こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

玉葱ズラリ雑草いざいざ

2023年05月10日 08時05分08秒 | 日記
(オ、ホウ~!)
声なき快哉である。
畝に並んだ、収穫したばかりの玉葱。
これまでにはタマネギなども結構頂いているが、
今目の前の玉葱、
見積もったところで700球以上ある。
もちろん成長が送れた小柄なのもいれてであるが(ウ、ウホ~イ!)
これでしばらくはスーパーで玉ねぎ購入は必要なさそうだ。
暫くこのまま天日にさらしておくつもりだ。

気をよくして畑の周囲の草刈りにかかった。
「丁寧に刈ってよ。役に立ってくれてるんだから」
妻がすかさず注意喚起(?)
そう、今や雑草は我が家の畑にはいくらでも必要なのだ。
数年前までは刈り捨てで邪魔扱いしていたのに、
雲泥の差の取り扱いに、
当の雑草くんらの方が、
(なんぜ?)と口あんぐりってところだろうな。
とにかく草が貴重品になれば、
刈りがいがあるというもの。
これからは気温が上がり梅雨もくる。
草との格闘がスタートするのだ。
ちょっと気持ちを入れ替えて、
草を刈る私がいた。(笑い)
妻の有機栽培講習がこの金曜日から始まるらしい。
もっと口うるさくなるのは自明の理である。
ただ成果の伴う叱咤は大歓迎である。(ウン)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

調理師学校で四苦八苦

2023年05月09日 12時13分38秒 | 日記
草刈りでダウン寸前。
といっても、
まだまだやらなきゃいけない畑仕事。
ちょっと手抜きで過去の原稿をアップ。


高校を卒業して得た仕事は書店の店売員。本好きで深い考えもなく選んだ仕事だった。

 店売の仕事は多岐に渡った。店頭で商品棚の整理や注文補充、納品と返本作業など本好きには楽しめる仕事の中に、人見知りな性格の私には、きつ過ぎる仕事があった。

 お客さんとじかに接する本の販売だった。百科事典や婦人誌の新年号に新一年生の学年誌などは売り上げノルマがあり、否が応でも販売の最前線に立たなければならなかった。

 客を相手に売り込むのに四苦八苦しても、うまくいかない。いつもノルマの数量を自分で抱え込むはめに陥った。購入金額はかなりな額で、人知れず頭を抱えた。

(こんなはずじゃなかった!)ジレンマから抜け出せずストレスになって容赦なく襲いかかった。通勤拒否が重なり、結局退職した。

 一年も続かなかったことが両親に申し訳なくて、家に閉じこもってしまった。

「調理の勉強してみやへんか?」

 閉じこもり状態の私を見るに見かねた両親は、調理師学校で学べるよう手配してくれた。

「よう飯作りの手伝いしてくれてたやろ。料理の勉強したら、店を出したるわ」

 農家の息子で、小学生になると農繁期は忙しい家族のために食事を作った。結構楽しみながらやっていたのを、両親は覚えていた。当時郊外型飲食店が注目されていて、県道わきに所有する土地に息子の店を出してやろうと思いついたらしかった。

 やることが見つからず悶々と暮らしていた私は、結局両親が敷いた路線に乗っかるしか道はなかった。内心は(なんで今更調理師学校行かなあかんねん)と不満を覚えたが、親に逆らう負けん気を持ち合わせていなかった。

 調理師学校同期の仲間は、中卒から定年を迎えた社会人まで年齢も性別もバラエティに富んでいた。料理人への夢に前向きの仲間と違い、ひとり浮いた存在になってしまった私。

「料理するんが嫌いやったら辞めたらええねん。お金と時間の無駄使いせんときや」

 調理実習担当のМ先生にきつい小言を受けたのは、実習に身が入らなかったからだった。

「義務教育と違う。ここは料理のプロを養成するとこやで。その気がないもんは、ほかの仲間には邪魔になるだけや」

 容赦ないМ先生の言葉は間違っていない。弁解もできず伏せた頭は上げられなかった。

するとМ先生は急に笑った。意表を突かれて顔を上げると、М先生は照れながら言った。

「えらそうなこと言うとるな、わし。勉強に熱が入らないんは、先生の教え方が悪いからやな。どないや。もう一遍やる気にならんか?先生にもチャンスくれや。ほかの仲間と一緒に、ちゃんとしたプロに育てたるさかい」

 М先生の顔は真剣そのものに変わっていた。

「わしなあ。自慢やないけど勉強苦手でなあ。社会に出てもどんな仕事かて長続きせなんだんや。そないな時に出会ったんが料理の世界やったわ。ホテルに就職したんは、そらええ加減な気持ちやったけど、辛抱しているうちに、なんか違うのんが分かった。どないしんどうても苦にならへんのやで。君に無理強いできんけど、もうちょっとやってみたらどないや。なにかが手にいれられるぞ。それに先生がとことん力貸したる。後悔はさせへんで」

