きのうは一日中ばたばたしっぱなし。
早朝から入った急用で「ラジオ体操」はドタキャンに。
暑くなったので朝7時開始に決めたばかりだった。
結局いまは疲れでダウン寸前。
明日は6時起きということで、
もう寝ることにします。
そこでまた古い原稿のお世話に。
40年前の作品です。
リューゴの住んでいる村は、豊かな山々に囲まれた盆地にあります。春、夏、秋、冬と季節が変わるたびに、いろんな表情を見せて楽しませてくれる、深い森がいっぱいの山々です。その山には、ズーッと昔からある神社とか、伝説の場所とかいろいろあるのです。
リューゴは山の中腹にある『ゆるぎ岩』が大好きでした。小さい頃から、お父さんにしょっちゅう連れて行って貰っています。お父さんは山歩きが大好きなのです。
リューゴは今年から小学一年生になりました。小さな胸がドキドキしっ放しだった入学式も終わって、リューゴがお母さんと家に帰ってくると、お父さんが待っていました。ニコニコしてリューゴを迎えてくれました。
「おめでとう。リューゴもやっと一年生になったんだな」
「うん。ぼく、一年生なんだ」
リューゴは得意そうに胸を張って言いました。
「よーし、それじゃ、あの約束を果たしてやろう」
「本当。じゃあ、服着がえてくるからね。待っててよ」
「ああ、いいよ」
お父さんはポンとリューゴの頭に手をやりました。
慌てて服を着がえたリューゴは、お父さんと一緒に山へ登りました。もちろん、『ゆるぎ岩』のある山です。でも、きょうはいつもとちょっと違って、楽しいことが待っています。そうですお父さんとの約束が実現するのです。一年生になったら(ゆるぎ岩をお父さんと一緒に揺すってみようか)との約束でした。
『ゆるぎ岩』は四メートルもありそうな、大きな岩がふたつ並んで寄り添っているのがそうです。ひとつは三角おにぎりみたいな形だけど、もうひとつの岩は随分不思議な形をしています。卵を縦に立てたのと同じで、いまにも倒れてしまいそうなぐらい根元が細いのです。でも、絶対倒れたりしません。
「さあ、リューゴ、よく見てろよ」
お父さんは『ゆるぎ岩』を前にして立つと、リューゴをチラッと見て言いました。
「うん」
リューゴはちょっぴり緊張気味で返事をします。
お父さんはパンパンとかしわ手を打って、さあいよいよです。お父さんは『ゆるぎ岩』の表面に描かれてある手形へ手を伸ばしていきます。白いペンキで輪かくだけの手形です。ペッタリとお父さんの手は手形に合わさりました。
「それ!」
お父さんは掛け声とともに『ゆるぎ岩』を押しました。
リューゴは固唾を呑んで『ゆるぎ岩』のてっぺんを見つめます。力いっぱい小さなコブシを握り締めました。
一回、二回、三回……お父さんは『ゆるぎ岩』を押し続けます。
「アッ!」
リューゴが驚きの声を上げました。
「ゆれてるよ、ゆれてる…お父さん!ゆれてるよ」
リューゴはもう夢中で歓声を上げています。
お父さんはリューゴを振り返ると、ニヤリと笑いました。
「お父さん、今度はリューゴの番だよ。ちゃんと約束してたんだからね」
「ああ」
お父さんは大きく頷きました。
そうなんです。お父さんは去年の夏に約束してくれたのです。
「リューゴが一年生になったら、『ゆるぎ岩』を思いっきり押させてやるぞ!でも、ちゃんといい子にならないと、この岩は絶対に揺れてくれないからな。よーく覚えておけよ、忘れないように」
だから、リューゴは一生懸命に優しいいい子になろうと頑張って来たのです。
「この『ゆるぎ岩』には、お父さんがまだ子どもだったころよりズーッとズーッと昔から不思議な言い伝えがあるんだ」
約束をした日、お父さんはこう話しだしました。リューゴ化お父さんの目を見つめて真剣に聞きました。
「もう何千年も昔のことだ。とても偉いお坊さんがこの村にやって来たんだ。空海ってお坊さんだけどな、この村にとても不思議な力で、すごい奇跡をいろいろ与えてくれたんだ」
「へえ、不思議な力?奇跡って?どんな?」
リューゴは目を真ん丸に見開いて、お父さんをジーッと見つめたまま尋ねました。
お父さんは嬉しそうに説明してくれました。
「お坊さんは村の人たちにこう言ったんだ。この岩は、いい心の持ち主ならば、ちょっと押すだけで揺れるが、悪い心の持ち主は、どんなに力をこめて押そうとも決して揺れない。びくともしないだろうってね」
「フーン。不思議な力なんだ」
「そうなんだ。だから、村の人たちはいつ押しても岩がちゃんと揺れてくれるように、いつも心がきれいで優しくいられたんだってさ。おしまい」
お父さんの話はリューゴの心の中にしっかりと残りました。それで、いつも優しくきれいな心でいようと努力をしてきたのです。だから『ゆるぎ岩』は揺れてくれるはずです。
でも、実はリューゴには不安もあります。だって、お母さんのお手伝いをしなかったり、駄々をこねて困らせてみたりと悪い子の時の方が多かった気がします。
(もしも『ゆるぎ岩』が揺れなかったら、どうしよう?)
