こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

いまだから振り返れる

2019年01月19日 00時13分04秒 | Weblog
 ガクッ!いきなりの衝撃が来た。(えっ?なに?)と呑気過ぎる反応は意外だった。
 愛車の横腹を、横道から飛び出した車に直撃されていた。弾みで車体は一回転、道沿いにあった倉庫の壁に跳ね返され、横倒しで対向車線を遮る恰好でようやく停止したが、何が起こったのか理解できぬままだった。といって狼狽えは全くしなかった。時間が止まって見えたといっていいのかも知れない。
 現実を取り戻すと、体が宙づりになっているのに気付いた。シートベルトに縛られた状態だった。下を見ると娘の目に出会った。通学のため、最寄りの駅に送る途中だった。
「大丈夫か?」「うん」「よかった」
 助手席の娘を見下ろす形で、なんとも場違いに思える父と娘の冷静過ぎる会話だった。
 救急車が来るまで、父と娘の睨めっこは続いた。まるで遊んでいるかのような錯覚を覚えた。事故に遭遇した危機的状況なのに、普段と同じ、興奮も切迫感も、まるでなかった。
 救急車が来ると、親子は問答無用で引き離された。緊急搬送された病院で、上着も下着も切り裂かれ丸裸にされるがままだった。
「〇〇さん!痛いところありませんか?」「返事して下さい!」「吐き気はありますか?」
 矢継ぎ早に救急医療スタッフに問いかけられた。それにすかさず反応できるほど器用ではない。(なんだよ)と問い返す間もなく、МRIのマシーンに放り込まれていた。
「あの子、かなり離れた病院に運ばれてね、大変な目にあったんよ。泣いてたわ」
 駆け付けた妻が口を挟ませない勢いで、娘の状況を克明に喋りまくった。「うん、うん」と頷くのが精一杯だった。結局、家族以外の面会が許されない入院生活を、一週間送り。頸椎捻挫の検査などを繰り返し受けた。
 周囲がバタバタしているのに、当の本人はケロッ、実に冷静そのものだった。
 交通事故の被害者が、徹底した俎板の鯉にされる体験は、二度と味わいたくない。
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あのころ

2019年01月18日 09時33分47秒 | Weblog
定年退職して、しばらくすると、「ハッ!」と気づいた。何にもないのだ、自分のすることが。したいことも…ない。家でゴロゴロも、長くなると飽きるし、家族の嫌みを聞き流しながらで、空しいだけだ。
(これは大変だぞ。まだ十年以上も生きていかなければいけないのに、どうする?)
 ふら~っと家を出た。目的もなく歩いた。いつの間にか辿り着いたのは……。
 廃止寸前まで追い詰められながら、図太く生き残った国鉄赤字ローカル路線。今は北条鉄道に変身して一時間に一本レールバスを走らせている。その始発駅、北条町駅の駅舎だった。高校の通学や勤め始めた加古川へ行くのに、毎日利用した駅舎は、もうアk下も形もない。立派なビルになっている。
 ふと思いついた。学校につながる乗り継ぎ駅まで五つの小さい駅がある。その駅舎はどうなっているだろうか?懐かしい思い出を追っかけ巡ってみよう!……かと。
 線路に沿って歩いた。田園地帯のど真ん中を縦断するレールバスの軌道の側道や、農道、あぜ道…と、その場任せで歩いた。
 時々レールバスが一両仕立てでとことこと走る。のんびりした風景が続く。いつしか心は穏やかな癒しを手にしていた。
 北条鉄道の終着駅、粟生駅に辿り着いた時、わたしが余生の日々に感じた焦燥感は微塵もなかった。胸を張ると、生きている実感があった。晴れ晴れした気持ちはいつ以来だろうか。
プラットホームにレールバスが到着スト、ぞろぞろと乗客が降り立った。学生の姿がかなり目立つ。わたしが通ったように彼らも頑張っている。あの頃の記憶が鮮やかに蘇る。
あの日以来、ローカルトレイン北条鉄道の沿線ウォークは、今も続いている。生きることであくせくする日々のストレスを忘れさせてくれる。四季折々の魅力を惜しげもなく楽しませてくれる、何とも贅沢な散歩である。
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いろいろあります

2019年01月17日 00時50分07秒 | Weblog
新しい年の第1号の通信が発行腕来ました。
朝から市役所を皮切りに、
何か所かを走り回りました。
数うちゃ当たるです。
帰宅すると孫が保育園から戻っていました。
ホッと気が緩みます。
夜、一緒にお風呂に入り、
遊び相手になっていると、
幸せだな~って思いますね。
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誕生!