 飾らないМ先生の言葉は、私の心に響いた。「先生を信じてみよう、料理の仕事に賭けてみよう」そんな気になった。

 前向きになると、これまで気にもならなかった、同じ調理師を志す仲間に興味が湧いた。

「僕は頭が悪いさかい、この道で頑張るしかないねん」中卒の若者は純粋だった。

「第二の人生、やりたいことを叶えるんや」

 定年退職した彼は、ロマンに燃えていた。

「女かて一人前の料理人になれるはずやもん」

 ウェートレスだった若い女性は、顔を輝かせて決意を語った。みんな燃えていた。

「君らの夢、叶えたるさけ先生に任しとけ」

 М先生はみんなに胸をたたいて見せた。

 やる気が出たら、勉強は面白くなった。人見知りなど無関係な仕事だし、いろんな食材を自分の腕一本で調理できるのが楽しかった。

 調理師学校の卒業時、就職探しに直面した。すぐ独立して自分の店を持てるはずもなく、飲食店現場の体験は必須だったが、人見知りな性格は面接にマイナスとなり、なかなか職場が決まらず焦りは募る一方だった。

「ええとこあったで。商工会議所の中のレストランや。勉強するんに持ってこいやがな」

 М先生は仕事先を探してくれていた。

「大事な教え子に変な職場押しつけられへん。後は本人次第や。プロの料理人になって先生を喜ばしてくれたら、最高の幸せやさかいな」

 М先生は臆面もなく言い放った。

 四十年近く続けた調理師の仕事。М先生の教え通り、やった分の見返りを得た。プロの料理人としての誇りもしっかりと身に付いた。

 М先生に指導を受けていなければ、調理師サイトウは夢のまた夢に終わっていただろう。

「ふるさと川柳公募」は3作品です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家を建てるという意味

2023年05月08日 09時54分29秒 | 日記
「うわー!」
私の叫び声が響き渡る。
妻が飛んできたが、
状況を一目見てため息。
「またあ」
そう、寝ている私の顔に落ちてきたのは、ムカデ。
それも小ぶりの可愛いやつ(苦笑)
「益虫なんやから、騒がないの」
悠然とムカデを丸めた新聞紙に乗っけると、
窓の外へポイ!
もう何度目だろうか。
それだけ家が古くなった証明である。
築30年を超す我が家。
自らが関わった家で、愛着は想像以上。
大工さんは腕のいい従兄だった。
彼の指示で手伝いに懸命になった日々。。
腕をふるってくれた彼の訃報は先週届いた。
それだけ時は流れたということだろう。
家を建てるのに懸命だった当時の原稿を読み直してみた。
懐かしくて涙が零れそうになる思い出なのだ。
終の棲家となった我が家は、
老いた私を優しくハグしてくれている。
いまも、そしてこれからも。(グーッ。感極まる、ちょっと大げさかな)

