老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1397;死に向かって生きる

2020-02-12 05:08:05 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


死に向かって生きる


人間、おぎゃあ、と産まれた瞬間から
死に向かって生きる運命を背負う。
即ち、「人間、死ぬために生きる」。

「お前は死ぬために生きているのか」、と反論、反感を買ってしまう。
人間に限らず 草花木や人間以外の動物も含めた生き物は、
みな「始まりがあって終わり」がある、といったように有限の生き物である。

どうせ死ぬのだったら、努力や苦労して生きても意味がない
好きなように自由に生きた方がいい、ということで
刃物を振りかざし他人を殺傷するという自己中心的な言動も甚だ迷惑であり、
許されるべきものではない。

「人間、死ぬために生きる」
それは、死ぬまでつまり生きている間は、どう生きてきたか、ということが問われてくる。
蝉のように、俺は此処に生きているぞ、と短い夏の間必死に鳴き叫んでいる。

『365日の紙飛行機』の歌が好き
歌詞のなかに「その距離を競うより
どう飛んだか、どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ」


死に向かって、「どう生きたか」が大切なんだ、と
紙飛行機は空に舞い上がり、心のままに飛んでいった。





コメント (2)
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