リューゴは小さな胸をドキドキさせました。
「さあ替わろうか。こっちへ来てごらん」
お父さんは『ゆるぎ岩』から手を離して言いました。
リューゴは緊張してコチコチになりました。だから「うん」と返事をしたつもりなのに、実際は声が出ていません。
「うん?リューゴ、どうかしたのか」
お父さんもリューゴの様子がいつもと違うのに気がついたようです。
「……お、お父さん…?」
やっと声が出ました。
「ぼく……もう押さなくていいから……」
「あんなに楽しみにして待っていたじゃないか」
「で…でも……きょうはいいんだ、もう」
お父さんは「ハハーン」と気が付きました。
「リューゴ、怖いんだろ?もし揺れなかったら、悪い子だってばれちゃうって」
「怖くなんかないよー!ぼく、一年生なんだぞ。それに…それに、ぼく、悪い子じゃないからね」
リューゴはむきになって言い返しました。
「そうだそうだ。リューゴはもう一年生だもんな。それに、そんなに悪い子じゃない」
いい子っていうところをお父さんは少しふざけて言いました。そして急に真面目な顔になりました。
「実はな、リューゴ。お父さんも子供の頃、そうだ、ちょうどリューゴと同じ一年生だった。初めて『ゆるぎ岩』に連れて来て貰ったんだ。『ゆるぎ岩』を前にしたら、なぜかブルブル震えだして手がだせなくなってしまったんだ」
「ほんとう?」
「ほんとうさ。いまにも倒れてきそうな気がしたし、押しつぶされたらどうしようって思ったんだ。足元だって、崖になってて、なんか目がクラクラしてさ……」
リューゴはがっかりしました。
(ボクが怖いのは、いくら懸命に押しても『ゆるぎ岩』がびくともしないで……動いてくれなかったら、ぼくは悪い子になっちゃうんだぞ)
「よーし!お父さんがリューゴの身体を支えといてやるから大丈夫だ、な。さあ安心して思い切り押してみろよ」
お父さんはリューゴの肩にそーっと手を置きました。
仕方ありません。こうなったらやるしかないようです。
リューゴは勇気を出して一歩前に足を踏み出しました。目の前にゴツゴツした岩肌が迫ります。思わずリューゴは目をつぶりました。
「よし!さあいくぞー!
お父さんはリューゴの腰に手を当てました。お父さんの力強さが伝わってきます。
リューゴは目を開けました。もう覚悟は出来ました。両手を岩肌に向けて突き出しました。岩肌の感触が……!
「いいぞ。よしよし、いいか岩肌にペンキで書いてある手阿多に掌を合わせてごらん」
リューゴにもう迷いはありません。『ゆるぎ岩』は絶対に揺れてくれるんだと信じました。あんなに頑張っていい子になってきたんだ。『ゆるぎ岩』はきっと知ってくれているはずです。偉いお坊さんがプレゼントしてくれた奇跡の御神体なのだから。
リューゴは手を前に突き出しました。
『ゆるぎ岩』の感触はひんやりしています。それにザラザラしたものが手のひらにくっつきました。
(お願いだよ。『ゆるぎ岩』、揺れてよ。ぼく、ズーッといい子でいたんだから。これからも、もっともっと頑張っていい子になるんだから)
リューゴは自分の手に二倍はありそうな岩肌の手形の枠の中へ手を当てました。
「うん。よーし!じゃあ押してみろ」
お父さんが大声で言いました。自分が押しでもするように手をゲンコに握り締めています。
「よいしょ!」
リューゴは掛け声をかけて、力いっぱい押しました。
「いいぞ、リューゴ、もっと押し続けろ」
お父さんの声が、リューゴの頭の後ろからかかりました。
「うん、わかった、お父さん。よいしょ、よいしょ、よいしょーっと」
「よいしょ、よいしょ、よいしょーっと!」
リューゴの掛け声に合わせて、お父さんも同じように掛け声を掛けます。お父さんは、もう嬉しくて嬉しくてたまらないのです。
「よいしょ!」
「よいしょ!」
リューゴは期待いっぱいで上を見上げました。お父さんも同じように見上げました。
(さあ、揺れろ……1、2、3……!)