家を建てる景色

「これでわしの方、仕事みな済みましたけ」

「え?」

「左官とタイル屋に、出来るだけ早う入るようせかしときますわ」

 大工はそそくさと道具をひとまとめにして軽トラへ積み込む。電動の工具は後日改めて取りに来ると言い残して帰った。

 雑然とした庭先を横切り、玄関の前に立つ。真っさらのサッシ戸。そのぐるりは剥き出しのモルタル壁だけに、やけに輝いて見える。

 地鎮祭から、ほぼ二年。いま思えば気の遠くなる長い時間。それが終わった。

「お前、この村に住む気でおるんやろな?」

 二年前、父は神妙な顔付きで切り出した。もう七十、現役のブリキ屋である。後継者の兄が急逝からこっち、すっかり張りを失い老け込んでいた父が、立ち直ったのを感じた。

「お前の新宅を、えろう気にかけとったわ。あいつ、何とかしたらなあかんて、口癖のように言うとった。一周忌も済んださかい、いっちょうお前の家を建てるかいのう」

「無理せんでもええわ。俺は家なんか無うても構わへんのや。片づけが楽やしなあ」

「阿呆。お前はどないでもええのんや。子どものこと考えたらんかい。お前も親父やろが」

 可愛い孫に家を建てる気らしい。

「どんな家がええ?うちと同じ間取りにするかいのう。広いほうが後々便利に使えるで」

 町にいた頃は八畳一間と台所、トイレだけのアパートに五人家族。風呂は銭湯に通った。それでも、狭くて楽しい我が家だった。

「二間もあったら充分や。欲言うたら風呂と台所、トイレが付いとったらオンの字やで」

「阿呆ぬかせ!」

 また怒鳴られた。

「この村で一生暮らすんや。隣保の付き合いやなんやかやで八畳間二つの客間を用意しとかな、お前ら家の者が肩身の狭い思いするど」

 父とは発想の始点が裏表ぐらい違う。田舎に新宅を構えるのは相当な覚悟がいる。

「よう分からんわ。おやじに任せるけ」

 地鎮祭まで半年近くかかった。予定の土地は農地、それも市街化調整区域。宅地変更に手間取り、川沿いにある百坪の農地で六十坪ほどが宅地として認められた。

数年前から休耕の田圃は、一面向日葵の花だ。例年なら、そのまま立ち枯らす。今回は全部刈り取り、綺麗に取り除く必要がある。

 鎌を手に向日葵畑に入った。背丈以上に育つ向日葵。力任せに鎌を振るい、薙ぎ倒す。

夏の真っ盛り、三日がかりで刈り終えた。  地鎮祭を終え、宅地造成に業者を頼んだ。

 残暑の中、持ち山の藪から、壁の下地に組む竹を伐り出す。竹の旬に合わせなければならない。旬を外すと、後々虫が付き散々だ。

 木の伐り出しは十月に入って直ぐ。製材したものを乾燥しなければならないからだ。

「洋材やったら注文通りのもんが揃うやろうけど、手間かかっても地の木が一番や。そいで、ご先祖さんが残してくれはってるんやど」

 山に入った父は感慨深げに言う。

「男やったら一生に家一軒建てなのう」

 既に父は家一軒を建てている。新宅は二件目になる。わが父ながら尊敬する。 

 大工が入ると、朝十時と午後の三時に茶菓を手配。それから大工の指示を受け、簡単な手伝いをする。一日が終われば鉋やノコの作業で出た木屑を片付ける。そんな日々だった。

「お前の家やさかい。まあ、しんどい目したらええ。そないして家を建てたら、まあ粗末には扱えんようになるわのう。ええこっちゃ」

 たまに顔を見せる父の口癖だった。

 建て前は四月の吉日。親戚や隣近所からの応援が二十数人。大勢でワイワイやっていると、知らないうちに家の柱は立った。

 建て前を祝う膳を囲む酒宴の主役は父。呑めない酒に顔を真っ赤にして客膳を順々に巡る。酒を注いでは上機嫌で頭をペコペコ下げた。

 父が姿を見せるのは、いつも三時過ぎ。「今日で大工仕事は終わりやて」と告げれば、どんな反応を見せるだろうか。

 三時の休憩に用意しておいた茶菓子と白いコーヒーカップが目に入る。湯沸しのポットは保温中だ。二年も湯を沸かし続けてくれた。

ここに来る度に、父は、そのポットの湯で淹れたコーヒーを「うまい!」と飲む。  

 父に大工仕事の終了を報告するのは、ズーッと後に回そう。大工は大工仲間が請け負う建前の助っ人に出たと言っておけばいい。

 家の完成は、余りに呆気ない報告より、少し劇的に。父に感激の一瞬を味あわせてやろう。この家は、男たる誇りが築き上げた夢のお城。たぶん、父には生涯最後の大仕事だ。

 来月は春爛漫の季節。父に新しい家の完成を伝える最高の舞台だ。それまで待っても、文句は言われまい。甲斐性の無い息子に出来る唯一の親孝行なのかも知れない。

 二十数年を経て、いまリフォーム中の家。年老いた父と並び、日がな一日眺めている。

「ふるさと川柳」公募は3作品です。 

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菜を育てる、そして食べる

2023年05月07日 13時06分57秒 | 日記
「ええラッキョウやな」
てな皮肉混じりのジョークで笑いあったのは1年前。
そしていま目の間にあるのは大玉の玉葱。
スーパーで売られているものに負けず劣らずの立派なものだ。
ドヤ顔の妻、町育ちで野菜作りなど、
ついこの間まで手を出すこなど滅相もない派だったのがウソみたい。
定年で仕事を辞めた後、
何を思い立ったのか、
野菜作りに手を染め出したかと思うと、
もう止まらない止められない打ち込みよう。
有機栽培講習会も欠かさず通い、
1歩2歩3歩と着実に結果を生み出し始めた。
最初こそ貧相な野菜だったものが、
最近は目を瞠る成果を見せている。
化学肥料などを駆使するこれまでの野菜作りの私も、
もう何も言えなくなってしまった。
なにせ、私が育てた野菜に匹敵するものを、
次々と育て上げるのだから。しかも化学肥料・農薬不使用。
「あそこの草刈ってね。根元を〇センチ残すのよ」
「はいはい」
「畝を作るから耕運機を入れてくれる」
「はいはい」
「耕すのん荒くていいのよ」
「はいはい」
「刈った草はマルチにするから、集めて」
「はいはい」
「収穫時期は私が指示するまで手を出さないで」
「はいはい仰せの通りに」
いまや主客転倒。
農家育ちの私はイチ・スタッフ扱いである。(笑)
それでも最近の立派に育った野菜を前にしては、
イエスマンになるしかない。
ただ私は料理人。
妻が育てた野菜を、
存分に調理するのが本分だと、
自覚する近頃のわたしである。(大笑)

さあ「ふるさと川柳」公募は3作品です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツキイチ家族のイラスト

2023年05月06日 08時49分37秒 | 日記
雨はひとまず落ち着いているが、
畑は水が引かず、
足元がぬかるみ状態。
いま「居間DEラジオ体操」を済ませたばかり。
時間のゆとりが出来たので、
部屋の片づけにかかった。
飾っている家族写真に目が移った。
そういえば5月は長女の誕生日。
私が年を取った分、彼女も年を重ねるわけだ。
介護福祉士としてもうベテランである。
孫娘ふたりも順調な成長を見せてくれている。
考えてみれば一番理想的な生き方を叶えている。
4人の子供の中で、
最も勉強嫌いだったのが嘘みたいだ。(笑)
思いついて家族のイラストはがきを仕上げた。
墨汁を切らしたので、
ボールペン文字で誤魔化した。
実は毎月家族のイラストはがきを描き、
玄関に飾っている。
子供らを巣立たせ老夫婦二人になった今だから、
いい意味で家族をつなぐ必須アイテムになりつつある。
コピーしたものを子供らに否応なく送り付けてもいる。(大笑)
加齢で筆が握れなくなるまでは、
続けたいなあ。(ウン)

今回も「ふるさと川柳」公募は3作品をアップします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タネのお話を面白く聞く

