震災のニュースに心を痛めるたびに、
思い出す彼女の笑顔。
あの逞しさと明るさは、
私の危機を救ってくれたのだ。
あのバイタリティは、
今もたくさんの人に歓迎されているのだろうな。(ウン)
あの出会いの日々は、
今もはっきり覚えている。
「手伝います、マスター」
近くの予備校に通う女性だった。
予備校に通う道沿いで喫茶店をやっていた。時々フラーッと珈琲を飲みに立ち寄る彼女とは話したことはなかった。飲み終わると「ご馳走さん」と笑顔をみせて店を後にするので、なんとなく記憶している。
いつもは妻と二人で切り盛りするお店も、きょうはわたしひとりだった。生後まもない娘が高熱を出し、病院に慌てて向かった妻から連絡が入らなくて、気が気がじゃなかったが、いつも通り店を開けていた。
モーニングタイムは妻とふたりでもきりきり舞いするのに、覚悟を決めて臨んだ。途中にでも妻が帰ってきてくれると淡い希望もあったが、現実は厳しかった。
次から次へと来るお客さんに、もう必死。それでも手が回らない。(もう駄目だ!)と諦めかけた時に、声を掛けてくれた彼女。まさに天の助けだった。
常連客だけに接客の仕方を心得ていた。
「これ何番テーブルやね」「モーニングみっつです」「お絞りなくなったので補充します」
手際のいい彼女のおかげで、わたしは調理に専念、忙しい時間を乗り切った。
店が落ち着くと「時間だから行ってきます」と予備校に駆けていった。「お礼もいえなかったなあ」と気にしていると、ようやく妻が帰ってきた。
娘は子供の難病病と診断され、即入院となったらしい。用意をしてまた病院に向かうという妻に、さっき助けられた話をした。
「ああ彼女やね。よかったね、予備校に行く途中で」
妻のよく知る女性客だった。そういえば、ホール担当の妻が愉しく話していたのを思い出した。
予備校に併設の水泳教室のコーチらしい。神戸から姫路まで通っていると聞いて驚いた。
「震災で大変な目にあって、こちら姫路でお世話になっていま~す」けらけらと笑い飛ばす彼女に妻は強い刺激を受けたという。
翌日、暇な時間に前を通りかかった彼女を呼び止めて、珈琲をふるまった。お礼を言うと彼女は明るく笑い飛ばした。
「お互いさまです。困っているときは助けあわなくっちゃ」
彼女の人柄もあるのだろう、話が弾んだ。震災で避難した先で受けたいろんな人の優しさを聞かされた。実は私も炊き出しボランティアで西宮へいっている。他人事に聞ける話ではない。すべてを失っても、あの優しさに包まれたら「やらなきゃ!」って顔が上がりました。彼女の逞しさに見惚れてしまった。
その後も忙しくてバタバタしていると、当然のように彼女の救いの手が伸びてきた。
残暑お見舞いのはがきを手に、彼女にもう一度会いたくなった。きっと肝っ玉母さんだ。シニアになったわたしも負けてはいられないぞ。