こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

イクメンだったのだ

2015年08月07日 13時10分01秒 | 文芸
 長女はお祖母ちゃん子、長男は曾祖母ちゃん子、二男はお店の棚で育った。
 夫婦で喫茶店をやっていたせいで、その時その時に子育て役は違った。
 末娘が生まれると、喫茶店は廃業して、夫婦共稼ぎに。夜勤専従のわたしが朝から夕方まで赤ん坊の世話を引き受けた。
 とはいえ、子守など全く経験がない。ちょっと抱いたり、あやしたりとは違う。8時間近く赤ん坊べったりの生活を送るのだ。
 しかし案ずるより易し。覚悟を決めると、とんとん拍子だ。
 寝ていれば添い寝。泣き出せば(おしめか?哺乳瓶化?病気?)と頭をひねる。後はとにかくやってみるだけだ。
 でも泣き続けていれば、赤ん坊を胸の上にのせて寝転がる。そして、歌う。子守唄ならぬ童謡オンパレード!言葉にすればカッコいいが、覚えているのは数曲で、歌詞は1番のみ。いまでも歌を覚えるのは苦手中の苦手。
 歌っていると、なんとも不思議に赤ん坊はスヤスヤ。歌の効果以上に、ピッタリ合わさった父親の胸の鼓動が、揺り籠がわりになったのかも知れない。
 その娘ももう高校生。父親の出番は、これから先、一度ぐらいはあるだろうか?
(2013・7・13原稿)

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ながら新聞

2015年08月07日 09時52分42秒 | 文芸
朝起きると、真っ先に新聞受けを覗く。
 トイレにこもるのに欠かせないアイテムだ。トイレが長いせいもあるが、とにかく朝刊がないと、いちにちが始まらない。
 用を足しながらしんぶっを開く。1面からテレビ欄までひととおり目を通すのが日課となっている。いちにちの話のネタを頭に入れる。
 新聞との付き合いはこれだけでは終わらない。仕事先の休憩室には自宅の愛読紙とは違う全国紙。休憩時間は必ず新聞に首ったけとなる。同じ出来事でも新聞の扱いはそれぞれ傾向が違うのが面白い。
 仕事を終えて帰宅すると、さっそく新聞に手が伸びる。夕食の間中、新聞片手だから、家族が呆れている。
 テレビ欄でチェックした番組を見ながら、やはり新聞をチラチラ。スポーツ欄、世界の情報記事、経済の動きまで、お得意のながら読みである。
 マートンの復活に(へえ?)なんて驚く。アセアンでの日本外交の相変わらずさに歯がゆさに、ちょっと憤慨してみたり。
 家族が寝静まった夜遅くから深夜へ、自室で、やはり新聞を開く。家庭欄に文化欄、そして読者の投稿欄だ。
 一番念入りに目を通す。やはり自分の同じ立場の庶民の意見や姿に共感を覚えるのだろう。彼らの文面に鼓舞されて、わたしも投稿文を書く。時々掲載される喜びは格別だし、新聞代がおおいに助かる。
(2015・8・2原稿)

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チョコの味

2015年08月07日 02時32分34秒 | 文芸
23歳でアパートのひとり暮らし。
 レストランの残業を終えると、もうクッタクッタ。帰宅するやいなやバタン・キュー!そして休日はゴロゴロ。
 そんな毎日の繰り返しで、職場以外で誰かと付き合う機会など皆無。まして社交性はゼロときている。青春の謳歌など、どこか遠くの話だった。
 2月14日。バレンタインデー。しかし、わたしには何も関係のない行事である。義理チョコすらご相伴に預かるためしはなかった。
その日も職場の調理場で黙々と料理を作るだけだった。
「帰ってるのん?」
 アパートを訪れたのは、なんと調理場の洗い場で働くパートのおばさん。アパートの近くに住んでいると知っていたが、職場では、おばさんの他愛ないグチの聞き役でしかない。それが、なぜ?
「誰にも貰うてないやろ思うてな。はい」
 おばさんの手にはリボンで包装されたチョコの包みがあった。
「息子みたいなあんたが、チョコの日にしょんぼりしとったら、そらもう気になるがな。さあ、チョコで元気つけてや。若い͡娘やのうてごめんやけど」
 おばさんの帰ったあと、ひとりで齧ったチョコ。目元が潤むのを抑えられなかった。
 苦くて甘い、あのチョコの味が届けられたから、わたしの青春はきっと救われたに違いない。
(2014・1・27原稿)
 