2023年05月06日 01時11分13秒 | 日記
朝からの所用を済ませた後、
社の森へ急いだ。
子供の日のGW特別企画に、
ブース出展する「子供の未来と食を考える会」の、
種のお話会があるので興味を持ったのだ。
時間に間に合い聴講席についた。
小野の兼業農家さんが講師で、
在来種や固定種のシュと交配種F2の違いなど、
結構面白いお話が聞けた上に、
在来種の種を数種類頂けた。
「畑ライブラリー」で挑戦中の、
野菜の有機栽培で利用するつもりである。
しかし、参加者が多可や小野、三木、作用などの方が目立ち、
在来種の種を手に入れられる種苗屋さんの情報も、
加西はゼロ、まあこれからというところかな。
帰宅途中でばらつく小雨に、
午後の畑仕事はいさぎよく諦めた。
数日後に雨が続く予報も出ているので、
しばらく畑は「野菜作り」も、
「畑ライブラリー」のイベントも出来そうにないかも。(ため息)
とにかく、屋内で出来ることだけはやるつもりだが……。
早く春の嵐が過ぎ去るのを願うだけである。(ウン)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イクメンの告白

2023年05月05日 03時09分02秒 | 日記
朝早くに出かける予定が入り、
ラジオ体操は急遽中止することに。
準備もあり、またまた昔の原稿でお茶を濁します。
ご容赦を。
「ふるさと川柳公募」は3作品です。


イクメンの告白

四十にして惑わずと言う。

 私の場合は四十を過ぎてなお戸惑いの渦中にあった。要因は『子育て』。ああ、何をかいわんやである。

 四十面下げて、血液型はB型、そして射手座。無責任で何を仕出かすか分からぬタイプらしい。自分が可愛いので、子供はさほど好きじゃない。どちらかと言えば苦手だった。親に甘えても、甘える子供に自分の自由を束縛されるのは金輪際ご免。大人になりきれないオトナだった。

 そんな男に子育ての大役(?)が回ってきた。皮肉と言えば皮肉な話。世の中は思うようにならないものだ。それに、「子育てなんて俺のガラじゃない」と頑強に拒んでいたのが、なんと見様見真似ながら子育てに入った。人間の覚悟も高が知れたものである。

 平成元年六月。七年近く夫婦で切り盛りの喫茶店を廃業した。表向きの理由は別にして、たぶん疲れとマンネリ化に耐えられなくなったのだ。

 表向きの理由のひとつが、我が子を守るための親の決意。当時生後五か月になる赤ん坊。二人目の息子でリューゴ。ひどいアトピーだった。上に女の子と男の子で三人の子供を抱えての商売を余儀なくされていた。

 上の二人は私の母に世話を押し付けて、リューゴは喫茶店の棚に寝かせてのパパママ営業である。ところが、アトピーの症状が出た。喫茶店は忙しくなると、満員の店舗内に白い紫煙が溢れた。アトピーにタバコの煙はどう考えても天敵だ。症状がひどくなる赤ん坊を見かねて廃業の考えが頭に浮かんだ。

 しばらく商売のやり方に工夫を重ねて頑張ったが、結局店は閉めた。

「お父さんにリューゴを任せても大丈夫なの?」

 妻はえらく心配して何度も念を押した。

 四十を過ぎた中年男より一足早く仕事を見つけた二十代の妻。おのずから、子供の面倒を見るのは、仕事なしの中年男と定まった。上の二人の子育てにはこれまで一貫して「われ関せず」を押し通して平気な顔を決め込んでいた夫に懐疑的なのは当然過ぎる。

「しゃーないやないか。お前は仕事で稼ぐ。手がすいてるのは俺だけ。どない譲っても、子育てと家事は俺の担当やがな」

「でも……?」

「心配すな。たかが赤ん坊ひとりぐらい……何とかなるわいな」

「やってみるしかなさそうね」

「ああ。案ずるより産むが易しや。任しとけ」

 夫婦が了解点に達した直後から、じわじわと不安は押し寄せた。

 七月一日。子育てはスタート。

 すでに五月半ばから保母として働く妻。早朝六時半には家を出る。帰宅は夜八時。そこで妻がいない朝から夜にかけて十二時間前後が、私の子育てタイムとなる。赤ん坊の世話だけではなく、上の二人も当然子育ての対象である。

 朝八時にはやって来る保育園の通園バスに二人を乗せると一件落着。それまでに起こしてトイレ、洗顔歯磨き、着替えさせて朝食を摂らせる。書けば簡単だが、初日はいやもうてんてこ舞いした。それでもバスを見送ると、彼らは五時の出迎えまで気にしなくて済む。残るは赤ん坊のリューゴだけである。

(たかが赤ん坊のひとりぐらい……目じゃないよな)その自信と楽観は初日からガラガラと崩れ落ちた。

 散々振り回されたのはオムツ替え。リューゴが泣き声を上げるたびに、ある判断を迫られる。おなかが空いたのか?どこか具合が悪いのか?そして、オムツが汚れたのか?あるいは機嫌を損ねているのか?(何なんだ?)