2019年01月16日 08時56分47秒 | Weblog
15日、予定日通りに、
娘の第二子が誕生。
二人目も女の子だった。
母子ともに健康。
ホッととしました。
そして喜びもゆっくりと湧き上がります。
これで孫二人のじいじです。
幸せも責任も二倍二倍です。
いまから赤ちゃんの顔を見に行きます。
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今年も……ああ~~

2019年01月15日 07時36分55秒 | Weblog
「メタボ予備軍ですね。一緒に目標を立てて頑張りましょう」

 保健所が主宰するメタボ教室に参加して、保健婦さんに計測されたお腹まわり九十四センチ。若い保健婦さんの指導で年間目標二センチ減をめざすと誓った。

 カロリーの少ない献立教室や運動など保健婦さんと連絡を取りながら頑張った。半年たって再計測。「ん?」と保健婦さんが首をかしげた。「一センチ増えてますね。どうしてかしら?」「……!」

 思い当たることがあった。最近また甘いものを口にするようになっていた。三ヶ月ぐらいまでは甘いものカットが実行できていたのに。出先で進められたケーキを、断るのも悪いと口にしたのが間違いだった。うまい!ズルズルともとの甘党に戻ってしまった。

「あと半年で二センチは減らしましょう」

「はい」

 元気よく返事したらお腹が笑った。
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忘れられぬ、あの日の味

2019年01月14日 00時48分46秒 | Weblog
「ちょっと薄いわ。醤油もっとぶち込めや」
 したり顔で指示するのは長老格。
 鋳物製の大鉄釜を取り囲んで、ワイワイやっているうちにカシワ(鶏肉)飯は炊き上がる。蓋をずらすと焦げた醤油のいい匂いが辺りに漂う。竃の火を落とすタイミングである。火のついた薪を炊き口から引っ張り出すと、水をかけて消した。
「おお、うまそうに炊けたやないか!」
 一斉にどよめきと歓声が上がる。大鉄釜の中で炊き上がって、湯気が立ちのぼるカシワ飯。薄く醤油色に染まった飯の表面に具材が広がる。デカいしゃもじで中身の天地を思い切りよく返す。具材と醤油めしを程よく混ぜ合わす。
それを茶碗によそって座敷に運べば、てったいはん(お手伝いさん)連中の打ち上げ宴会の用意万端だ。美味い物を口にすれば、みんなの顔がほころぶ。そしてお喋りがはずみ、自然と連帯意識が育まれる。男衆もおなご衆も、炊き上げたカシワ飯を存分に味わうのだ。
 数年前まで続いた、祝い事や非事の際の炊き出しだった。その打ち上げに恒例となっていたのが、カシワ飯のふるまいである。飯を炊くのは男衆、汁物はおなご衆の担当と決まっていた。
 洗米も、具材を刻むのも、当たって砕けろ同然のの味付けも、すべてが豪快そのもの。まさに男の料理、ここにありを示していた。
 数十人分をいっぺんに炊き上げるのだ。味付けが少々乱暴でも炊き上がると、結構まとまった味になる。美味くて当然だった。 米・カシワ(鶏肉)・人参・椎茸は自分の家で間に合う地元産。買って来た蒟蒻と油揚げが加わった、具だくさんのご馳走である。あっさりの醤油味は食材のエキスが混じって、飽きの来ない美味さを生み出している。何杯でもおかわりがいける。お茶をぶっかけると極美味の茶漬けになる。もう何もいうことはない。
 年配層が抜けて世代交代が始まると、待ちかねていたかのようにてったいはん(お手伝いさん)の慣習は簡略化どころか、炊き出しなどの連帯作業は、若い人たちの多数派意見で、廃止のはめに追い込まれた。炊き出しをしようとすれば、食材の買い出し、仕込みに始まる面倒な行程を余儀なくされる。自分の時間を優先する若い人に敬遠されるのが時の流れだった。
 たまに家でカシワ飯を炊いてみるが、記憶にある味にはまだ出会ったことがない。少量を電気釜で炊くのだから、あの味を求めるのは無理な話である。炊き上がった食べていると、あの鉄の大釜で炊き上げたカシワ飯の味が、やたらと恋しくなる。あの醤油の焦げた匂いは、おこげを作らない電気釜の機能では、とても望めない。ああ~、食いたい!あのカシワ飯を、もう一度。
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二年前もメタボ予備軍だった