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邪魔だよ

2015年08月07日 02時03分24秒 | 文芸
 田舎で生まれ育ったわたしが、いちばん安心して熟睡できたのが、座敷に敷かれた布団の中。
 綿を打ち直して長年くり返し使われた布団だ。いつだって温かく包み込んでくれた。
 そんな私だけに、ベッドは病院の入院患者や別の世界の人が使うものと、ズーッと思い込んでいた。
 結婚して妻の花嫁道具にあったダブルベッドを目の前にして、(これが…!)と息を呑んだものだった。
 恐る恐る触れてみた。ベッドにコワゴワ寝そべった。豪華なフワフワベッドの感触はみるみるわたしを魅了した。これまでに感じたことが無い心地よさだった。
 でも何か落ち着かない。ベッドは、どこまでもどこまでも沈み込んでいく。
 結婚1年でベッドは物置に仕舞い込まれた。
「布団がいい!」
 と言い出したのは妻だった。もちろんわたしに異存はない。座敷の間に布団を敷いた。
 久しぶりの布団の感触に、子どもに返って転げ回った。フワフワベッドには出来ないことだった。妻も負けないはしゃぎぶりを見せた。
「修学旅行みたい。まくら投げやろうか!」
 結局得矢を陣取る豪華ベッドが邪魔にあった。いつか豪邸に住めるようになったら、ベッドを戻そうと了解し合ってから、もう33年。ベッドの出番は、まだない。
(2000・10・8原稿)

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見知らぬ駅前散歩

2015年08月07日 00時31分45秒 | 文芸
 独身時代。仕事からアパートの自室に帰り着くと、ドーッと倒れこんだ。そのまま眠りこむのがしょっちゅうだった。目が覚めると、真夜中か明け方だった。疲れはたまるばかりだった。

 仕事はレストランのコック。朝早く出勤して仕込みにかかる。食材のカットから下拵えまで。あとはソースを煮込む。カレーやデミグラスソースまで。マヨネーズも手作りだ。ハンバーグも手でこねて焼く。夜は客が帰るまで仕事が続く。仕事の終わり時間は、その日対応でいつ終わるか予測はつかない。疲れるのはしごく当然である。

 月に3度の休日が待ち遠しくてたまらなかった。

 休日になると、寝るのも惜しんで朝早く電車に飛び乗る。座席を確保するとすぐ眠り込む。目が覚めた駅で下車する。駅に降り立つと、見知らぬ街の風景が迎えてくれる。何も気兼ねはせずに済む。心を開放して、駅前の通りを歩いて回る。ひなびた商店街も心を癒してくれる。肉屋でコロッケを買い、さびれた食堂で素うどんをすする。時間が止まったようだ。

 帰りの電車に乗車する頃には、仕事のウサやストレスが不思議と晴れている。車窓から眺める沿線風景も、生きている実感を思い出させてくれる。

 あの頃、唯一楽しい時間の過ごし方だった。いまも思い出すと、不思議に心があったかくなり、自然と相好が緩む。
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ツボミ松茸

2015年08月06日 20時32分07秒 | 文芸
子どもの頃の秋。
 田舎の山は知る人ぞ知るマツタケの産地だった。マツタケが生える時期は、一家総出で山に入った。どこの家も似たようなものだった。
 当時の農家は貧しかった。山の幸は、いい臨時収入になったのだ。特にマツタケは別格。わざわざ買い付けの業者が足を運ぶほどだった。
 1回山に入ると、籠に入りきれないぐらい採れた。業者は選別して値段をつけて買い取った。
「こりゃカサが開いてしもうとるわ。惜しいのう。値打ちは半分になるぞ」
 同じマツタケでも開きとツボミに分類された。花のツボミと違って、ツボミのマツタケはかなり高い値段で買ってくれた。
 子どもごころには不思議だった。開いたカサのマツタケの方が立派に見えた。つぼみのマツタケは、まるでコケシに似た形で、とても好きにはなれなかった。
 ただマツタケ狩りに掛かると、大人顔負けに欲張りになった。眼の色を変えて、ツボミマツタケを求めて山を駆け巡った。お小遣いが増えるのだ。つぼみマツタケは子どもの味方だった。
(2014・2・1原稿)