リューゴは心を込めて号令をかけました。『ゆるぎ岩』がリューゴの願いに応えて、ゆらーっと揺れやすいように……。
「あれ?」
「う?」
『ゆるぎ岩』は揺れません。ちっとも揺れる気配はありません。どうして?リューゴがこんなに懸命になっているのに、一体どうなっているんでしよう?
リューゴは(アッ!)と思いました。やっぱり心配した通りになったのです。リューゴは『ゆるぎ岩』にいい子だと認めて貰えないみたいです。リューゴはガッカリしました。体中の力が抜けてしまいました。くにゃくにゃとお父さんの腕の中に身を任せました。
「おい、大丈夫かい?」
お父さんはしっかりリューゴを抱きとめました。
「……お父さん…ぼく、ぼくって……悪い子なの?」
「何だって?」
お父さんはリューゴに思いがけない質問をいきなりされてビックリしました。
「……ぼくさあ、ダメな子なの?いけない子なの?」
リューゴは悲しくてたまらない顔つきでお父さんを見上げました。涙が胃尼にもこぼれそうです。お父さんはすっかり戸惑ってしまいました。
「だって…だって…動かないよ、揺れてくれないよ、『ゆるぎ岩』が。ちっとも揺れない……」
(ハハーン!)
お父さんはやっと分かりました。きれいでよい心の持ち主でないと、『ゆるぎ岩』は絶対に揺れないんだ。そうお父さんが話したのを、リューゴはたやんと覚えていたのです。だから、『ゆるぎ岩』が全然揺れなかったので、自分は悪い子なんだと、ひどくショックを受けているのです。何とかしないと……。
「ああ、ちょっと待てよ、リューゴ」
お父さんは首をひねって見せました。
「なに?お父さん、どうしたの?」
「うん。いま思い出したんだ。そうだそうだそうだったんだ。お父さんが初めて『ゆるぎ岩』を押した時のことだ」
「揺れたの?」
リューゴはお父さんの話をひと言も聞き漏らすまいと、ちいさな体を乗り出しました。
「そうなんだ。揺れたから、もう嬉しくてたまらなかったよ」
リューゴはお父さんの言葉にガッカリしました。
(ぼくが押しても揺れなかったのに、お父さんの時は揺れたんだ。やっぱり、ぼくは悪い子なんだ……)
リューゴがしょぼんとすると、お父さんは頬笑んで、こう言ったのです。
「お父さんひとりで揺らしたんじゃないんだ」
「え?」
「実はな、お父さんのお父さんが、一緒に押してくれたんだ」
「おじいちゃんが…一緒に、押したんだ」
「そうさ。リューゴと同じ一年生の頃のお父さんは、もうイタズラばっかりしてさ、そんなお父さんが『ゆるぎ岩』を押しても揺れないだろうと心配したおじいちゃんが、お父さんの手を取って一緒になって岩を押してくれたんだ」
「へえ」
「そしたらな」
「うん」
「揺れたんだ、あのでっかい『ゆるぎ岩』がゆらゆらと揺れたんだ!」
お父さんは笑って大声を上げました。
「そうか。おとうさんも……揺れなかったんじゃないか。おじいちゃんの手助けがなかったら……」
リューゴはホッとしてお父さんを見ると、お父さんの目とぶつかりました。次に『ゆるぎ岩』を見ました。また、お父さんを……キョロキョロとリューゴの目は動き続けました。
「よーし!今度はお父さんと力を和え褪せて、一緒に『ゆるぎ岩』を押してみようじゃないか」
「うん!」
リューゴは元気いっぱい返事をしました。
リューゴとお父さんは手をつないで『ゆるぎ岩』の前に立ちました。
「リューゴはお父さんよりもいい子だぞ。だから本当は片手でも大丈夫なのに、初めてで緊張したんだろ。うん、大丈夫、今度は揺れるさ」
お父さんはリューゴに片目をつぶって合図すると、大きく頷きました。しっかりと握り合ったお父さんの手の温かさが、リューゴに勇気を与えてくれます。(よーし!)と気持ちになりました。
「リューゴ、、まず『ゆるぎ岩』にお願いしようか?」
「うん。三回手を叩くんだね」
さっきお父さんがやっていたのをちゃんと見ていたのです。
「よく覚えていたな、リューゴ。でもただ手を叩くだけじゃないんだぞ。心の中で願いを込めるんだ。ぼくはこれからもきっといい子でいるから、揺れて下さい!って祈ってごらん」
「うん、わかったよ」