頭に手を当てて熱があるかどうかを見る。生後五か月なら赤ちゃんは母親から貰った免疫力でめったに病気をしないと、妻が教えてくれた。さほど気が入らない。おなかが空いたかどうかは後回しだ。とりあえず赤ちゃんが付けたオムツに鼻をくっつけて匂いを嗅ぐ。すぐにわかる異臭だと、オムツは手のつけられない惨状だ。少々の糞尿では、よほど神経を研ぎ澄まさないと嗅ぎ分けられない。オムツ替えがまた大変だ。根が不器用なのだ。オムツから汚物を転げ落としたり、手にグッチャリ。(もう、いやだ!)

だが、逃げてはいられない。ウンチやオシッコの色・匂い・硬さ・回数……観察は欠かせない。事細かにメモる。いやはや!

「どうやった?リューゴのご機嫌はいいかな?お父さん子だね、リューゴは」

 仕事から帰った妻の第一声。やけにはしゃぎ気味だ。(他人事だと思いやがって……!)それにしても、妻の軽口を簡単に受け返す気力がない。子育てで使い果たしてしまった。

「大丈夫?声も出ないほど疲れてるんだ。たった一日よ。本当に続く?」

「ああ。もう今日で大体のコツは掴んだ」

 負けず嫌いなのだ。精一杯気張って答えた。

 一週間も経つと、もう慣れっこ。オムツ替え、哺乳、そして背中をさすって「ゲップ!」もう何でも来い。お父さんはここにいるぞ!

 徐々に幸せ気分を味わうまでになった。まだお座りも出来ない赤ん坊に名前を呼んでやる。「リューちゃんリューちゃん、ほらおとうさんだよ。あばば」赤ん坊がにっこりする。まさに天使の頬笑みだ。疲れから生まれたイライラ気分が吹っ飛ぶ。

 母親譲りの免疫力が頼りに出来なくなるころから、松田道雄の『育児百科』が愛読書になった。添い寝をしながらページを開く。ぼろぼろになるまで読んだ。非常にありがたい本だった。曲がりなりにも子育てが無難に進んだのは、この本のおかげだった。

 お座りができ、はいはいも。もう可愛くて堪らない。目に入れても痛くないってのが実感できる。子供は面倒で邪魔と思いがちだったのがウソみたいな子煩悩になった。子育ては父親に母性をプレゼントしてくれた。リューゴは私を母親と認めたのだ。くすぐったい思いが頭を支配する。

「最近、えらくいい顔になって来てる」

「そうか?うん、そうだよな」

 妻に底抜けの笑顔を返した。

「子育ても、いいもんや」

 自然に口をついて出た。

「あなた。リューゴが寝てくれないの」

 妻が訴えた。久々の休みで、妻はリューゴの昼寝に添い寝中だった。それが寝てくれないだと。思わずニンマリ。出番だ!

「どうした?リューちゃん。ねんねしないの?」呼び掛けると、リューゴはこちらを向いた。ニッコリ。いきなりこちらへハイハイで突進だ。

「おいおい、どうしたんだ?りゅーちゃん」

 抱き上げると、リューゴは服を掴む。

「ネンネ……ネンネ」

 どうやら眠くて堪らない様子。しきりに可愛い欠伸をした。つぶらな手は両方ともしっかりと掴んで離さない。

「そうかそうか。じゃネンネだ」

 リューゴの小さい体を胸に収めて、ごろんと寝転んだ。いつもの胸。ゆりかごのここち良さをくれる胸。赤ん坊の緊張が解けていく。

「かーらーす~♪、なぜなくのー♪」

 いつもの子守唄だ。そうっと背中を撫でてやる。リューゴはすぐ寝入った。安心しきって胸の中で夢の世界に入り込んでいく。

「負けたんだ。お母さんがお父さんに負けちゃった。これ信じられる?」

 口調とは裏腹に妻の顔は明るく崩れる。

「なーに。ただの慣れ。生みの親より育ての親なんだぞ」

「よく言うわね。あなたも私も生みの親。どちらが欠けてもいけないの」

「そうだな。よっしゃ、勝ち負けは無し!」

 妻が噴き出した。そして私も笑った。



 子育ては一段落した。

 弁当製造会社に就職も決まった。夕方から翌朝にかけての夜勤だ。どうやら、もう子育てを卒業するしかなさそうである。

 痛々しかったアトピーももう目立たない。上の二人と駆け回っているリューゴ。すっかり逞しく育った。

「元気になったね。兄弟ん中で一番の暴れん坊よ。やっぱりお父さん子だけある」

「まあな。うん、男の子はあれくらい元気なんがいい」

 妻は何度も頷いた。

「あなた。やっと父親に戻れるね」

「父親?母親の間違いじゃないのか?」

「駄目よ。母親は私。絶対譲らないから!」



 ある出版社の子育て座談会に呼ばれた。「子育て体験エッセー公募」に入選したからだった。出席の顔ぶれをみると、父親は私だけ。場違いに思いながらも、今で言う『イクメン』を代表して座談に加わった。

「それでは、齋藤さんの子育て体験をお願いします。めったにない男性の子育てを通じた貴重な意見を聞けると思います」

 女性編集者が順番を私にふった。

 好奇の目を向ける母親たちを尻目に、迷いのない持論を滔々と述べた。

「女にしか、母親にしか子育ては出来ないと思わないでください。そんな思い込みや偏見が、いつまでも父親を子育てから弾き出してしまうんです。実はひょんなことから子育てを体験しました。五か月の赤ちゃんを一歳半まで育てたんです。それはもう大変でした。見る事やる事知恵を働かせること、すべて赤ちゃんが主役です。まず慣れる。そして乗り越える。父親でありながら母性らしきものを手に入れた時、私は大きく成長しました……」

 いきなりの子育て。面くらいながら懸命に。そして得た喜びと愛。父が母になる……!

