に自分の自由を束縛されるのは金輪際ご免。大人になりきれないオトナだった。
そんな男に子育ての大役(?)が回ってきた。皮肉と言えば皮肉な話。世の中は思うようにならないものだ。それに、「子育てなんて俺のガラじゃない」と頑強に拒んでいたのが、なんと見様見真似ながら子育てに入った。人間の覚悟も高が知れたものである。
平成元年六月。七年近く夫婦で切り盛りの喫茶店を廃業した。表向きの理由は別にして、たぶん疲れとマンネリ化に耐えられなくなったのだ。
表向きの理由のひとつが、我が子を守るための親の決意。当時生後五か月になる赤ん坊。二人目の息子でリューゴ。ひどいアトピーだった。上に女の子と男の子で三人の子供を抱えての商売を余儀なくされていた。
上の二人は私の母に世話を押し付けて、リューゴは喫茶店の棚に寝かせてのパパママ営業である。ところが、アトピーの症状が出た。喫茶店は忙しくなると、満員の店舗内に白い紫煙が溢れた。アトピーにタバコの煙はどう考えても天敵だ。症状がひどくなる赤ん坊を見かねて廃業の考えが頭に浮かんだ。
しばらく商売のやり方に工夫を重ねて頑張ったが、結局店は閉めた。
「お父さんにリューゴを任せても大丈夫なの?」
妻はえらく心配して何度も念を押した。
四十を過ぎた中年男より一足早く仕事を見つけた二十代の妻。おのずから、子供の面倒を見るのは、仕事なしの中年男と定まった。上の二人の子育てにはこれまで一貫して「われ関せず」を押し通して平気な顔を決め込んでいた夫に懐疑的なのは当然過ぎる。
「しゃーないやないか。お前は仕事で稼ぐ。手がすいてるのは俺だけ。どない譲っても、子育てと家事は俺の担当やがな」
「でも……?」
「心配すな。たかが赤ん坊ひとりぐらい……何とかなるわいな」
「やってみるしかなさそうね」
「ああ。案ずるより産むが易しや。任しとけ」
夫婦が了解点に達した直後から、じわじわと不安は押し寄せた。
七月一日。子育てはスタート。
すでに五月半ばから保母として働く妻。早朝六時半には家を出る。帰宅は夜八時。そこで妻がいない朝から夜にかけて十二時間前後が、私の子育てタイムとなる。赤ん坊の世話だけではなく、上の二人も当然子育ての対象である。
朝八時にはやって来る保育園の通園バスに二人を乗せると一件落着。それまでに起こしてトイレ、洗顔歯磨き、着替えさせて朝食を摂らせる。書けば簡単だが、初日はいやもうてんてこ舞いした。それでもバスを見送ると、彼らは五時の出迎えまで気にしなくて済む。残るは赤ん坊のリューゴだけである。
(たかが赤ん坊のひとりぐらい……目じゃないよな)その自信と楽観は初日からガラガラと崩れ落ちた。
散々振り回されたのはオムツ替え。リューゴが泣き声を上げるたびに、ある判断を迫られる。おなかが空いたのか?どこか具合が悪いのか?そして、オムツが汚れたのか?あるいは機嫌を損ねているのか?(何なんだ?)
頭に手を当てて熱があるかどうかを見る。生後五か月なら赤ちゃんは母親から貰った免疫力でめったに病気をしないと、妻が教えてくれた。さほど気が入らない。おなかが空いたかどうかは後回しだ。とりあえず赤ちゃんが付けたオムツに鼻をくっつけて匂いを嗅ぐ。すぐにわかる異臭だと、オムツは手のつけられない惨状だ。少々の糞尿では、よほど神経を研ぎ澄まさないと嗅ぎ分けられない。オムツ替えがまた大変だ。根が不器用なのだ。オムツから汚物を転げ落としたり、手にグッチャリ。(もう、いやだ!)
だが、逃げてはいられない。ウンチやオシッコの色・匂い・硬さ・回数……観察は欠かせない。事細かにメモる。いやはや!
「どうやった?リューゴのご機嫌はいいかな?お父さん子だね、リューゴは」
仕事から帰った妻の第一声。やけにはしゃぎ気味だ。(他人事だと思いやがって……!)それにしても、妻の軽口を簡単に受け返す気力がない。子育てで使い果たしてしまった。
「大丈夫?声も出ないほど疲れてるんだ。たった一日よ。本当に続く?」
「ああ。もう今日で大体のコツは掴んだ」
負けず嫌いなのだ。精一杯気張って答えた。
一週間も経つと、もう慣れっこ。オムツ替え、哺乳、そして背中をさすって「ゲップ!」もう何でも来い。お父さんはここにいるぞ!