リューゴは神妙な顔になって『ゆるぎ岩』を見つめました。そして心を込めて、パンパンと手を叩きました。お父さんも叩きました。リューゴは何度も何度も胸のうちでお願いしました。必ず揺れてみせてねと頼んだのです。
「さあ、やるぞ!」
お父さんがリューゴの肩をポンと叩いて合図しました。
リューゴとお父さんは同時に『ゆるぎ岩』に手を当てました。リューゴはチラッとお父さんを見やると、お父さんもリューゴに目を向けたところでした。
「フフフフフ」
リューゴはとても愉快な気持ちになりました。
「ハハハハハ」
お父さんも楽しくてたまらない風です。
りゅーごはいまお父さんとひとつになったのです。
「そーれ!」
「そーら!」
かけごえがひとつになりました。リューゴは無我夢中で手に持てる力を全部込めて押しました。お父さんも力いっぱい押しています。その迫力のすごさといったら!
「イチ、ニー、サン!」
「1、2、3!」リューゴの声とお父さんの声がぴったりとかぶさりました。思い切り押すと、リューゴは天を仰ぎました。
青い空。日差しを遮る木々の枝が来い影になってそよいでいます。
(そよいでる?)
そうです。『ゆるぎ岩』のてんっぺんを見ると、陰になった枝の動きと一緒になって待っています。
おや?どうやら風がでてきたのか、枝の揺れが少し激しくなりました。いや、違います。風で枝が揺れているにしてはちょっぴり変です。木の枝は青い空に描かれて動いていないのに気づきました。すると……?
「リューゴ、見てみろよ。揺れてるぞ!揺れているんだ、『ゆるぎ岩』が……!」
「うん、揺れてる。『ゆるぎ岩』が揺れているよ、お父さん」
リューゴはもう大感激です。嬉しくて目が潤みます。目の前がぼやけて、『ゆるぎ岩』のてっぺんがよく見えなくなりました。
「おう!リューゴ、お前、いまお前ひとりで『ゆるぎ岩』を揺すっているじゃないか。すごいぞ!」
「え?」
リューゴはお父さんの声にびっくりしてキョロキョロ見回しました。でも、お父さんは消えてしまいました。
「お父さん……!」
心細くなって声もちいさくなりました。
「リューゴ、お前のすぐ後ろにいるぞ。お前の腰を支えているんだ」
そうです。誰かがしっかりとリューゴの腰を支えてくれています。それはお父さんだったんです。それじゃあ、いま『ゆるぎ岩』を揺らせているのは本当にリューゴひとりの力なのです。でも、でも……慌ててリューゴは上を見上げて確かめました。
『ゆるぎ岩』はちゃんと揺れていました。夢でもまぼろしでもありません。リューゴはみるみる嬉しさに包まれました。
「えい、えい、えーい!」
リューゴは調子に乗って何度も何度も押し続けました。
お父さんはゆっくりと急な坂になった山道を歩いて下りました。山道はのぼるより下りる方が大変です。それに、お父さんの大きい背中には、おんぶされたリューゴがスヤスヤと眠っています。起こさないように、危なくないようにと、自然に慎重な足取りになります。
「おい、リューゴ」
ソーッと名前を呼んでみましたが返事はありません。背中越しに可愛いイビキが伝わってきます。
(ふふふ。よっぽど疲れちゃったんだな)
『ゆるぎ岩』が揺れたのが、よほど嬉しかったのでしよう。リューゴはクタクタになるまで懸命に岩肌を押し続けたのです。山を下りはじめると眠気に襲われてフラフラとし始めたので、お父さんはおんぶしてやりました。
「……お父さん……」
「ん?」
「……ゆれたよ、ほら揺れたよ……」
リューゴの寝言でした。
「…ぼく…ぼく、いい子だね。……」
「ああ、最高にいい子だよ。『ゆるぎ岩』だって認めて句たろう、リューゴはいい子だって」
お父さんは顔を輝かせて、グィと空を見上げました。爽やかな風が優しくお父さんの顔を撫でて流れていきます。
リューゴの住んでいる村は、豊かな山々に囲まれた盆地にあります。春、夏、秋、冬と季節が変わるたびに、いろんな表情を見せて楽しませてくれる、深い森がいっぱいの山々です。その山には、ズーッと昔からある神社とか、伝説の場所とかいろいろあるのです。
リューゴは山の中腹にある『ゆるぎ岩』が大好きでした。小さい頃から、お父さんにしょっちゅう連れて行って貰っています。お父さんは山歩きが大好きなのです。