2019年01月13日 00時54分44秒 | Weblog
ぎごちないハンドル操作で市役所の駐車場に車を乗り入れた。無料で出入り自由のせいか、かなりの車で埋まっている。近くにある高速バスの停留場を利用する乗客は大半がここに車を止める。市役所に訪れる市民の車は案外少ないのかも知れない。
駐車場に付随したトイレで用を足した。洗面台の鏡を覗き込むと、丁寧に頭髪を撫でつけた。白髪が乱れたサマは他人様に見せられたものではない。(もう六十五だもんな……)真っ白になった髪をしみじみと眺めた。指を櫛代わりに何度も梳いたので、何とか気にならない程度に戻った。鏡の自分ににやりと合図した。
ズボンのズレを直すと、ポンと腰を叩いた。これで用意万端である。
トイレを出ると駐車場から見通せる時計台に目を向けた。目的の健康福祉会館まで十五分もあればラクラク到着する。慌てる必要もない。前もって通知されている時間まで三十分近くある。行き交う車の多い通りを横目に散歩気分である。ゆっくりと足を進めた。
もう冬は目の前だ。冷たい風が顔に当たる。せっかく整えた頭髪が、またハラリと乱れ始めた。(やれやれ……もう…)ため息が口をついて出た。まあいいか。もとより身だしなみを気にする性格でもない。(俺ってB型人間だからな)ガサツな自分をいつも自己弁護する際の決まり文句を頭で反芻した。
健康福祉会館の一階ロビーは閑散としていた。館内に無料の入浴施設があってかなりの利用があるはずだが、まだ営業時間前なのだろう。
案内ボードを探した。事務所の手前にあった。本日の利用案内の項目に『にこにこ健康教室』がある。ポケットからチラシを取り出した。『からだスッキリ教室のご案内』とある。名称が少し異なっているが、他に健康教室の表示は見られない。たぶんこれで間違いないだろう。
ロビーの突き当りに階段がある。『にこにこ健康教室の会場は二階にお上がりください』の掲示スタンドが立っている。まだ不安は残るが、たぶんこの教室だろう。
二階はまるでシティホテルを思わせる広々としたロビーになっていた。左に向かうと、そこに貼り紙があった。どうやら、目的の会場らしい。観音開きのドアが開け放されている。ソーッと覗くと、広い室内を五人の女性が立ち働いていた。並べた長テーブルにコピーした資料と小冊子を配っている。
いくら注意して見直しても、男性の姿は見当たらない。(これは……?)と逡巡した。と言ってもスゴスゴ帰るわけにはいかない。
「すんません」
 入り口近くのテーブルを用意していた女性が振り返った。
「あの……ここ、メタボの……」
「ええ、そうですよ。どうぞ入って下さい」
「あ、どうも」
 部屋の中にいた若い女性が気づき会釈した。名前を告げると、別の女性と代わった。
「今日は齋藤さんの担当をさせて頂きます、保健師の○○です。よろしくお願いします」
「あ?どうも……よ、よろしく……」
 社交性が欠けた性格である。特に女性との会話は苦手だ。別に相手が特別視してくれるはずもないのに、妙に意識してしまう。
 テーブルに案内されて、ちょっぴり戸惑いながら座った。目の前に広げられた資料本を見て、ここに足を運んだ理由を思い出した。本の題名は『保健指導ツール 朝晩ダイエットでスマートライフ』添えられた言葉が「自分に合った減量法をみつけよう」だった。
 二か月前に集団検診を受けた。その結果はメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の予備軍。すぐ市の健康課から電話で、特定保健指導教室の参加を促された。検診結果の数字を気に病んでいたので、参加と即答した。
 実は三年前にもメタボ教室へ参加している。最後まで続かず中途半端な形で終わってしまった。今回は敗者復活戦だ。
 部屋にいるは高齢者仲間と思しき男性ばかり四人。教室の指導スタッフがやたら多い。
 看護師に血圧を測られた。続いて身長体重の測定だ。最後が腹囲。メタボを最も自覚するポッコリおなかをメジャーで図られる。自然とおなかが引っ込んだ。
「それじゃ正確に測れませんよ。はい、力を抜いて」
 看護師は手慣れた笑いをくれた。
 メタボ教室は始まった。担当の保健師とマンツーマンで面接シートを埋めていく。さすがに保健指導のプロ。巧妙に会話を弾ませ、必要なデーターを引き出す。
「何年か前にも参加したんやけど、結局ケツ割りしちゃって……」
 口を滑らせてしまった。ハッと気づき、恥ずかしさで顔が赤くなる。
