老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1012 ぼた餅

2019-03-19 13:24:56 | 老いびとの聲
 ぼた餅

彼岸が近づき
いまは亡き人の墓参り

子どもの頃
春秋の彼岸のときには
いつも
母親はぼた餅(おはぎ)を作り
仏壇にあげていた

弁当の代わりにぼた餅を
弁当箱に詰め
持たせてくれた母

もうその母はこの世にはいない

おにぎりに餡子を包んだ
ぼた餅
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1011 たくさん生きてしまった

2019-03-19 05:37:27 | 老いの光影 第4章
 たくさん生きてしまった

要介護老人の家々を訪れ
思うこと

昨日は今年の正月
寝たきりの夫を看取った
85歳を超えた妻から
「たくさん生きてしまった」
「(介護から解放され)長男から、これから楽しんで暮らしな」、と言われた。

彼女も要介護認定を受けていた。
日中は独居
同敷地内別棟に長女は住み、夜遅く仕事から帰って来る。

伴侶を長い間世話をした介護者
その後の心のケアも大切

介護終わっても
介護者にとっては
心の整理がつくまで終わりではないのかもしれない

彼岸を間近にして想う
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1010  あるがままの自分を受け入れる

2019-03-19 04:30:05 | 読む 聞く 見る
京極夏彦『ヒトでなし』新潮文庫


 あるがままの自分を受け入れる 

3月4日に『ヒトでなし』を手にし
3月18日にようやく読み終えた
仕事も家も妻子も、全てを失った男の話

“ニンゲンの屑”と言われ
全てを捨て いまの地に移り棲んだ
それだけに“ヒトでなし”のタイトルに魅かれ手にした
760頁余りの厚い文庫本

自分の本質(性格)は
そう簡単に変わるものでない、ことを
この『ヒトでなし』を読み
改めて知った。

尾田慎吾は、娘の事故死(殺された)が引き鉄となり
「ヒトでなし」と
もう他人である元妻から言われた


 学習したって修行したって、人は変わらんのだ。
「反省すりゃ失敗は減る。
 学習すれば成功も増える。
 経験積めば効率は良くならァ。
 でも、根っこのところはおんなじだ。
 伸びた枝葉は刈ることもできるだろうが、根っこは弄(いじ)れねえ。
 下手に掘りゃ枯れるよ。
 だから解ったってどうすることもできねえのよ。
 そうでなくっちゃ後悔なんて言葉はうまれなえだろうが」(544頁)


「どうやら俺は、生きてはいたが、生きてたってだけで、人としての生活はしていなかったーようだ」(124頁) 

自分の怠惰な性格は
中学生のときから続いており
いまも変えられずにいる
老いては もう変えることのできない性格
変わらぬ根っこを弄ってみても枯れるだけ
本当にそう思う

いまの自分をあるがままに受け入れる
怠惰、意志薄弱な性格を変えることができなかった、と後悔したところで
今更どうしようもないし、時間は戻らない

「あるものをあるがままに受け入れる、それだけである」(765頁)

本当に生きた、と実感できる日々を
高校生のときに読んだ柴田翔の『されどわれらが日々』(新潮社)
ほろ苦く思い出す

本当に生きた、と実感できる日々がない自分
いったい何をしてきたのか

老境の身にあり残された日々は僅か
いまからでも 本当に生きた、と実感できる日々を
青春に返ったつもりで生きてみる・・・・






 
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