老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1409;永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫

2020-02-20 21:32:16 | 読む 聞く 見る
永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫


中学2年の「ぼく」と、
家に住む着いた猫・ペネトレの哲学対話

ペネトレは人間の言葉を話す不思議な猫

子どものだけでなく、大人が読んでも「ためになる」哲学対話である

正しいとされてきた常識を疑ってみる
180度ものの見方を変えてみる
そうすると、考え方が変わる。そんな感じ方をさせる文庫本である

序章 最初の5行にこんなことが書いてある
 人間は遊ぶために生きている。
 学校なんか行かなくたっていい。
 うそをついてもいい。
 クジラは魚だ。
 地球は丸くない。

人間は何のために生きているのか?
高校生のときから悩み、老いたいまも悩んでいる。
猫ペネトレは「遊ぶために生きている」、と。
「遊ぶ」というのは、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。(19頁)

社会のために生きるとか、誰かのために生きるとか、ということではなく。
自分自身に生きる。

ペネトレは「友だちはいらない」と、「ぼく」に話す。
ぼく:人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ。
ペネトレ:人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってこそが、
     人間が学べき、なによりたいせつなことなんだ。(69頁)

ペネトレは友だちはいらない、とは言ってはいない。
人間は友だち(他人)や大人の考えに影響されやすい。
そのことに対し、自分は何を感じ、何を思い、
自分という存在をみつめ深めていくことが大切。

自分が中学生のときは、そんなことを考えることもなく
その日暮らしに終わっていた。

中学生は多感であり思春期にあるからこそ、
自分をみつめ、自分のことを知っていく。
自分は いま、なにをしたいのか。

生きていくのは自分である
何ものにも左右されず 自分がしたいことをして
満ち足りた気持ちになっていく

老いたからこそ、残り少ない時間のなかで
したいことを「楽しみ」ながら行っていく
そう思いながらも、遊びの境地に浸ることができずにいる
いつの日か、知らない町や知らない海辺を歩いてみたい

自分が育った北海道
井の蛙大海知らずであり
のんびりと過ごした純朴な中学生だった

文庫本があることも知らず
手にしていたのは少年マガジン、少年サンデーなどであった






1408;1年以上も受診していない・・・・

2020-02-20 04:59:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1年以上も受診していない・・・・

自分がいま担当させていただいている
昭和二桁生まれの人は、4分の1おられる。

自分より10歳年上の芳治(よしはる)爺さんも昭和二桁生まれ。
彼は、糖尿病と陳旧性心筋梗塞の持病を抱え
昼夜ベッド上で過ごされている。
歩行器につかまりトイレまで行き用足しをしている。

芳治爺さん、朝食前にインスリン注射を行っているのだが
1年1ヶ月余り、内科受診しておらず
残ったインスリン製剤を使い
1年前に主治医から指示された20単位の量でインスリン注射をしている。

未使用のインスリン製剤があったから
「受診しなくても大丈夫」、と思った。
そう答える老いた妻。

「何も体に異常はなかったの?」、と尋ねるも
「大丈夫」。

「お父ちゃんは苦労して仕事をし、家族を養ってきたから
 好きな酒を飲ませてあげたい、と思い 毎晩ワンカップを
 飲ませている」、と話す長女。

「何故、病院に行けなかったのか」
妻は、「車に乗せてくれる人がいない」「お金がない」「インスリン製剤があったから」などと
答え、受診せずに自己判断でインスリン注射をされていることの重大さに気づいてはいない。

年金などの収入が入ると、使い切ってしまうため
医療費に充てるお金が無くなってしまう。

通院等乗降介助(ヘルパーによる通院介助)のサービスを組み
来週の火曜日 内科を受診できるよう、病院内科外来に電話連絡をした。
自分も診察のときは同席しようと思っている。
予約なしの受診なので、午前中3時間待ちとなり、溜息が出てしまう。