老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

994 老化は足(脚)から

2019-03-11 14:27:13 | 老いの光影
老化は足(脚)から

仙台駅にあるS-PALに来た
ショッピングは本当に疲れる

散歩の歩きとショッピングの歩きは違う

今までは1万歩前後
ビーグル元気と歩いていたのだが
ここ2週間ほど5千歩の歩きで
下肢の筋力が落ちてしまった感がする

そのせいか、ショッピング中
2度3度躓き転びそうになり
ヒヤッとした。

老化は足(脚)から、ということを実感した
足(脚)だけでなく
頭も負けじと置き忘れど忘れが進んでいる。

S-PAL地下2階にあるKITAZAWAで
フルーツ盛り合わせ(大)を味わった
高血圧症の薬等を服薬しているので
グレープフルーツは禁断の果物

朝夕の服薬時間から 
離れており
今日は禁断を破ってもいいかな?
ということで、
今まで耐え我慢していた
禁断の果物、グレープフルーツを食べた

生き返った
これで暫くはグレープフルーツは
我慢できる。
神様に感謝。

993 老人と子ども(9) “子どもは生きている、老人も生きている”

2019-03-11 04:50:50 | 老人と子ども
老人と子ども(9) “子どもは生きている、老人も生きている”

赤ん坊は産まれるときは
独りではない
産声をあげたとき
傍らに人が居る

暗い不安な産道を通り抜け
この世に出たときの“まぶしさ”
光を感じた
人生最初の偉業を終え
いま母親の隣りで眠る赤ん坊。

寝返りもできず「寝たきり」の状態にあった赤ん坊
(個人差はあるが)1歳前後で立ち歩きだす
保育園(または幼稚園)に通う頃は、元気に走り回る。

自分で「できる」ことがひとつ一つ増えてくる。
紙おむつに「さよなら」したときは
小さな大人になった気分
得意げになり「ひとりでトイレに行けるよ」


齢(よわい)をひとつ重ねるたびごとに
老人は
昨日「できた」ことが
今日は「できなくなり」戸惑う。

洗濯を干そうと
縁側にある石段を降りたときに
大腿骨を骨折
それがもとで
ひとりでトイレにも行けなくなり
「紙おむつよ こんにちは」の身となる

寝たきりになり10年
寝たきり老人はしぶとさがあり
そう簡単には死なない

でも
にんげんはいつか死ぬ
老いの最期は
独り死ぬこともある
にんげんの手を握り
死にたいものだ

それでも
子どもは生きている
老人も生きている

3.11の辛さがあっても
にんげん 生きている






992 朝、顔を洗うと・・・・

2019-03-11 04:34:58 | 阿呆者
犬吠岬からみた朝陽

朝、顔を洗うと・・・・

春近しとはいえ
5時前の東北は
まだ暗闇にある。

鶏の鳴き声よりも
早く起きる自分。

朝、起きたら
一番にbeagle元気の紙おむつ交換

その後
洗面所に行き
歯磨きと顔を洗う

すっきりする
今日という新しい日が始まる