気持ちが折れそうなとき 青い空を見上げる
『誰にもわからないひとり介護の辛さ』
或る介護ブログに『誰にもわからないひとり介護の辛さ』が書かれてあった。
私自身唸り打ちのめされた
それでも「お前よどこまでひとり介護の辛さがわかっているのか」、と
声が聞こえてきそうだ。
自由気儘に家族をかえりみず生きてきた親や連あいほど
貯金も余りなく年金もかけてはこなかった。
使える介護サービスはあっても、介護に使える金は限りがある。
残されたものは、ひとり介護者の介護力のみ。
頼る人はいない
ケアマネジャーがいるじゃないか、と言われても
どこまで親身になって相談してくれているか
月1回の訪問でどこまでわかってくれているか。
兄弟姉妹叔父叔母が居ても
自分の生活だけでいっぱいいっぱい。
結局はひとりの介護の辛さが、重くのしかかる。
やり切れない介護、辛いか介護の日々のなかで
生きるってなんだろう、と溜息をついてしまう。
「私の人生ってなんだろう」
大切な時間を奪われ失い、気がついたときには
身も心も抜け殻になり生きる気力さえも失ってしまう。
そんな辛さを誰にぶつけたらいいのか。
認知症になった老親
どこまでわかっているのか
どこまで惚けているのか
わからないけれど
「ありがとう」の言葉があるだけで
辛い気持ちは救われる。
「どこまで生きればいいのか」
それは「どこまで介護をし続ければいいのか」
それとも「どこまで介護をすればいいのか」
という言葉にも置き換えられる。
1917年11月に掲載、一部書き直しあり