「ちゃんと齋藤さんの資料は残ってますよ」
 保健師の言葉に緊張が解けた。どうやら何もかも承知済み。
 次は参加者個々に沿ったメタボ脱出方法の検討に入る。自分に必要なエネルギーを知ることから始める。体格指数と理想体重を計算式で求めた。計算上、理想体重より重く、やせる必要があった。
「この模型を持って、重さを当てて下さい」
 若い栄養士だった。彼女が参加者に手渡したのは、脂肪をかたどったもの。一番大きいものはかなり重い。それが三キロ、中のものが二キロ。最も小さいものは一キロだった。その脂肪をなんとか減らして減量しなければならない。食材のカロリー数値を説明された。少し興味を引かれる。
 保健師の助言を受けながら、メタボ改善を進めるための自己目標を定めた。三か月後の減量目標二キロ。一日七十八キロカロリーを減らせばいい勘定になる。
「無理なお願いはしませんが、このシートに書きはった目標は何とかやり遂げましょう」
 保健師の鼓舞に頷いた。彼女に任せればいい。そうでなければ、ダイエットなど自分の意識だけで続かないのは体験済みだ。今回は最後までやり遂げる。そのために保健師と約束するのだ。目標ができれば何とかなる。
 体重チェックシートを眺めた。三年前に途中挫折したヤツだ。朝と夜、体重計に乗る。毎日だと簡単なようで難しい。腹囲を測る専用メジャーも提供された。自分で測るための機能を備えたスグレものだ。
「これを食事の計画にしましょうか?」
 保健婦はシートに書き込みながら私の意思を再確認、その気にさせる。①食べる順番を野菜からにする。②よく噛む。(三十回目標)そういえばテレビのニュースで、元気なお年寄りの多い県の特集をやっていたのを思い出す。おじいさんもおばあさんも、とにかくよく噛む。見ている方がじれったくなるほど、とにかくくちゃくちゃと噛む高齢者の顔が印象的だったのをまだ忘れていない。③野菜を多く取る。常識的な方向性だ。
「約束ですよ」
 心地よく響く保健師の言葉に何度も頷いた。
 運動の計画として、腹筋体操を進められた。そしてウォーキング教室への誘いも。保健師は常に誠実さを失わず語った。
「次回は三か月後になります。メタボに効く運動と低カロリーで美味しく出来る料理の教室を予定しております。今日の教室にご参加頂いた皆さんには、ぜひぜひご参加してくださいね」
 保健師の主任核の女性が、今日は楽しかったですねと言わんばかりに締めくくった。
「体重チェックシートだけは記入を忘れないでください。毎日チェックしてれば、何キロ減ったか一目瞭然で、皆様をやる気にさせてくれると思います」
 担当保健師は私に宿題を課した。
 夜、入浴前に体重計に乗った。骨密度が測定できる優れものである。デジタル表示のモニター画面に『六十九・二キロ』と出た。七十を超えていない。幸先が約束された数字だった。風呂を上がったらチェックシートに書き込んでおこう。
 スーパーで食材を買った。定年退職以来、家の食事を担当している。買い出しもその一環だった。値引き品を漁って買う。野菜を多めに買いたかったが、まだまだ高値だ。ようやく白菜と大根、エノキ、マイタケの賞費期限切れ寸前を見つけた。30パーセントから半額近く値が引かれている。家に買い置きの玉ねぎと人参がある。野菜どっさり料理が出来そうだ。娘が顔をしかめて食べないかも知れない。彼女には惣菜を買って帰るかな。
 野菜が主人公のちゃんこ鍋を作った。予想に反して娘や妻は喜んで食った。私の箸も進んだ。三十回噛まなければ……!。しかし三十回は容易ではない。そのうち何回か分からなくなった。馬鹿らしくて数えるのを止めた。
 食後にコーヒーを飲みたくなった。冷蔵庫に缶コーヒーがある。でも駄目だ。三年前の保険健康指導で、糖分の入った缶コーヒーは減らす約束をさせられている。他の項目はケツ割りしてしまったが、不思議に缶コーヒー断ちだけはいまだに続けている。
 一杯抽出型のレギュラーコーヒーを淹れた。砂糖とミルクの代わりに大匙一杯の酢を入れた。酢は血圧と血液サラサラに効果があると耳かじりの知識に従って始めた習慣だった。他に糖尿病予防に米のご飯は禁物と、これも耳学問で実行中である。
 健康診断の結果票を開いた。もう二桁の回数は見直した。しかし数値は変わらない。『
要医療』の活字は必ず目に入る。もう保健指導だけではどうにもならないかも知れない。
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ヤキモキ

