老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1416;99歳の婆さん 週末退院する❣

2020-02-25 15:58:09 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳の婆さん 週末退院する

今日、長男夫婦、担当医師、病棟看護師長、医療相談員(MSW)、ケアマネジャー(自分)が
ナーステーション打ち合わせ室に集まり
99歳の婆さんが退院した後の生活をどうするか
話し合いをもった。

左の肺炎は治癒し、炎症もない。
杖歩行が心もとなくなり、人間の手を借りなければならない。
家具調ベッドでは起き上がり、立ち上がりは容易ではなく
介助する長男嫁は両膝痛があり腰を曲げるのも大変。

介護用ベッドを利用された方が
起き上がり、立ち上がりの動作も楽にできる
そう長男に説明を行い
介護用ベッド(介護保険では「特殊寝台」と呼ぶ)を借りることにした。
今週の金曜日介護ベッドを設置し、土曜日の午前に退院となった。

病室に寄り 登喜子婆さんの肩に手をかけ
「退院が決まったよ」と話す。

38.6度の高熱、呼吸苦、意識障害の症状ありで、救急搬送による再入院
今度は「生きて家に帰ることは無理かな」と、内心そう思った自分。
そう思いながら昨日は病室を訪れたら、吃驚!
予想に反し、彼女は笑顔で迎えてくれた。

それにしても登喜子婆さんの生命力は凄い。
幾度も峠の路を踏破し、生き抜いてきた彼女。
転倒だけはしないよう気をつけていきたい・・・・。


1415;時  間

2020-02-25 05:02:50 | 阿呆者
時  間

詩人、作家 高見順さんは
詩集『死の淵より』 「過去の空間」のなかで

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残りすくない大事な時間が


余命を宣告された人にとり
時間がざらざらとこぼれ落ちてゆく情景が浮かぶ

自分はを
老いに入り「残りすくない大事な時間」と思いながらも
徒に無駄な時間を消費している

人間の意識(存在)とは関係なく、時間は無限に存在するけれど
死により時間は止まる。

鴨長明さんの有名な『方丈記』のなかに
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。


人間の生死も水の泡に似て消えゆくもの
方丈記の書き出しは有名で、誰もが口ずさむ
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


時間は川の流れに似ていて
時間の流れは絶えることがないけれど、
過ぎ去った時間は元に戻ることはできない。
時間は泡沫であり、消えゆく。
有ると思うな親と金、そして時間をつけ加えたい。