徐々に幸せ気分を味わうまでになった。まだお座りも出来ない赤ん坊に名前を呼んでやる。「リューちゃんリューちゃん、ほらおとうさんだよ。あばば」赤ん坊がにっこりする。まさに天使の頬笑みだ。疲れから生まれたイライラ気分が吹っ飛ぶ。
母親譲りの免疫力が頼りに出来なくなるころから、松田道雄の『育児百科』が愛読書になった。添い寝をしながらページを開く。ぼろぼろになるまで読んだ。非常にありがたい本だった。曲がりなりにも子育てが無難に進んだのは、この本のおかげだった。
お座りができ、はいはいも。もう可愛くて堪らない。目に入れても痛くないってのが実感できる。子供は面倒で邪魔と思いがちだったのがウソみたいな子煩悩になった。子育ては父親に母性をプレゼントしてくれた。リューゴは私を母親と認めたのだ。くすぐったい思いが頭を支配する。
「最近、えらくいい顔になって来てる」
「そうか?うん、そうだよな」
妻に底抜けの笑顔を返した。
「子育ても、いいもんや」
自然に口をついて出た。
「あなた。リューゴが寝てくれないの」
妻が訴えた。久々の休みで、妻はリューゴの昼寝に添い寝中だった。それが寝てくれないだと。思わずニンマリ。出番だ!
「どうした?リューちゃん。ねんねしないの?」呼び掛けると、リューゴはこちらを向いた。ニッコリ。いきなりこちらへハイハイで突進だ。
「おいおい、どうしたんだ?りゅーちゃん」
抱き上げると、リューゴは服を掴む。
「ネンネ……ネンネ」
どうやら眠くて堪らない様子。しきりに可愛い欠伸をした。つぶらな手は両方ともしっかりと掴んで離さない。
「そうかそうか。じゃネンネだ」
リューゴの小さい体を胸に収めて、ごろんと寝転んだ。いつもの胸。ゆりかごのここち良さをくれる胸。赤ん坊の緊張が解けていく。
「かーらーす~♪、なぜなくのー♪」
いつもの子守唄だ。そうっと背中を撫でてやる。リューゴはすぐ寝入った。安心しきって胸の中で夢の世界に入り込んでいく。
「負けたんだ。お母さんがお父さんに負けちゃった。これ信じられる?」
口調とは裏腹に妻の顔は明るく崩れる。
「なーに。ただの慣れ。生みの親より育ての親なんだぞ」
「よく言うわね。あなたも私も生みの親。どちらが欠けてもいけないの」
「そうだな。よっしゃ、勝ち負けは無し!」
妻が噴き出した。そして私も笑った。
子育ては一段落した。
弁当製造会社に就職も決まった。夕方から翌朝にかけての夜勤だ。どうやら、もう子育てを卒業するしかなさそうである。
痛々しかったアトピーももう目立たない。上の二人と駆け回っているリューゴ。すっかり逞しく育った。
「元気になったね。兄弟ん中で一番の暴れん坊よ。やっぱりお父さん子だけある」
「まあな。うん、男の子はあれくらい元気なんがいい」
妻は何度も頷いた。
「あなた。やっと父親に戻れるね」
「父親?母親の間違いじゃないのか?」
「駄目よ。母親は私。絶対譲らないから!」
ある出版社の子育て座談会に呼ばれた。「子育て体験エッセー公募」に入選したからだった。出席の顔ぶれをみると、父親は私だけ。場違いに思いながらも、今で言う『イクメン』を代表して座談に加わった。
「それでは、齋藤さんの子育て体験をお願いします。めったにない男性の子育てを通じた貴重な意見を聞けると思います」
女性編集者が順番を私にふった。
好奇の目を向ける母親たちを尻目に、迷いのない持論を滔々と述べた。
「女にしか、母親にしか子育ては出来ないと思わないでください。そんな思い込みや偏見が、いつまでも父親を子育てから弾き出してしまうんです。実はひょんなことから子育てを体験しました。五か月の赤ちゃんを一歳半まで育てたんです。それはもう大変でした。見る事やる事知恵を働かせること、すべて赤ちゃんが主役です。まず慣れる。そして乗り越える。父親でありながら母性らしきものを手に入れた時、私は大きく成長しました……」
いきなりの子育て。面くらいながら懸命に。そして得た喜びと愛。父が母になる……!