2019年01月12日 00時36分28秒 | Weblog
長女の出産予定日が過ぎてしまった。
年末から気が気ではない。
この分では
初孫と同じ日に生まれるかもしれない。
どちらにしろ健康で誕生してくれればいい。
来週あたりから、上の子の世話役に駆り出されそうだ。
三歳児や赤子の世話は二十数年ぶりになる。
不安が先立つのも致し方ない。
それにしても、
いつになることやら。
ヤキモキする日が続くのも大変である。
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こんなことありました

2019年01月11日 00時54分08秒 | Weblog
「どうしたん?まだ早いよ」
 台所で娘の弁当を拵えていた妻が訝しげに訊いた。そういえば妻にはまだ言っていない。
「買い物や。スーパーに行って来るわ」
「あ?今日は火曜日だっけ」
「そうやで」
 やっと気が付いたらしい。結構のんびりした性格である。時と場合に寄るが。
そう、今日は近くの大型スーパーで卵の安売りがある。一パック九十七円。税込みだ。消費税が八%になると、他店はそれまで目玉にしていた卵の安売りを一斉にやめた。
昔も今も卵は物価の王様だったはずが通用しなくなったのだ。それを、この大型スーパーだけはしっかりと続けている。それも以前より一円安い値段だ。業界でひとり勝ちしているという世評を裏切らない商売のやり方である。それに商品の値段表示が内税方式なのが分かり易い。年金で生活する身には、涙が出るほど何とも有り難い。スーパー様々だ。
近郊では唯一とも言える大型ショッピングタウンで中核を担う大規模スーパーである。数年前までは二十四時間営業を謳っていたが、原発事故以来の節電推奨が影響して、いまは朝七時から夜十一時までやっている。それでも使い勝手がいいので、近隣からの集客はガッチリ掴んでいる。近頃は高齢者の姿が目立つ。時代の流れを如実に示している。
 安売り日は毎週火曜日。『火曜市』と銘打たれ、かなり格安で買い物が楽しめる。卵はそのメインだ。早朝七時、午後二時、夕方五時と、一日に三度も卵は安売りされる。午後以降の二回は三百パック限定となっている。
 早朝以外のタイムセールは、三十分も前から長く列が出来る。
「本日の卵、最後尾です。ここにお並びください!」
スーパーの店員が、『卵 最後尾』と表示されたボードを高く掲げて呼びかける。
それでひとり一パックしか買えない。ただ制約より並ぶのが辛い。だから並ばなくてお構いなしの買い放題が可能な早朝に足を運ぶようになった。用意される数量も六百パックとかなり多い。時間さえ失念しなければ必ず買えるが、なにより並ばなくて済むのが短気な気性にはうってつけだ。
 六時半までに大型スーパーの駐車場に滑り込む。営業時間外の駐車場に車は殆ど見当たらない。出来るだけ店舗の入り口に近いエリアに乗り入れる。あとあとの都合を考えたうえだ。座席の背を倒し、七時開店までのんびりとカーラジオを聴きながら時間を潰す。
「家から十五分もかからへんのに、そない早う行ったかて、じーっと待ってるだけやないの。あんたのやる事、ほんま考えられんわ」
 現実的な妻は、いつもそう皮肉る。考え方が相反するから、案外夫婦関係はうまく行ってるのかも知れない。
