老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1033;「終わり」から「始まり」へ

2019-03-22 04:09:50 | 阿呆者
 「終わり」から「始まり」へ

「始まり」から「終わり」までなら理解できるが
「終わり」から「始まり」へ 
何だろう、と思ってしまう
「平成」が終わり「新しい年号」にバトンタッチする

平成30
平成元年に
老人介護の世界に足を踏み入れ
いまなお介護を止めずに居る

最初は老人保健施設や特別養護老人ホームに身を置き
「家に帰りたい」と呟く老人の本音が聴こえてきた
自分が家に居ることで 家族関係が壊れる
戦争や戦後の貧困に耐え忍んできた老人たち
自分さえ我慢すれば施設で暮らすことなどいくらでも耐えられる

老人保健施設に入所している老人ほど
自分の居場所が定まらないことに不安感や焦燥感を抱き
「家に帰りたい」と叫ぶ

介護施設を飛び出し
在宅介護の世界に軸足を変えた自分

9060  8050
老親だけでなく 子も老い始め
老老介護の様相が更に親子のなかも絡み始めてきた

介護施設では見ることができなかった
老人が家族のなかで
どのような立場や位置に置かれているのか
舅姑と息子夫婦の柵(しがらみ)が根深くあるだけに
介護に深い影を落している

新しい年号に入り
これからの30年は
どんな老いの時代(老人介護)に変化していくのか
他人事ではなく自分自身の事として
老いていくことや老人介護の有り様を
考え実行していく時代の始まりでもある


1018 老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

2019-03-22 03:37:09 | 老い楽の詩
老いから感じたこと想うこと(老いの感想)

老人は
辛辣な言葉
味のある言葉
人生を振り返る言葉
「無言」の言葉
いろいろな言葉を発する

老老介護
老夫婦共々
長寿の時代になった
喜寿 卒寿を迎え

連れ合いのどちらかが
寝たきりや重度の認知症を患い
重度の要介護(要介護3~要介護5)になると
老いた身の介護はしんどく辛い

それ以上に
昼夜ベッド上で臥床し
ジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし
拾年が過ぎた

寝返りも起きあがりも
老妻(老夫)の手を借りなければできない
我が身の不甲斐なさ辛さ
私は拾年もジッとベッド上で耐えることができるであろうか
そう想うと
寝たきり拾年
凄い忍耐力だと想う

介護を「受ける」
介護を「される」

受身のある生活に見えてしまうけれど
実際は
そうではなく
痛みや辛さにジッと耐え
無言のうちに生きてきた


長年連れ添った妻(夫)から世話(介護)を受けてきたことに
「すまなさ」と「ありがとう」の気持ちが複雑に交錯する

我が身の下肢や体を動かすこともままならぬ不甲斐なさ
「死にたい」と思ったり言葉にしても
死ぬことすらできない

それでも妻(夫)に生かされながら生きてきた
どこまで生きれば
神様は生きることを
許してくれるのだろうか

痩せ衰え
骨が出たところがあたり
体のあちこちに
床ずれ(褥瘡)ができてきた
飲み込むこともしんどく
十分な栄養も摂れず
暑い日々は
熱中症(脱水症)から熱発の繰り返し

それでも生きる老人たちの姿から
私が感じたり想うことは様々


  《私の呟き》

  老いてはじめて
  長い時間
  無駄に生きてきたことに
  気づかされた
  
  後悔しても
  過ぎ去った時間を取り返すこともできないし
  逆戻りすることもできない
  「被介護保険者証」を手にした私は要介護老人予備軍
  老人の仲間になった

  いまさらながら
  老いの身になって
  頑張ったところで
  できることは限られている
  
  青い空の下で
  碧い海の上で
  鴎が飛んでいる風景に
  小さな夢を重ね
  あと数年の短い時間であっても
  いままで無駄に生きてきた時間を
  埋め合わせていければと思う

  何ができるか
  何がしたいか

  老人になった私は
  老人たちに向き合い
  老人の後姿から学び
  老人たちと生きて往く


  ※201866日のブログ771を再掲 一部書き直し