リューゴは今年から小学一年生になりました。小さな胸がドキドキしっ放しだった入学式も終わって、リューゴがお母さんと家に帰ってくると、お父さんが待っていました。ニコニコしてリューゴを迎えてくれました。
「おめでとう。リューゴもやっと一年生になったんだな」
「うん。ぼく、一年生なんだ」
リューゴは得意そうに胸を張って言いました。
「よーし、それじゃ、あの約束を果たしてやろう」
「本当。じゃあ、服着がえてくるからね。待っててよ」
「ああ、いいよ」
お父さんはポンとリューゴの頭に手をやりました。
慌てて服を着がえたリューゴは、お父さんと一緒に山へ登りました。もちろん、『ゆるぎ岩』のある山です。でも、きょうはいつもとちょっと違って、楽しいことが待っています。そうですお父さんとの約束が実現するのです。一年生になったら(ゆるぎ岩をお父さんと一緒に揺すってみようか)との約束でした。
『ゆるぎ岩』は四メートルもありそうな、大きな岩がふたつ並んで寄り添っているのがそうです。ひとつは三角おにぎりみたいな形だけど、もうひとつの岩は随分不思議な形をしています。卵を縦に立てたのと同じで、いまにも倒れてしまいそうなぐらい根元が細いのです。でも、絶対倒れたりしません。
「さあ、リューゴ、よく見てろよ」
お父さんは『ゆるぎ岩』を前にして立つと、リューゴをチラッと見て言いました。
「うん」
リューゴはちょっぴり緊張気味で返事をします。
お父さんはパンパンとかしわ手を打って、さあいよいよです。お父さんは『ゆるぎ岩』の表面に描かれてある手形へ手を伸ばしていきます。白いペンキで輪かくだけの手形です。ペッタリとお父さんの手は手形に合わさりました。
「それ!」
お父さんは掛け声とともに『ゆるぎ岩』を押しました。
リューゴは固唾を呑んで『ゆるぎ岩』のてっぺんを見つめます。力いっぱい小さなコブシを握り締めました。
一回、二回、三回……お父さんは『ゆるぎ岩』を押し続けます。
「アッ!」
リューゴが驚きの声を上げました。
「ゆれてるよ、ゆれてる…お父さん!ゆれてるよ」
リューゴはもう夢中で歓声を上げています。
お父さんはリューゴを振り返ると、ニヤリと笑いました。
「お父さん、今度はリューゴの番だよ。ちゃんと約束してたんだからね」
「ああ」
お父さんは大きく頷きました。
そうなんです。お父さんは去年の夏に約束してくれたのです。
「リューゴが一年生になったら、『ゆるぎ岩』を思いっきり押させてやるぞ!でも、ちゃんといい子にならないと、この岩は絶対に揺れてくれないからな。よーく覚えておけよ、忘れないように」
だから、リューゴは一生懸命に優しいいい子になろうと頑張って来たのです。
「この『ゆるぎ岩』には、お父さんがまだ子どもだったころよりズーッとズーッと昔から不思議な言い伝えがあるんだ」
約束をした日、お父さんはこう話しだしました。リューゴ化お父さんの目を見つめて真剣に聞きました。
「もう何千年も昔のことだ。とても偉いお坊さんがこの村にやって来たんだ。空海ってお坊さんだけどな、この村にとても不思議な力で、すごい奇跡をいろいろ与えてくれたんだ」
「へえ、不思議な力?奇跡って?どんな?」
リューゴは目を真ん丸に見開いて、お父さんをジーッと見つめたまま尋ねました。
お父さんは嬉しそうに説明してくれました。
「お坊さんは村の人たちにこう言ったんだ。この岩は、いい心の持ち主ならば、ちょっと押すだけで揺れるが、悪い心の持ち主は、どんなに力をこめて押そうとも決して揺れない。びくともしないだろうってね」
「フーン。不思議な力なんだ」
「そうなんだ。だから、村の人たちはいつ押しても岩がちゃんと揺れてくれるように、いつも心がきれいで優しくいられたんだってさ。おしまい」
お父さんの話はリューゴの心の中にしっかりと残りました。それで、いつも優しくきれいな心でいようと努力をしてきたのです。だから『ゆるぎ岩』は揺れてくれるはずです。
でも、実はリューゴには不安もあります。だって、お母さんのお手伝いをしなかったり、駄々をこねて困らせてみたりと悪い子の時の方が多かった気がします。
(もしも『ゆるぎ岩』が揺れなかったら、どうしよう?)
