三浦綾子 『泥流地帯』『続泥流地帯』 新潮文庫
苦難は試練 『泥流地帯』を読みながら
8年前の東日本大震災が重ね合わさった。
大正15年5月の十勝岳大噴火、突然の火山爆発による山津波(泥流)
一瞬にして、家族の命も家も学校も夢も泥流が押し流していった
大正から昭和の時代
遠く、ふるさとの福島を離れて、はるばる北海道(富良野)までやってきた石村家族
当時の農民(小作農、水呑百姓)で貧しかった
それでも貧しさに耐えながら必死に生きてきた
石村家の男孫 拓一・耕作兄弟
山津波で泥流となった田圃
無数の流木を掘り起し再び開墾していく姿は
東日本大震災の復興ともダブり映る
40年前に三浦綾子さんの小説『塩狩峠』を読み泪した
『泥流地帯』を読み、ハッとするような宝石のような言葉に幾つも手にした
目に見えないものが大切(『泥流地帯』48頁 《この言葉は『星の王子様』にも出てくる》
目に見えないもの それは「こころ」や「生命」などであったりする
大切なものほど失ってはじめてわかる
お前は頭で考えるからなあ。だがなあ、俺は心で考えたいんだ 『続泥流地帯』29頁
人間というのは頭で物事を考えてしまう癖がある
何の報われることのない苦労(全く何の見返りもない苦労)こそ自分の人生における宝
『続泥流地帯』275~276頁 一部要約した
苦労した分だけ報われる、と思う。何の見返りも求めず苦労していく、なかなかできないことだ
人間はな、景色でも友だちでも、懐かしいものをもっていなければならん。
懐かしさで一杯のものを持っていると、人間はそう簡単に堕落しないものなんだ
『続泥流地帯』404頁
老いてくると、本当に生れ育ったふるさとの景色を懐かしく想う
昨日の日曜日は家に籠り
暫くぶりで昭和前期(戦前)を背景すとする小説を読み終えた
住井すゑさんの小説『橋のない川』新潮社 を想い出した
長編小説なので、いつか読み直してみたいと思っている いつの日か