老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1017 春は草木も老人も元気にする

2019-03-21 13:46:07 | 老いの光影 第4章
白河会津橋から / 阿武隈川と那須連山 


 春は草木も老人も元気にする

8時30分 朝一番に在宅訪問
愛車キャンバスは走る

青山ツヤさん(85歳)
冬の季節は
好きな草取りも出来ず
外に出ることはなく
ジッと炬燵にうずくまったり寝たりしている

家に閉じ籠りのためか
青白い顔で精気が失せ
もんぺと紙ぱんつはずり落ち
腰とお尻を半分露出したまま

訪問するたびに
「〇月△日で死ぬのだ」と
聞こえるように呟くが
その日に死んだことは一度もなかった

うつと認知症が重なりあい
「死にたい」症候群が
蟷螂の首のようにもたげる

阿武隈川が流れる東北の南外れ
桜の枝を見ると蕾が膨らみ
春の訪れを感じる

ツヤさんの家は農家
野菜畑や畦道は
枯草のなかに青草(みどり色の草)が生えてきた
それはまだ処々の青草でまだ背丈も短い

青草を目にしたツヤさんは
意気揚々と右手に小さな鎌を持ち
(草取りにはまだ早い)幼い草を根こそぎ堀起しとってしまう

春になり
草取りをすることで元気回復
春の陽射しを浴びたことで
顔肌はツヤツヤ

春が来た
土から這い出す虫のように
ツヤさんの心も躰も
蠢いてきた

枯草のなかから青草が生え
木々は蕾を膨らませ
桜が咲くのももう少し
春よ来い









1016 倚りかからず

2019-03-21 05:22:35 | 読む 聞く 見る
茨木のり子『倚りかからず』ちくま文庫

倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ

本当~に 暫くぶりに 詩集を手にした
いまの私には、単行本は高くて買えないので、いつも文庫本にしている

『倚りかからず』は早くに単行本として
書店に山積みにされていたことは知ってはいた
先日 文庫本コーナーに
『倚りかからず』が並べられてあり手が伸びてしまった

  
  倚りかからず
          茨木 のり子

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なにを不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


                  『倚りかからず』62~64

じぶんの耳と目で
生きている社会を学ぶ

思想も学問も報道(新聞、テレビ)も社会で起きていることも
じぶんの耳や目や頭を通し見つめてみる
なにが嘘で なにが真実か

詩の終わりの3行
本当に鮮やかなラスト

 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ


背もたれの椅子に
倚りかかっているのは
じぶん
それはじぶんだけの時空間

要介護老人になると
背もたれの椅子は
なくてはならないもの

とくにお風呂に入るときは
背もたれと両肘付きのシャワー椅子があると
安楽に体を洗うことができる

日々介護に追われ先の見えない介護者にとって
背もたれの椅子に 倚りかかり
ゆっくりしたい・・・・

老い往き 
夫婦のどちらかが介護を「受ける」身になったとき
老夫は 老妻に「倚りかかり」が多い