老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1414;99歳のお婆さん 再入院!

2020-02-24 20:19:52 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳のお婆さん 再入院!

2月15日退院した登喜子婆さん 👉 ブログ1400

「家はいいな~」と言いながら
デイサービスは2回利用されるも
表情は苦しく、2月20日の朝 熱発となり
長男は救急車を呼び 地元の総合病院に搬送された。
今度は左肺の肺炎が診断され、再入院となった。

酸素療法となり退院は難しいのかな、と思いながら
今日仕事を終えてから、19時過ぎに病室を訪れた。
予想に反して、本人は元気で、笑顔を見せてくれた。
男性看護師がちょうど病室に居たので、2,3尋ねた。

食事は全粥なのであろうか、自分で食事は摂っているとのこと。
生きるには、まずは食べれているかが、一番気になる。
明日、レントゲンなど検査を予定しているとのこと。

明日は、1年以上も受診していなかった爺様の通院付き添いがある。
その診察を終えてから、登喜子婆さんの病室を再訪してみよう、と思っている。

今年に入り亡くなった人が続いていただけに
登喜子婆さんは、再び退院ができ「家に帰って欲しい」、と願っている。
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1413;生かされて

2020-02-24 04:00:02 | 阿呆者
春よ来い 昨年の桜と愛車キャンバス 2年で走行距離53,000㎞

生かされて

ブログ1412のコメントのなかで、
96歳の老女は「ああ、今日も一日生かさしてもろた」、と
自分は(人間は)、生かされていることに、
感謝の気持ちを抱き、一日を終える。

生かされている
自分のことを考えたとき
心底そう思う。
11年前、人工透析をしていた自分。
妹から腎臓を提供してもらい
医師を始め医療スタッフのお陰で
いまは、透析せずに生きている、というよりは
「生かさしてもろた」と感謝の気持ちを忘れずにいること
96歳の老女から改めて悟らせられた。

免疫力ゼロや副作用により多疾患の躰にあるけれども
こうして「生かされている」ことに感謝し
いま、自分が「している」ことに想いを注ぐ。

しかし、人間の運命はわからず
一寸先は闇ともいわれ、不慮の事故に遭遇するかもしれない。
そのときのことを考え
運転免許証と健康保険被保険者証の裏側に
脳死、心停止のいずれでも移植のために臓器を提供することを表明している。

眼球はしないほうがいいのでは、と言われたが
死んだら何も見えない
もしあの世で眼球提供したことで目が見えないならば
あの世で盲導犬をお願いすればよい。
そう思い眼球にも〇印をつけた。
自分が腎臓移植をうけたことへの「恩返し」哉。

いまの自分は、両足の筋力が衰え階段を昇るとき
杖を使うことで、足も心臓も助けられている。
一度人生に躓いたので、
老いの人生は躓かぬよう杖を頼りに
生かされ、生きていくとしよう。


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