 不思議だが、並ぶのは我慢できなくても、待つのは苦にならない。いつも誰かと待ち合わせると、必ず三十分前に着くよう心がけている。実は小心者なのだ。約束の時間に遅れることが不安だし、うまく弁解できないから何のかのと言われたくない。それなのに相手が十分以上遅刻しても、文句ひとつ言えない。ニコニコしているだけで相手には都合のいい男だった。
 七時かっちりに大型スーパーは開店する。自動ドアが開くと、躊躇なく卵売り場に急ぐ。同じ目的の客と抜きつ抜かれつとなる。去年までは、閑散とした中を悠々と卵売り場に向かったものだ。最近は利用客が目立って増えている。前のようにユックリズムは通用しなくなった。やはり、みなさんだって長い列に並ぶのは嫌なのだろう。
 ラックに山ほど積まれた卵を一パック、すかさず確保すると、レジに急ぐ。早朝レジは二台しか稼働していない。最初は卵目当ての客ばかりで、スムーズにスルーするが、七時十五分前後になると、レジは嘘みたいに混みだす。それまでの勝負だ。息が抜けない。
 なにしろ十パックは買うつもりだ。ひとり一パックの制限をクリアするには、レジを通過した足でまた売り場に取って返すしかない。
 カートに五,六パックほど積んだのをレジ近くに止め置き、往復距離を短縮する常連客がいる。馬鹿正直者には呆れる所業だ。その上を行くのが、ひとり来店が明白にもかかわらず、レジを突破する輩たち。
「お連れ様はおいでですか?」
「ああ。あっこに待っとるんや。あれ?どこ行ったんや。しょうのないやっちゃなあ、そこに居れ言うとんのに。年寄りやさかい許したって。どっかで休んどるわ」
 レジスタッフも毎度のことだから心得ている。それに自分が損するわけではない。確認の言葉をかけたのだから、それで充分なのだろう。とはいえ、嘘も使いようと要領よくレジを切り抜ける連中の真似はとうてい出来ない。根が生真面目、いや小心者なのだ。
 出たり入ったり、背負ったリュックに卵のパックが五パックになると、いったん車まで戻る。助手席に積み上げておいて、また売り場へ戻る。あと五パックに挑戦だ。
「おはようさん」
 レジに並ぶと声がかかった。定年まで勤めていた工場の同僚だ。彼ももう定年を迎えている。しょっちゅうこのスーパーで顔を合わせる。アパートに一人住まいだから、買い物は自分でやるしかないのだ。人それぞれの事情がある。それも贅沢が叶わない年金生活だ。安売り卵の購入は、お互いに欠かせない。
「お宅もまた卵かいな?」
「当たり前やがな。物価の優等生やで、その力借りんとやってかれんわ」
 少ないうんちくを口にしている。
「一パックあったら、一週間は持つもんのう」
 同僚の顔が余計ショボクレテ見える。
「なに言うとんや。一パックじゃ足らへん。うち三人家族やけど、きょうは十パック狙いや」
「そないようけ買うて腐らしたら勿体ないぞ」
「アホ言え腐らすような下手な事すっかい。卵があったら、他におかずがのうても、どないかなるやろが」
「……賞味期限切れたら……?」
「そんなもんべっちょないわ。加熱したらなんぼでもいけるで」
 卵は重宝だ。賞味期限は生で食べられる期限を表示している。卵かけごはんだけ食ってたら、ちょっと考えモンだが、大体焼いたり茹でたりして食べるもんだ。期限が切れたら加熱すりゃいいのだ。はは~ん。
 卵焼きだってかなりバラエティに富んでいる。厚焼き、出し巻き、オムレツ、炒り卵、ハムエッグ……。飽きることはない。そうそう、最近卵を使ったスィーツに凝っている。中でもプリンはお手の物だ。
