老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

『おらはおらでひとりいぐも』❷ ~子の老いを見届ける時代になった~

2020-09-10 11:14:35 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1669 『おらはおらでひとりいぐも』❷ ~子の老いを見届ける時代になった~
 出だしから長い引用になるが、気になる言葉だったので紹介させていただく。

「だいたい、いつからいつまで親なんだか、子なんだか。
親子といえば手を繋ぐ親子を想像するけれど、
ほんとは子が成人してからのほうがずっと長い。
かての親は末っ子が成人するころには亡くなってしまったそうだけど、
今の親は自分の老いどころか子の老いまで見届ける。
そんなに長いんだったら、いつまでも親だの子だのにこだわらない。」
(60頁)

そうだな、とあらためて思いました。「手を繋ぐ親子」の時間は短く、大人になった子どものほうがずっと長い。
長寿の時代となり、老親だけでなく、子は定年や還暦を迎え老いはすぐそこまで迫ってきている。
子はいつまでも親の金をあてにせず自立せねばならないし、
親は老後は子にみてもらうという甘い期待は抱かぬほうがいいかもしれない。
親子の血縁を疎遠にするつもりはさらさらないが、親は親、子は子、それぞれの道を歩いていくことになる。

認知症になっても老親はわが子の帰りを心配し、「腹を空かして帰ってくるから、何かを作ろう」として、
台所に向かい煮物を作るも、ガス台に鍋をかけてあることを忘れ鍋を焦がしてしまう。
仕事から帰ってきた息子は、焦げた鍋を見て老母を怒ってしまう。
老母はなぜ怒られたのか、その理由がわからずのまま不安と戸惑いだけが残る。

障害を抱えたわが子と同居している老親は
老親亡きあとのわが子を心配されている。
老いたわが子の「面倒」をだれがみていくのか、
そのことを思うと老親は「まだ死んではいられない」とやりきれない気持ちになる。

老親ひとり、息子ひとりで暮らす家族もあり、
老親が亡くなったあと、息子の老後は「ひとり暮らし」となる
自分で自分のことができなくなったとき老いた息子はどう生きていくのか
そのことも気になりながら老親の介護相談をしている”わたし”

老老介護は、老夫(老妻)が老妻(老夫)を介護する言葉として使われたが、
これからは老いを迎えた子どもが80代後半から90代の老親を介護を意味として言葉が拡大していくのだろう・・・・。