リューゴは小さな胸をドキドキさせました。
「さあ替わろうか。こっちへ来てごらん」
お父さんは『ゆるぎ岩』から手を離して言いました。
リューゴは緊張してコチコチになりました。だから「うん」と返事をしたつもりなのに、実際は声が出ていません。
「うん?リューゴ、どうかしたのか」
お父さんもリューゴの様子がいつもと違うのに気がついたようです。
「……お、お父さん…?」
やっと声が出ました。
「ぼく……もう押さなくていいから……」
「あんなに楽しみにして待っていたじゃないか」
「で…でも……きょうはいいんだ、もう」
お父さんは「ハハーン」と気が付きました。
「リューゴ、怖いんだろ?もし揺れなかったら、悪い子だってばれちゃうって」
「怖くなんかないよー!ぼく、一年生なんだぞ。それに…それに、ぼく、悪い子じゃないからね」
リューゴはむきになって言い返しました。
「そうだそうだ。リューゴはもう一年生だもんな。それに、そんなに悪い子じゃない」
いい子っていうところをお父さんは少しふざけて言いました。そして急に真面目な顔になりました。
「実はな、リューゴ。お父さんも子供の頃、そうだ、ちょうどリューゴと同じ一年生だった。初めて『ゆるぎ岩』に連れて来て貰ったんだ。『ゆるぎ岩』を前にしたら、なぜかブルブル震えだして手がだせなくなってしまったんだ」
「ほんとう?」
「ほんとうさ。いまにも倒れてきそうな気がしたし、押しつぶされたらどうしようって思ったんだ。足元だって、崖になってて、なんか目がクラクラしてさ……」
リューゴはがっかりしました。
(ボクが怖いのは、いくら懸命に押しても『ゆるぎ岩』がびくともしないで……動いてくれなかったら、ぼくは悪い子になっちゃうんだぞ)
「よーし!お父さんがリューゴの身体を支えといてやるから大丈夫だ、な。さあ安心して思い切り押してみろよ」
お父さんはリューゴの肩にそーっと手を置きました。
仕方ありません。こうなったらやるしかないようです。
リューゴは勇気を出して一歩前に足を踏み出しました。目の前にゴツゴツした岩肌が迫ります。思わずリューゴは目をつぶりました。
「よし!さあいくぞー!
お父さんはリューゴの腰に手を当てました。お父さんの力強さが伝わってきます。
リューゴは目を開けました。もう覚悟は出来ました。両手を岩肌に向けて突き出しました。岩肌の感触が……!
「いいぞ。よしよし、いいか岩肌にペンキで書いてある手阿多に掌を合わせてごらん」
リューゴにもう迷いはありません。『ゆるぎ岩』は絶対に揺れてくれるんだと信じました。あんなに頑張っていい子になってきたんだ。『ゆるぎ岩』はきっと知ってくれているはずです。偉いお坊さんがプレゼントしてくれた奇跡の御神体なのだから。
リューゴは手を前に突き出しました。
『ゆるぎ岩』の感触はひんやりしています。それにザラザラしたものが手のひらにくっつきました。
(お願いだよ。『ゆるぎ岩』、揺れてよ。ぼく、ズーッといい子でいたんだから。これからも、もっともっと頑張っていい子になるんだから)
リューゴは自分の手に二倍はありそうな岩肌の手形の枠の中へ手を当てました。
「うん。よーし!じゃあ押してみろ」
お父さんが大声で言いました。自分が押しでもするように手をゲンコに握り締めています。
「よいしょ!」
リューゴは掛け声をかけて、力いっぱい押しました。
「いいぞ、リューゴ、もっと押し続けろ」
お父さんの声が、リューゴの頭の後ろからかかりました。
「うん、わかった、お父さん。よいしょ、よいしょ、よいしょーっと」
「よいしょ、よいしょ、よいしょーっと!」
リューゴの掛け声に合わせて、お父さんも同じように掛け声を掛けます。お父さんは、もう嬉しくて嬉しくてたまらないのです。
「よいしょ!」
「よいしょ!」
リューゴは期待いっぱいで上を見上げました。お父さんも同じように見上げました。
(さあ、揺れろ……1、2、3……!)
