人はなぜ生きるのだろうか?死なないからだ
フィクション小説であるけれど
90歳を超えた老人の気持ちが書かれてあり
興味深かった。
目が覚めた。
「自分は今日もまた生きている」ということに、
気がついたんだということに気づく(9頁)
90歳、しかも95歳を超えて生きるのは、
生きているだけで疲れる年頃なんだ。(131~132頁)
95歳を超えてもなかには元気な老人はいるが、
疲れる老人がいることも理解しなければならない。
自分はいま67歳、30年後まで生きていたとしたら97歳になる。
橋本老人は98歳になっても 原稿に向かい小説を書いている、凄いことだ。
人間とは厄介なものだ。ただ生きているだけだと人間じゃなくなる(23頁)
橋本老人は、くれぐれも口を開けたまま死なないようにしよう。(31頁)
でも、死んでしまったら自分がどんな顔をしているのか、わからない。
うどんを焦がした。火を止めるのを忘れた橋本老人は呟く
あーあ、これでまだ生きるのかよ、やんなっちゃうな。
うどんとおんなじだ。焦げて、汁がなくなってる。
これを、捨てるかどうか、悩むところではありますな。(130頁)
90歳過ぎたら惚けたってかまわない、そんな気がしてならない。
自分は多病息災の躰ではあるが、85歳までは生きたい、と願ってはいるが
死の訪れは神のみぞ知る。
人はなぜ生きるのだろうか?
死なないからだ。
老いの生命は、死の順番待ちなのだ。
だから、退屈してしまう。(171頁)
橋本老人は、この先、私にどんなおもしろいことがあるのだろうか、と呟く。
別に、おもしろいことなんかないし、望んでもいない。
長く生きると、飽きる。
退屈しないように生きる、死を待つにはどうしたらよいか・・・。
95歳を超えた老人の心情を知る、ひとつの書であった。