永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫
中学2年の「ぼく」と、
家に住む着いた猫・ペネトレの哲学対話
ペネトレは人間の言葉を話す不思議な猫
子どものだけでなく、大人が読んでも「ためになる」哲学対話である
正しいとされてきた常識を疑ってみる
180度ものの見方を変えてみる
そうすると、考え方が変わる。そんな感じ方をさせる文庫本である
序章 最初の5行にこんなことが書いてある
人間は遊ぶために生きている。
学校なんか行かなくたっていい。
うそをついてもいい。
クジラは魚だ。
地球は丸くない。
人間は何のために生きているのか?
高校生のときから悩み、老いたいまも悩んでいる。
猫ペネトレは「遊ぶために生きている」、と。
「遊ぶ」というのは、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。(19頁)
社会のために生きるとか、誰かのために生きるとか、ということではなく。
自分自身に生きる。
ペネトレは「友だちはいらない」と、「ぼく」に話す。
ぼく:人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ。
ペネトレ:人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってこそが、
人間が学べき、なによりたいせつなことなんだ。(69頁)
ペネトレは友だちはいらない、とは言ってはいない。
人間は友だち(他人)や大人の考えに影響されやすい。
そのことに対し、自分は何を感じ、何を思い、
自分という存在をみつめ深めていくことが大切。
自分が中学生のときは、そんなことを考えることもなく
その日暮らしに終わっていた。
中学生は多感であり思春期にあるからこそ、
自分をみつめ、自分のことを知っていく。
自分は いま、なにをしたいのか。
生きていくのは自分である
何ものにも左右されず 自分がしたいことをして
満ち足りた気持ちになっていく
老いたからこそ、残り少ない時間のなかで
したいことを「楽しみ」ながら行っていく
そう思いながらも、遊びの境地に浸ることができずにいる
いつの日か、知らない町や知らない海辺を歩いてみたい
自分が育った北海道
井の蛙大海知らずであり
のんびりと過ごした純朴な中学生だった
文庫本があることも知らず
手にしていたのは少年マガジン、少年サンデーなどであった
中学2年の「ぼく」と、
家に住む着いた猫・ペネトレの哲学対話
ペネトレは人間の言葉を話す不思議な猫
子どものだけでなく、大人が読んでも「ためになる」哲学対話である
正しいとされてきた常識を疑ってみる
180度ものの見方を変えてみる
そうすると、考え方が変わる。そんな感じ方をさせる文庫本である
序章 最初の5行にこんなことが書いてある
人間は遊ぶために生きている。
学校なんか行かなくたっていい。
うそをついてもいい。
クジラは魚だ。
地球は丸くない。
人間は何のために生きているのか?
高校生のときから悩み、老いたいまも悩んでいる。
猫ペネトレは「遊ぶために生きている」、と。
「遊ぶ」というのは、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。(19頁)
社会のために生きるとか、誰かのために生きるとか、ということではなく。
自分自身に生きる。
ペネトレは「友だちはいらない」と、「ぼく」に話す。
ぼく:人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ。
ペネトレ:人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってこそが、
人間が学べき、なによりたいせつなことなんだ。(69頁)
ペネトレは友だちはいらない、とは言ってはいない。
人間は友だち(他人)や大人の考えに影響されやすい。
そのことに対し、自分は何を感じ、何を思い、
自分という存在をみつめ深めていくことが大切。
自分が中学生のときは、そんなことを考えることもなく
その日暮らしに終わっていた。
中学生は多感であり思春期にあるからこそ、
自分をみつめ、自分のことを知っていく。
自分は いま、なにをしたいのか。
生きていくのは自分である
何ものにも左右されず 自分がしたいことをして
満ち足りた気持ちになっていく
老いたからこそ、残り少ない時間のなかで
したいことを「楽しみ」ながら行っていく
そう思いながらも、遊びの境地に浸ることができずにいる
いつの日か、知らない町や知らない海辺を歩いてみたい
自分が育った北海道
井の蛙大海知らずであり
のんびりと過ごした純朴な中学生だった
文庫本があることも知らず
手にしていたのは少年マガジン、少年サンデーなどであった