私は喋り続けた。記憶を確認しながら。
ラジオ体操は急遽中止することに。
準備もあり、またまた昔の原稿でお茶を濁します。
ご容赦を。
「ふるさと川柳公募」は3作品です。
イクメンの告白
四十にして惑わずと言う。
私の場合は四十を過ぎてなお戸惑いの渦中にあった。要因は『子育て』。ああ、何をかいわんやである。
四十面下げて、血液型はB型、そして射手座。無責任で何を仕出かすか分からぬタイプらしい。自分が可愛いので、子供はさほど好きじゃない。どちらかと言えば苦手だった。親に甘えても、甘える子供に自分の自由を束縛されるのは金輪際ご免。大人になりきれないオトナだった。
そんな男に子育ての大役(?)が回ってきた。皮肉と言えば皮肉な話。世の中は思うようにならないものだ。それに、「子育てなんて俺のガラじゃない」と頑強に拒んでいたのが、なんと見様見真似ながら子育てに入った。人間の覚悟も高が知れたものである。
平成元年六月。七年近く夫婦で切り盛りの喫茶店を廃業した。表向きの理由は別にして、たぶん疲れとマンネリ化に耐えられなくなったのだ。
表向きの理由のひとつが、我が子を守るための親の決意。当時生後五か月になる赤ん坊。二人目の息子でリューゴ。ひどいアトピーだった。上に女の子と男の子で三人の子供を抱えての商売を余儀なくされていた。
上の二人は私の母に世話を押し付けて、リューゴは喫茶店の棚に寝かせてのパパママ営業である。ところが、アトピーの症状が出た。喫茶店は忙しくなると、満員の店舗内に白い紫煙が溢れた。アトピーにタバコの煙はどう考えても天敵だ。症状がひどくなる赤ん坊を見かねて廃業の考えが頭に浮かんだ。
しばらく商売のやり方に工夫を重ねて頑張ったが、結局店は閉めた。
「お父さんにリューゴを任せても大丈夫なの?」
妻はえらく心配して何度も念を押した。
四十を過ぎた中年男より一足早く仕事を見つけた二十代の妻。おのずから、子供の面倒を見るのは、仕事なしの中年男と定まった。上の二人の子育てにはこれまで一貫して「われ関せず」を押し通して平気な顔を決め込んでいた夫に懐疑的なのは当然過ぎる。
「しゃーないやないか。お前は仕事で稼ぐ。手がすいてるのは俺だけ。どない譲っても、子育てと家事は俺の担当やがな」
「でも……?」
「心配すな。たかが赤ん坊ひとりぐらい……何とかなるわいな」
「やってみるしかなさそうね」
「ああ。案ずるより産むが易しや。任しとけ」
夫婦が了解点に達した直後から、じわじわと不安は押し寄せた。
七月一日。子育てはスタート。
すでに五月半ばから保母として働く妻。早朝六時半には家を出る。帰宅は夜八時。そこで妻がいない朝から夜にかけて十二時間前後が、私の子育てタイムとなる。赤ん坊の世話だけではなく、上の二人も当然子育ての対象である。
朝八時にはやって来る保育園の通園バスに二人を乗せると一件落着。それまでに起こしてトイレ、洗顔歯磨き、着替えさせて朝食を摂らせる。書けば簡単だが、初日はいやもうてんてこ舞いした。それでもバスを見送ると、彼らは五時の出迎えまで気にしなくて済む。残るは赤ん坊のリューゴだけである。
(たかが赤ん坊のひとりぐらい……目じゃないよな)その自信と楽観は初日からガラガラと崩れ落ちた。
散々振り回されたのはオムツ替え。リューゴが泣き声を上げるたびに、ある判断を迫られる。おなかが空いたのか?どこか具合が悪いのか?そして、オムツが汚れたのか?あるいは機嫌を損ねているのか?(何なんだ?)
頭に手を当てて熱があるかどうかを見る。生後五か月なら赤ちゃんは母親から貰った免疫力でめったに病気をしないと、妻が教えてくれた。さほど気が入らない。おなかが空いたかどうかは後回しだ。とりあえず赤ちゃんが付けたオムツに鼻をくっつけて匂いを嗅ぐ。すぐにわかる異臭だと、オムツは手のつけられない惨状だ。少々の糞尿では、よほど神経を研ぎ澄まさないと嗅ぎ分けられない。オムツ替えがまた大変だ。根が不器用なのだ。オムツから汚物を転げ落としたり、手にグッチャリ。(もう、いやだ!)
だが、逃げてはいられない。ウンチやオシッコの色・匂い・硬さ・回数……観察は欠かせない。事細かにメモる。いやはや!
「どうやった?リューゴのご機嫌はいいかな?お父さん子だね、リューゴは」
仕事から帰った妻の第一声。やけにはしゃぎ気味だ。(他人事だと思いやがって……!)それにしても、妻の軽口を簡単に受け返す気力がない。子育てで使い果たしてしまった。
「大丈夫?声も出ないほど疲れてるんだ。たった一日よ。本当に続く?」
「ああ。もう今日で大体のコツは掴んだ」
負けず嫌いなのだ。精一杯気張って答えた。
一週間も経つと、もう慣れっこ。オムツ替え、哺乳、そして背中をさすって「ゲップ!」もう何でも来い。お父さんはここにいるぞ!