リューゴは心を込めて号令をかけました。『ゆるぎ岩』がリューゴの願いに応えて、ゆらーっと揺れやすいように……。
「あれ?」
「う?」
『ゆるぎ岩』は揺れません。ちっとも揺れる気配はありません。どうして?リューゴがこんなに懸命になっているのに、一体どうなっているんでしよう?
リューゴは(アッ!)と思いました。やっぱり心配した通りになったのです。リューゴは『ゆるぎ岩』にいい子だと認めて貰えないみたいです。リューゴはガッカリしました。体中の力が抜けてしまいました。くにゃくにゃとお父さんの腕の中に身を任せました。
「おい、大丈夫かい?」
お父さんはしっかりリューゴを抱きとめました。
「……お父さん…ぼく、ぼくって……悪い子なの?」
「何だって?」
お父さんはリューゴに思いがけない質問をいきなりされてビックリしました。
「……ぼくさあ、ダメな子なの?いけない子なの?」
リューゴは悲しくてたまらない顔つきでお父さんを見上げました。涙が胃尼にもこぼれそうです。お父さんはすっかり戸惑ってしまいました。
「だって…だって…動かないよ、揺れてくれないよ、『ゆるぎ岩』が。ちっとも揺れない……」
(ハハーン!)
お父さんはやっと分かりました。きれいでよい心の持ち主でないと、『ゆるぎ岩』は絶対に揺れないんだ。そうお父さんが話したのを、リューゴはたやんと覚えていたのです。だから、『ゆるぎ岩』が全然揺れなかったので、自分は悪い子なんだと、ひどくショックを受けているのです。何とかしないと……。
「ああ、ちょっと待てよ、リューゴ」
お父さんは首をひねって見せました。
「なに?お父さん、どうしたの?」
「うん。いま思い出したんだ。そうだそうだそうだったんだ。お父さんが初めて『ゆるぎ岩』を押した時のことだ」
「揺れたの?」
リューゴはお父さんの話をひと言も聞き漏らすまいと、ちいさな体を乗り出しました。
「そうなんだ。揺れたから、もう嬉しくてたまらなかったよ」
リューゴはお父さんの言葉にガッカリしました。
(ぼくが押しても揺れなかったのに、お父さんの時は揺れたんだ。やっぱり、ぼくは悪い子なんだ……)
リューゴがしょぼんとすると、お父さんは頬笑んで、こう言ったのです。
「お父さんひとりで揺らしたんじゃないんだ」
「え?」
「実はな、お父さんのお父さんが、一緒に押してくれたんだ」
「おじいちゃんが…一緒に、押したんだ」
「そうさ。リューゴと同じ一年生の頃のお父さんは、もうイタズラばっかりしてさ、そんなお父さんが『ゆるぎ岩』を押しても揺れないだろうと心配したおじいちゃんが、お父さんの手を取って一緒になって岩を押してくれたんだ」
「へえ」
「そしたらな」
「うん」
「揺れたんだ、あのでっかい『ゆるぎ岩』がゆらゆらと揺れたんだ!」
お父さんは笑って大声を上げました。
「そうか。おとうさんも……揺れなかったんじゃないか。おじいちゃんの手助けがなかったら……」
リューゴはホッとしてお父さんを見ると、お父さんの目とぶつかりました。次に『ゆるぎ岩』を見ました。また、お父さんを……キョロキョロとリューゴの目は動き続けました。
「よーし!今度はお父さんと力を和え褪せて、一緒に『ゆるぎ岩』を押してみようじゃないか」
「うん!」
リューゴは元気いっぱい返事をしました。
リューゴとお父さんは手をつないで『ゆるぎ岩』の前に立ちました。
「リューゴはお父さんよりもいい子だぞ。だから本当は片手でも大丈夫なのに、初めてで緊張したんだろ。うん、大丈夫、今度は揺れるさ」
お父さんはリューゴに片目をつぶって合図すると、大きく頷きました。しっかりと握り合ったお父さんの手の温かさが、リューゴに勇気を与えてくれます。(よーし!)と気持ちになりました。
「リューゴ、、まず『ゆるぎ岩』にお願いしようか?」
「うん。三回手を叩くんだね」
さっきお父さんがやっていたのをちゃんと見ていたのです。
「よく覚えていたな、リューゴ。でもただ手を叩くだけじゃないんだぞ。心の中で願いを込めるんだ。ぼくはこれからもきっといい子でいるから、揺れて下さい!って祈ってごらん」
「うん、わかったよ」
リューゴは神妙な顔になって『ゆるぎ岩』を見つめました。そして心を込めて、パンパンと手を叩きました。お父さんも叩きました。リューゴは何度も何度も胸のうちでお願いしました。必ず揺れてみせてねと頼んだのです。
「さあ、やるぞ!」
お父さんがリューゴの肩をポンと叩いて合図しました。
リューゴとお父さんは同時に『ゆるぎ岩』に手を当てました。リューゴはチラッとお父さんを見やると、お父さんもリューゴに目を向けたところでした。
「フフフフフ」
リューゴはとても愉快な気持ちになりました。
「ハハハハハ」
お父さんも楽しくてたまらない風です。
りゅーごはいまお父さんとひとつになったのです。
「そーれ!」
「そーら!」
かけごえがひとつになりました。リューゴは無我夢中で手に持てる力を全部込めて押しました。お父さんも力いっぱい押しています。その迫力のすごさといったら!