「あんた、このプリン売ってるもんより美味いやないの。ようけ卵買っといて切らさんように作っときや」
 めったに亭主を褒めない妻が褒めそやすぐらいだから、自家製プリンはマジ美味なのだ。冷蔵庫に作り置きしておけば、甘いものに目がない、わが家のオンナどもが消費してくれる。勿論亭主だって、酒やたばこと縁切りして以来、寂しい口を補ってくれるのは甘いものだ。十個ぐらいはすぐなくなってしまう。
 プリンつくりで卵以外の材料は牛乳、生クリーム、砂糖、バニラエッセンス。生クリームは少々高いが、値引品を手に入れて賄う。生クリームを入れるか入れないかで、プリンの風味にすごい格差が生まれる。よく混ぜて容器に入れて蒸すだけだ。ちょうど百円均一ショップで一人分に頃合いの容器を見つけた。三十個も大人買い(?)して妻に叱られたが、容器に納まったプリンの上品さに、すぐ妻の機嫌は直った。
 七パック目になるとレジに並ぶ。卵だけではなく他の商品をガッポリ買いこんだ客の後ろに並ぶはめになると苛立ちが募る。
「あんた、それだけかいな?」
「はあ」
 カートに商品山盛りの買い物かごを積んだ客が振り返って、声をかけてくれたらシメタものだ。
「先にレジしなはれ」
「おおけに。すんません」
 人の好意は素直に受け取るものだ。断るなんて、相手の気持ちを傷つけてしまいかねない。頭をちょっと下げて礼をいえばいい。世の中は結構いい人が多いと感謝するのだ。
 十パックの卵を助手席に積み上げて、ホーッと息を吐く。仕事は終わった。思い通りの数量を買えて満足だ。
 家に着くと、意気揚々で玄関を開ける。
「お帰り。どないやったん?」
 待ち構えていた妻が性急に訊く。
「ほれ見てみい。十パックや、十パックやぞ」
「えらいえらい」
 口ぶりがあきれ果てている。定年で現役引退してから、お馴染みの反応だ。亭主がボケないために許しといてやるんだとの思いが滲んでいる。
「ほなら、いまから買いものに行って来るわ」
 妻の出番だ。日々の生活必需品は妻が購入する。
「あんたに買い物任せといたら、お金がなんぼあっても足りへんわ」
 一度買い物を引き受けた時、買って来たものを一瞥して妻は深いため息をついた。期待に副えなかったのだ。男と女の目利きと生活力の差はどうしようもないのを思い知らされた一件である。
 結局、卵とか砂糖のタイムセールスだけにお呼びがかかる。たぶん妻も並ぶのが嫌なのだろう。亭主以上に気が短いのだから。
でも、ちょっと買い過ぎやない、卵やって。これやから男の人に買い物頼みとうないんや」
 妻の皮肉は、もう狎れっこだ。あ~あ~!
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癒された時間

2019年01月10日 01時37分50秒 | Weblog


ちょっと疲れ気味なので、
しばしレイ君とふれ合った。
何も考えずにいられる時間。
これが癒しってものなんだろうなあ。

そこへ郵便が。
5日の夕刊と6日の朝刊が送られてきていた。
どちらも一面下に、
娘のことを書いたショートエッセーが掲載されてあった。
疲れをいやした後だけに、
単純に喜んでしまった。
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