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カンカンカラカラ

2015年08月06日 19時07分57秒 | 文芸
 25年前。
 新しい家を手に入れた時、家を囲む敷地にくまなく樹木や草花を植え付けた。田舎育ちだから、植物と触れ合う環境がほしかったのだ。
 おかげで桜やツツジ、宿根層の花々が、季節ごとに心を慰めてくれる。
 ところが、彼らの世話が大変この上ない。住宅用の敷地だから、水捌けが良すぎる。暑い時は充分過ぎるほど水やりをしてやらないと、すぐ地面が渇いて植物が涸れてしまうのだ。
 真夏になると、もう非常時だ。1日に2,3階以上も水をやらないと、もうカラカラ状態に。水道を使うと、高くついて勿体ない。近くにある水路で水をくみ上げてえっちらおっちら運ぶはめになる。
 バケツいっぱいの水は、なんとも焼け石に水だ。何度も何度も運ぶ。全体にたっぷりと水をやり終えると、もう汗まみれでへとへとになっている。
 今夏の酷暑は記録的で最悪だった。水をやってもやっても、到底おっつかない。すぐに蒸発して地表は乾ききったまま。神頼みは時々激しく降ってくれる夕立だけ。
 そんな過酷な環境下でも、木々はかなり大木に育った。水が乏しい乾いた地面に25年。すごい生命力だ。
(2010・9・16原稿)

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もうちょっとや

2015年08月06日 16時05分57秒 | 文芸
玄関の開き戸のカギがおしゃかになった。
 さっそく男の出番。ドライバーで止めねじを緩めて、鍵の部分をごそっと外した。
(さて?)
 裏に表といじくりまわしたが、さっぱり分からない。プッシュ式よりボックス式のカギはどうも複雑すぎる。こりゃお手上げ状態
である。
「鍵屋さんに頼もうか?」
 見兼ねた妻がポソッと。
 しかし、そう簡単に降参するわけにはいかない。一度手を付けたのだ。あっさり引き下がるのはプライドが傷付く。
「俺にまかしとけ」
 もう強がりで通すしかない。
 慌てて本屋に直行。自分で修理のムック本を買った。立ち読みしたページには、カギ、蛇口……イラスト付きで解説されてある。(これは、いいぞ!)と買ったのだ。
(これなら簡単じゃないか。いけるいける)
 意気揚々と再挑戦…。「ん?」なんだ、これは。掲載されてある修理道具がない。ドライバー1本では出来ないぞ!手持ちの工具が応用できるなら、今ごろは修理も済んでいるよなあ。ホームセンターに走った……?
 あれから3ヶ月。
「もうちょっとや」の連発も、そろそろ限界。
「ああ、忙しいんでカギに掛っとられへんわ。しゃーないわ。どっか専門の床に頼んで来い」
「ハイハイ」
 心得たとばかりに妻。こうなることは想定内と割り切っている。そういや、これで何度目だっけ……?
(2012・8・21原稿)
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ギリギリ

2015年08月06日 13時43分39秒 | Weblog
宿題を先にやって夏休みを思い切り楽しもう!なんて冗談でしょう・自慢jじゃないがが夏休みの宿題を先にやるどころか、毎日、ドリルや絵日記を開言ったことは皆無だった。毎年、始業式寸前になって家族総出で宿題に取り組んだものだ。当時は、それが子供たちの恒例行事だとすっかり思い込んでいたのかもしれない。ひどい時には始業式がおわった後も宿題にくびったけだったこともある。おかげで、その後も大事なことを一夜漬けで間に合わせたり、ヒヤヒヤ時五木の人生を送っている。ちなみに公募なんかも消印ぎりぎりで送付する。不思議にゆとりを持ったものより、入選の確立が高いと思うのは身勝手なんだろうか?
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ホッとするなあ

2015年08月06日 11時46分24秒 | 文芸
 愛犬が老衰で天国に召されたのは、昨年の夏。
 愛犬に癒される機会が多かったせいで、ポッコリあいた穴は埋めがたく、実に寂しい限り。そこで家族に提案した・
「どや、あのコの代わりになってくれるワンちゃんを飼わないか?」
「うん。もっと身近で飼えるペットがいい」
 高校生の末娘が言い出した。愛犬の散歩に振り回された日々や、最期を看取った辛く悲しい体験が、かなり影響しているのだろう。
 ハムスター2匹とモルモット1匹が、わが家の一員になったのは、それからすぐだった。
 娘の部屋にケージが並んだ。小さい頃から動物好きだった彼女には、これ以上はない夢の実現である。
 学校から帰ると、ケージの前に直行。膝の上にちょこんと乗っかった小動物に話し掛ける娘。あふれる彼女の優しさに、心がホッと休まる。
 でも、犬は外で買うのが常識で育ったわたしには、小動物とは言え、屋内プチ動物園を見る度に、(うーん!)と唸ってしまう。
 そんなわたしも、いつしか…。
 ケージ越しに彼らと目が合うと、もう駄目だ。胸が温かくなり、自然とほお笑んでいる自分に気付く。
 人間て根は優しすぎる動物なんだな。
(2014・1・22原稿)

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