にんげんの声が聴こえる
生きていて、不図
自分は生きている価値があるだろうか。
このまま生きていても意味がない。
いまさら、歩いてきた路を引き返すこともできない。
寒い日は 左の膝関節は疼き歩くこともままならぬ。
それから拾年が経ち
独り身となった私。
老い往き病を患い
床に臥す日が続き
尿便で滲みついたおむつ。
自分で取りかえることもできず
為すがままに他人に身を委ねるだけ。
こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら
生きなければならないのか。
生きていく意味もなく
この先 生きたところでしょうがない。
死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく
死ぬこともできず悶々としている。
南窓の居間なのに
陽は差し込まず
老臭と尿臭が混じった酸っぱい臭いが漂う。
毎日ヘルパーが朝夕60分ほど
食事つくりとおむつを取り換えに訪れる。
そのときだけ部屋のなかは明るくなりにんげんの声が聴こえる。