老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

997 明星

2019-03-12 20:26:42 | 老いびとの聲
明星 

昔のことを思い出した
1964(昭和39)年東京オリンピックの頃
そのときの自分は小学校6年生

今日とは違い
スマホもPCもカラーTVもなかった

農村に棲み 隣りの農家は直線距離にして200~300mあった
隣りの家は従兄姉がいて
よく月間雑誌『明星』『平凡』を手にし
騒いでいた。

自分は『明星』の方が好きで
歌手では 舟木一夫 三田明 西郷輝彦 橋幸夫、
映画スターは 石原裕次郎 浜田光男 吉永小百合 和泉雅子 松原智恵子 だった。

玉置宏のロッテ歌のアルバム は日曜お昼の人気番組であった。

過去形の話ばかりで
自分も老いた一人なのかな、と苦笑してしまう

《明星》は
夜空に輝く星は
昭和のスターであり
田舎の若者にとっては憧れのスターであった。

「月星」のゴム長靴のことも思い出した
雪が降り積もる北国では
ゴム長靴は必需品であった。


老人も輝くスターであった
昔仕事に誇りを持ち
高度経済成長の日本を支え働いてきた
家族を守り子ども育てきた

夜空に輝く星

996 いま、ここに生きる

2019-03-12 17:07:59 | 老いの光影 第4章
いま、ここに生きる

「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないことです(『嫌われる勇気』岸見一郎 古賀史健、275頁)。
『いま、ここ』を真剣に生きること」です(前掲274頁)。


人は、過去にこだわり、
果てぬ未来に夢を見たところで、
何も変化は生まれて来ない。

「いま、ここに生きる」人として浮かんできたのが、
認知症老人である。

繰り返し話していた昔のことも話さなくなり、
いま、自分が、どうしていいかわからなくなったり、
何をしようとしたのか忘れてしまったりして、
戸惑いや不安が渦巻く。

認知症老人は、
過去や未来のことよりも、
現在(いま)気にかかっていることが、一番の問題であり、
そのことを解決していかない限り、
前に進むことはできないし、並行して他の事もできない。

認知症老人に限らず、齢(よわい、年齢)をかさね老いて来ると、
「できていた」ことが知らず知らずのうちに「できない」ことが一つひとつ増えてくる。

本人は足が上がっているつもりでも、
一寸した段差に躓き前のめりになり両手を着いてしまう。
《自分も、しっかり躓き転んだ》

認知症老人は、
「今日」が一番のベストであり、
「明日」になると状態は「 ↘ 」になるかもしれない。

認知症の進行は緩慢であったり、
急に落下したりといったように予測できないところがある。
それだけに、「今日」がベストな状態であり、
「今日」という日は、繰り返すことのない一日、
すなわち瞬間、瞬間の時間が大切なのだと思う。

「認知症老人は、
桜の花を見せに連れ出しても、帰って来た時には“何処へ行ったかも忘れてしまっている。
だったら連れて行かなくてもよいのでは・・・・」と話す介護従事者がいた。

桜を見たことを忘れたことよりも、
いま、桜の花を見て、
「今年も桜の花を見ることができた」ことに感謝、歓喜(よろこび)、
「きれいだな」と感動したりする

その瞬間、瞬間に生きていることに、
人は何を感じ、何を想うであろうか。

認知症老人は、
戸惑いや不安を抱えながら、
必死に「いま、ここに生きている」後ろ姿から、
自分も、生かされていることを学ぶ。

自分は「いったい何をしているだろうか」と後悔と深い自省の念を抱く。

誰にも与えられた一日の時間は24時間。