徐々に幸せ気分を味わうまでになった。まだお座りも出来ない赤ん坊に名前を呼んでやる。「リューちゃんリューちゃん、ほらおとうさんだよ。あばば」赤ん坊がにっこりする。まさに天使の頬笑みだ。疲れから生まれたイライラ気分が吹っ飛ぶ。
母親譲りの免疫力が頼りに出来なくなるころから、松田道雄の『育児百科』が愛読書になった。添い寝をしながらページを開く。ぼろぼろになるまで読んだ。非常にありがたい本だった。曲がりなりにも子育てが無難に進んだのは、この本のおかげだった。
お座りができ、はいはいも。もう可愛くて堪らない。目に入れても痛くないってのが実感できる。子供は面倒で邪魔と思いがちだったのがウソみたいな子煩悩になった。子育ては父親に母性をプレゼントしてくれた。リューゴは私を母親と認めたのだ。くすぐったい思いが頭を支配する。
「最近、えらくいい顔になって来てる」
「そうか?うん、そうだよな」
妻に底抜けの笑顔を返した。
「子育ても、いいもんや」
自然に口をついて出た。
「あなた。リューゴが寝てくれないの」
妻が訴えた。久々の休みで、妻はリューゴの昼寝に添い寝中だった。それが寝てくれないだと。思わずニンマリ。出番だ!
「どうした?リューちゃん。ねんねしないの?」呼び掛けると、リューゴはこちらを向いた。ニッコリ。いきなりこちらへハイハイで突進だ。
「おいおい、どうしたんだ?りゅーちゃん」
抱き上げると、リューゴは服を掴む。
「ネンネ……ネンネ」
どうやら眠くて堪らない様子。しきりに可愛い欠伸をした。つぶらな手は両方ともしっかりと掴んで離さない。
「そうかそうか。じゃネンネだ」
リューゴの小さい体を胸に収めて、ごろんと寝転んだ。いつもの胸。ゆりかごのここち良さをくれる胸。赤ん坊の緊張が解けていく。
「かーらーす~♪、なぜなくのー♪」
いつもの子守唄だ。そうっと背中を撫でてやる。リューゴはすぐ寝入った。安心しきって胸の中で夢の世界に入り込んでいく。
「負けたんだ。お母さんがお父さんに負けちゃった。これ信じられる?」
口調とは裏腹に妻の顔は明るく崩れる。
「なーに。ただの慣れ。生みの親より育ての親なんだぞ」
「よく言うわね。あなたも私も生みの親。どちらが欠けてもいけないの」
「そうだな。よっしゃ、勝ち負けは無し!」
妻が噴き出した。そして私も笑った。
子育ては一段落した。
弁当製造会社に就職も決まった。夕方から翌朝にかけての夜勤だ。どうやら、もう子育てを卒業するしかなさそうである。
痛々しかったアトピーももう目立たない。上の二人と駆け回っているリューゴ。すっかり逞しく育った。
「元気になったね。兄弟ん中で一番の暴れん坊よ。やっぱりお父さん子だけある」
「まあな。うん、男の子はあれくらい元気なんがいい」
妻は何度も頷いた。
「あなた。やっと父親に戻れるね」
「父親?母親の間違いじゃないのか?」
「駄目よ。母親は私。絶対譲らないから!」
ある出版社の子育て座談会に呼ばれた。「子育て体験エッセー公募」に入選したからだった。出席の顔ぶれをみると、父親は私だけ。場違いに思いながらも、今で言う『イクメン』を代表して座談に加わった。
「それでは、齋藤さんの子育て体験をお願いします。めったにない男性の子育てを通じた貴重な意見を聞けると思います」
女性編集者が順番を私にふった。
好奇の目を向ける母親たちを尻目に、迷いのない持論を滔々と述べた。
「女にしか、母親にしか子育ては出来ないと思わないでください。そんな思い込みや偏見が、いつまでも父親を子育てから弾き出してしまうんです。実はひょんなことから子育てを体験しました。五か月の赤ちゃんを一歳半まで育てたんです。それはもう大変でした。見る事やる事知恵を働かせること、すべて赤ちゃんが主役です。まず慣れる。そして乗り越える。父親でありながら母性らしきものを手に入れた時、私は大きく成長しました……」
いきなりの子育て。面くらいながら懸命に。そして得た喜びと愛。父が母になる……!
私は喋り続けた。記憶を確認しながら。