私は喋り続けた。記憶を確認しながら。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝も「畑DEラジオ体操」レッツゴー!

2023年05月04日 11時24分23秒 | 日記
きのうの孫来襲で残る疲れで眠い。
それでも早朝から畑へ。
習慣になりつつあるラジオ体操が待っている。
「畑DEラジオ体操」と銘打って始めたのが、
実施すること10数回を超えた。
ラジオ体操は9時開始。
それまでは畑を見回る。時には草を刈ることも。
雑草は雨と気温の上昇で絶え間なく伸びる。(大げさではなくそんな感じなのだ)
しかし、その雑草は重宝そのもだ。
有機栽培を学び始めて、
雑草を見直すことに。
土づくりに、ぼかしに加わる緑肥のひとつに、
草マルチにも生かせるからすごい。
畝どころか畝と畝の間も草で覆い尽くすのだ。
最近草の覆いをちょっとつまみのけると、
クモや小昆虫が遊んでいた。
土は確実に野菜の生育にむけて肥えている。
あっと、脱線、脱線。
ラジオ体操までの間時間に、
イチゴを収穫。
露地栽培で、甘くておいしい自然の味だ。
きのう買っておいたcoopのメロンパンとお茶で、
畑カフェのさわやかモーニングサービスを頂いた。
空は雨が近いのか雲がやけに目立っている。
おっと、ラジオ体操の時間がやってきたぞ!
さあ!きょうも元気にハッピータイムを、
みんな一緒に送ることにしましょう!

「ふるさと川柳公募」は3作品です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不調の極み

2023年05月02日 01時38分25秒 | 日記
不調でやる気がでてこない。仕方がない。また昔の原稿の出番でご容赦を願います。


「怠け心の芽生え朝」

朝起きた時から、どうも気分が滅入って仕方がない。月曜日の朝は、いつもこんな具合だ。トイレを済ませるころには、何とか出勤する気になった。

 S駅でギュウギュウ詰めの列車に押し込まれた。祐介の気分は一層滅入った。どうも人混みは苦手だった。姫路駅に着くとたまらず駅頭のベンチに尻を落とした。頭の芯が痛み気分は最悪だった。吐き気すら覚える。

祐介はぼんやりと人の流れを見た。通勤の波が狭い改札口に殺到している。祐介は目を閉じて、イヤイヤでもするように頭を振った。スーッと奈落の底へ落ち込む感じで目を閉じた。グッタリと、まるで酔っ払いである。九時十五分前だった。このままでは間違いなく遅刻する。

祐介はフラッと立ち上がった。夢遊病者みたいな足取りで、祐介は東出口に回った。人影は見当たらない。祐介はなぜかホッとした。今度は足が前に踏み出せなくなった。

祐介は近くの電話ボックスに入った。これまでに外から職場に電話を入れたのは二度しかない。その二度の電話はつい最近で、やはり今朝と同じ月曜日、憂鬱な気分で迎えた朝だった。 

「あの、済んませんけど、仕事遅れます」

 見えない相手だが殊更ペコペコと頭を下げた。

「ちょっと足…捻挫しちゃって、病院に回ってから仕事に入ります」

 捻挫は口から出任せ。えらくスラスラと口から出た。

午前中は姫路城城内公園のベンチでボヤーッと過ごした。結局、仕事に出たのは昼過ぎになった。同僚が捻挫を心配して、声をかけてくれるのに、えらく焦った。

同じような顛末が二度続いた。

三度目の正直になる。受話器を握る手が小刻みに震えているのは、小心者のあかしだった。祐介は気後れする自分を鼓舞しながら電話をかけた。

「はい、清流倶楽部ですが」

職場はすぐにつながって、例の事務員の、苦々しい程事務的で明るい声が応じた。まだ二十歳になったばかりの事務員は、まさしく青春を謳歌していた。五時になると、同僚がいかに残業で追いまくられていようとも、些かの躊躇もせずに脱兎の如く職場を出る。以前、盛り場で見かけた彼は、身なりのいい美人と手を繋ぎあって歩いていた。他にもかなり発展している彼女がいるらしかった。

「あの、矢島です。今日休ませて貰いたいんですが。はあ、田舎の方で不幸がありまして。いえ、伯父なんですが」   (続く)

素奥歯の誰かの家族に不幸があれば、会社からそれなりの弔慰金が出ることになっているが、伯父、甥なら対象にはならない。だから反射的に伯父を殺すはめになった。伯父が知ったら、頭から湯気を出して怒るだろう。殺されても死なないようなゴツイ伯父の顔が、祐介の頭に浮かんだ。

