老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1027 誰の親だ⁇

2019-03-27 20:56:13 | 老いの光影 第4章
夜間救急外来風景

誰の親だ⁇

八幡 婆さん
喘息があるのに
服用せずにいた

さくらさくらデイサービス利用のときは服用していたが
服用したりしなかったりでは
効果なしどころか
喘息は悪化、呼吸困難
体動すると酸素濃度は80前後の数値

さくらさくらの管理者に
先にS総合病院救急外来受診するよう依頼、
その後教師である長男に
老母の状態を電話により報告。

諸々の検査をした結果
吸入しても症状は良くなく
入院となった

16時18分、救急外来受付
只今の時間21時18分
入院が決まり長男に電話し病院に来て頂きたい事を話す
4月にy小学校異動となったため
引き継ぎの事務処理で病院には行けないの一言

「えっ!」「誰の親だ」と、、
一瞬頭のなかをよぎった

ネグレクト
要介護4の老母

入院手続きがあり
それは家族でないとできない
来れないと
今後入院拒否され入院ができなくなる、と話すと
そしたら老人ホームに入れる

入院しなくてもよいから
そのまま自宅に連れて帰って置いてくればいい
入院といわれた状態の母を
誰もいない自宅に一人で置いたら
死んでしまうよ

入院と言われても自宅に帰れないわけではないんだろう
医師から入院と言われ、いま点滴の処置がなされている
一人自宅に置くことはできない
死んでしまう

医師と再度相談します
長男も嫁さんも
入院手続きに来れない

結果、入院させることになり
ケアマネジャー〈私)が病棟に経過を説明することになった

22時になる
自分服用時間
20時は遠に過ぎてしまった

関わりすぎ、と批判の声も聞かれるが
苦しんでいる本人を
入院させず自宅に連れ帰る
責任は長男にある
それはわかるが

頭を抱えている家族の一つです





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1026 いったい死とは

2019-03-27 15:14:13 | 生老病死
死は影なのか

 いったい死とは

あるブログのなかで
「いったい死とは」
問われ気になりだした

死ぬと
その瞬間  [the end] となり
大切だった人の存在が
消えて無くなる


生きるとは
死に向かうこと
地位、立場、貧富などに関係なく
誰もが死ぬ

死は宿命

交通事故と同じく死も
自分が 今日遭遇するとは思ってはいない
無縁でありたい、と

死は実体がなく
死者しか「死」はわからない

生きている者にとり
死は未知の時空間

老い死が近づいてくると
生き方よりも死に方が難しい
昨今の世の中

いったい死とは

どんな死に方をしたいのか(老人)
どんな生き方をしたいのか(子ども)

どこまでが生であり
どこまでが死なのか
生死一体(生死一如)
そんな気がしてならない

※観念的、死を頭で考えている









コメント (2)
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1025 さくら さくら

2019-03-27 04:55:20 | 老いびとの聲
 さくら さくら

さくら さくら
あなたに ふたたび会えた歓び

さくら さくら
あなたのいのちは
短くはかなく散り逝くだけに
あなたは眩しく美しく想う

さくら さくら
わたしのいのちは
あとわずか

さくら さくら
さくら さくら 

さくら さくら
桜花爛漫の後は

葉桜となり
夏の季節(とき)は
日陰となって
わたしの躰をいたわり休ませてくれる

さくら さくら
赤とんぼがいなくなると
さくらは錦秋となり
わたしの心を癒してくれる

さくらの枝から
最後の枯葉も落ち
雪の下で腐葉土となって
さくらのいのちを育む

さくらの蕾は
しばれ凍えにジッと耐え
厳冬を乗り越えたその先は
春が来る

さくら さくら
桜満開のとき
あなたの子どもは
小学1年生となり
今日がその入学式








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