「イチ、ニー、サン!」
「1、2、3!」リューゴの声とお父さんの声がぴったりとかぶさりました。思い切り押すと、リューゴは天を仰ぎました。
青い空。日差しを遮る木々の枝が来い影になってそよいでいます。
(そよいでる?)
そうです。『ゆるぎ岩』のてんっぺんを見ると、陰になった枝の動きと一緒になって待っています。
おや?どうやら風がでてきたのか、枝の揺れが少し激しくなりました。いや、違います。風で枝が揺れているにしてはちょっぴり変です。木の枝は青い空に描かれて動いていないのに気づきました。すると……?
「リューゴ、見てみろよ。揺れてるぞ!揺れているんだ、『ゆるぎ岩』が……!」
「うん、揺れてる。『ゆるぎ岩』が揺れているよ、お父さん」
リューゴはもう大感激です。嬉しくて目が潤みます。目の前がぼやけて、『ゆるぎ岩』のてっぺんがよく見えなくなりました。
「おう!リューゴ、お前、いまお前ひとりで『ゆるぎ岩』を揺すっているじゃないか。すごいぞ!」
「え?」
リューゴはお父さんの声にびっくりしてキョロキョロ見回しました。でも、お父さんは消えてしまいました。
「お父さん……!」
心細くなって声もちいさくなりました。
「リューゴ、お前のすぐ後ろにいるぞ。お前の腰を支えているんだ」
そうです。誰かがしっかりとリューゴの腰を支えてくれています。それはお父さんだったんです。それじゃあ、いま『ゆるぎ岩』を揺らせているのは本当にリューゴひとりの力なのです。でも、でも……慌ててリューゴは上を見上げて確かめました。
『ゆるぎ岩』はちゃんと揺れていました。夢でもまぼろしでもありません。リューゴはみるみる嬉しさに包まれました。
「えい、えい、えーい!」
リューゴは調子に乗って何度も何度も押し続けました。
お父さんはゆっくりと急な坂になった山道を歩いて下りました。山道はのぼるより下りる方が大変です。それに、お父さんの大きい背中には、おんぶされたリューゴがスヤスヤと眠っています。起こさないように、危なくないようにと、自然に慎重な足取りになります。
「おい、リューゴ」
ソーッと名前を呼んでみましたが返事はありません。背中越しに可愛いイビキが伝わってきます。
(ふふふ。よっぽど疲れちゃったんだな)
『ゆるぎ岩』が揺れたのが、よほど嬉しかったのでしよう。リューゴはクタクタになるまで懸命に岩肌を押し続けたのです。山を下りはじめると眠気に襲われてフラフラとし始めたので、お父さんはおんぶしてやりました。
「……お父さん……」
「ん?」
「……ゆれたよ、ほら揺れたよ……」
リューゴの寝言でした。
「…ぼく…ぼく、いい子だね。……」
「ああ、最高にいい子だよ。『ゆるぎ岩』だって認めて句たろう、リューゴはいい子だって」
お父さんは顔を輝かせて、グィと空を見上げました。爽やかな風が優しくお父さんの顔を撫でて流れていきます。
もうバタンキュー状態です。
お休みなさい。