「それはどうも、ご愁傷さまです。はい、専務の方にはちゃんと連絡しときますので」

「よろしく頼んます」

ガチャッと受話器を引っ搔けると同時に、祐介の内部にみるみる解放感が広がった。さっきまでのどんよりした気怠さが嘘みたいにかき消えた。事実、嘘だったに違いなかった。

 祐介の足は自然と、いつもの駅前の喫茶店に向かった。グランド喫茶の肩書通り、店内はかなり広かった。いつもと一時間ぐらいの時差なのに、混み方も客層もガラリと変わっているのが、ちょっとした驚きだった。祐介の指定席は幸運にも空いていた。別の席でも一向に構わないのだが、不思議と落ち着けないのは、前に一度、掟破りのフリーの客に指定席を奪われた時に体験済みだった。祐介は新聞ラックから、朝刊三紙と、スポーツ紙一紙を取り上げてテーブルに着いた。今朝は、ゆっくり新聞が読める。いつもの十分間では、珈琲カップをせわしく口に運びながら、空いている片手でピッピッと性急にめくり、紙面に目を走らせるのが精一杯だった。せいぜい一紙の政治面から社会面、テレビ欄まで走り読みして間㎜属する時間でしかなかった。

「今朝はゆっくりなんですね?」

 顔馴染みのウェートレスがおしぼりと水の入ったグラスをテーブルに置きながら声をかけた。顔馴染みだといっても、私的な会話を、そうしょっちゅうするわけではなかった。今朝のを含めれば、これまで三度ぐらいのものである。

「おはようございます」

 とオーダーを取りに来る彼女に軽く会釈して見せるだけのコミニュケーションが殆どだった。ちょっとふくよかな体型で、スマートには程遠い女の子だったが、祐介は彼女の醸し出す田舎っぽさに好感を持っていた。彼女の底のなさそうな笑顔が、祐介の胸をときめかしさえした。それでも、十分間の逢瀬(?)は、名公的な性格の祐介の持ち時間としては、余りに短かった。

「お休みなんですか?」

 最初の質問にドギマギしているうちに、彼女は更に訊いた。朝のピークタイムが終わった後だけに、ゆっくりした対応だった。

「ええ、まあ」

 祐介はやっと、それだけ答えた。

「いつものでいいですか?」

「はい、お願いします」

 せっかくのコミニュケーションを深めるチャンスがついえ去った。ウェイトレスは笑顔を残してさっさと立ち去った。よく突き出た尻が格好よくスカートに包まれて、右に左に揺れて遠ざかるのに、祐介はしばし見惚れた。珈琲とモーニングセットの皿を彼女が運んで来た時、祐介はスポーツ新聞の大相撲の記事に神経を奪われ、目の前にそれが置かれるまで迂闊にも気付かずにいた。

「ありがとう」

 祐介は消え入りそうな声で慌てて礼をいったが、既に役割を終えた彼女は、こちらに背中を向けていた。遠ざかる魅力的な彼女の尻は、もう祐介とは無関係にリズミカルな揺れをを見せているだけだった。祐介はゆっくりと珈琲を味わい、新聞の隅から隅まで目を通すつもりでいた。それは、毎朝時間に追われ続ける祐介のささやかな願望である。どう考えても時間が自分の自由になるなんて不可能だった。その時間が今はどうにでもしてくれと、祐介に身を任せて来ていた。じっくりと料理すればいいだけだった。祐介は十分もせぬうちに尻が落ち着かなくなった。思惑に反して、どんどん居心地が悪くなるばかりだった。珈琲をじっくりと口に含んで味わおうとしているのに、口に入った珈琲は喉へ直行してしまい、みるみる間に白い肉厚の珈琲カップの中身は底を見せた。珍しくモーニングセットのトーストを平らげるべく手をつけたが、それも時間稼ぎにはならなかった。ゆで玉子すら、あっさりと殻は剥けすぐに胃の腑へ収まってしまった。新聞は、いざ落ち着いて読もうとしても、そう簡単に習慣づいたことは改まらないもので、せっかちにピッピッとめくっているちに、もう興味のある記事はひとつもなくなった。新聞を抛り出すと、椅子の背に身体を押し付けて、落ち着かぬ視線を店内に遊ばせた。また客層が変わっていた。主婦らしい女たちの姿が目立っている。集金袋をテーブルに投げ出したブローカー然とした男が、シーシーと歯を穿っていた。風体の定まらぬ連中もあちこちに見える。階下にあるパチンコ屋の開店を待っているのだ。               (続く)

「この新聞、あいてまっか?」

 隣に座っていた中年の男が無遠慮に手を突き出して訊いた。判事も待たず、男はすかさず手をグイッと伸ばし新聞を鷲掴みしていた。祐介は伝票を掴むと立ち上がった。もう自分がいていい時間のエリアはとっくに過ぎていた。これ以上、長っ尻でおれる図々しさを持ち合わせていなかった。

「ありがとうございました。またどうぞ」定番のレジ係の言葉に送られて店の外へ出ると、祐介はなぜかホッとした。淀んだ空気から、漸く解放された思いがあった。エスカレーターを降り切った所で、階下のパチンコ屋の開店時間を待ちきれず、たむろした男や女が賑やかしく列を作っていた。

 祐介は自分のいる場所を探しあぐねた格好で結局姫路駅に戻った。駅のど真ん中に居場所を確保している、丸くて大きい時計が目に入った。チッチッと秒針は動き続けていた。仕事を休むと決めて得られた解放感に浸った、あの時間からまだ一時間も経っていないのを確かめて、祐介は思わずため息をついた。時間手奴は、なんて思い通りにならないヤツなんだ、と小憎らしかった。きのうの日曜日は家でゴロゴロして過ごしたが、その時間はアッと言う間に終わった。今朝は身勝手な手段で手に入れた休日だが、やはり同じように過ぎてしまいそうな予感があった。祐介はまた憂鬱な気分に襲われた。どこかに祐介が自由な時間を満喫出来る場所があるなどとは到底思えない。大体、休日に家を離れて遠出するなど、まるで無縁の祐介に、それは最初から無理な相談だった。祐介は財布の中身を調べた。給料を貰ってまだ二週間、そんなに減ってはいなかった。給料の半分は家に入れて、後の半分は小遣いである。それとて恋人もいないいない祐介に余り使い道はなかった。他人に生真面目と見られるように、祐介は遊びや買い物、グルメみたいなものとは皆目縁のない、寂しい若者だった。

 いきなり、京都へ行こうと思い付いた。唐突だったが、前に職場の同僚が得意気に喋っていた、太秦の映画村に行きたくなった。無駄に一日を送るぐらいなら、思い切って京都に行ってみよう。何かがあるかも知れない。祐介は初めて目的を持った。胸はドキドキと、期待と不安がないまぜになった鼓動を打った。

 窓口で京都までの往復切符を買った。駅員が訝るように覗いている気がして、祐介は身を固くしたが、それは祐介の思い過ごしでしかなかった。駅員はさも退屈そうに生欠伸を繰り返しながら切符を発行した。

 京都は祐介の期待を裏切った。別に京都に罪があったわけではなく、祐介自身がそう思い込む原因を抱えていたからである。太秦の映画村は、そう問題なく行き着いたのだが、バスに乗っても、映画村を歩いても、、どこに行こうと、やはり祐介は全くの一人ぼっちだった。それで面白いようだったら、元より人間は群れて社会を構成する必要などない証明になる。自由は人間の夢や願望であっても、所詮一人で生きていけない脆弱な本性が現実の人間だった。祐介は、そんな人間のひとりである。

 祐介は映画村をひと回りもしないうちに踵を返した。とにかく詰まらなかった。賑わいはそれ相応にあるだけに、祐介の孤独感は一層募るのだった。半年前に職場の慰安旅行でで京都を訪れた時は、それでも結構楽しかった記憶が残っている。ミヤコホテルで食事をした。幸せな気分でご馳走に箸を運ばせたのも憶えている。同じ京都なのに、一体何が違うのか?そうだ。あの時はみんんがいた。祐介の頭に次々と、職場の気心が知れた連中の顔が浮かんだ。あの若い事務員も、いつも祐介に笑いかけてくれた。職場をまとめる専務のどこか間延びして見える顔も浮かんだ。

 祐介はバスに急いだ。太秦を後にした。京都駅に辿り着くと、そのまま快速電車に乗り込んだ。

 京都にやって来る途中、京都へ近づくに伴い、白けた気分がいや増したものだったが、姫路へ帰る今はちょうど逆転した形で、不思議に鼻歌を口ずさみたい程、気分が高揚した。

 姫路駅に着くと、祐介はとたんに空腹を覚えて、地下街にある大衆中華料理店に飛び込んだ。よく利用する店だった。ホッとした。腹拵えが出来て人心地がつくと、祐介は店の油にまみれた汚らしい風情の時計を見上げた。職場の就業時間になっていた。

 嘘で手にした臨時の休日は、もう終わろうとしていた。長かったようで短かった、祐介の虚構の一日は、結局はかなく終わりを向かえ阿多のである。

 しかし、無駄ではなかったと、祐介は思う。いつまでとは定かではないが、憂鬱な月曜日の訪れは、ここ暫らくはなくなるだろう。それでも再び憂鬱な朝がやって来ようものなら、今日と同じ無為な休日を送ればよいではないか。祐介は、思わず苦笑した。


「ふるさと川柳公募」3作品もアップ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味との出会いに感謝

2023年05月01日 00時21分07秒 | 日記
雨の影響を受けた畑、足元は泥状態に。
「畑DEラジオ体操」は中止にせざるを得ない。
畑の嵐は、
野外イベントの予定を覆し手ばかり。
敵は天候だから、どうしようもない。
5月に巻き返しである。
自分を鼓舞するも、ため息が出る。

気を入れ直す意味で、
妻の誘いに応じて多可へ出向いた。
「エアレーベン八千代」でこだわり商品を購入。
その足で有名になった「マイスター工房八千代」へ。
ゴールデンウィークで利用客の多さを覚悟したが、
駐車場の車の多さはさすが、
なんと車を誘導の警備員と、
臨時の受付まででているのに正直驚いた。
田舎の町おこしの成功例に感心するわたし。
ただ名物の「天船巻き寿司」は、すぐ手に入った。
帰宅後さっそく頂いたが、
それなりの味わいはさすがだった。
食べながら思い出したのは、
亡き母が翌作ってくれた、
はち切れんばかりの巻きずし。
祭りなど特別な日だけではなく、
しょっちゅう作って貰えた、正真正銘の母の味。
名物太巻きは味以上に母の記憶を蘇らせてくれたのだ。
帰りに立ち寄った加西の「菓子Lapin」の、
フルーツジェラートは、
ごく普通に美味しく味わえたのだが、
そんな普通を超えた拘りを活かした魅力的なお店が、
もっと増えることを望む欲張りな私に気付いた。

「ふるさと川柳公募」の作品は、3作品です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする