老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

遺  骨

2020-09-15 08:50:20 | 老いびとの聲
1677 遺  骨

窪美澄さんの文庫本『すみなれたからだで』のなかに
老父を東京都の山奥にある特別養護老人ホームに
棄てに行く話がある(「父を山に棄てに行く」)。
(現代版楢山節考なのかな)
その老父が老人ホームでなくなり
兄弟で葬式をあげ火葬を行う話に続く(「インフルエンザの左岸から」)。

「係の人に、大きな骨は隆と俺がそれぞれ長い箸で一緒に持ち、
骨壺の中に入れるように言われる。いくつかの骨を入れていくうちに、
骨同士がぶつかる乾いた音がした。細かい骨や粉はのようになった骨の屑を、
係の人がちりとりのようなものでかき集めて骨壺に入れる。
あっけないもんだ。」
(43頁)

火葬場は遺族にとり深い悲しみに襲われながらも
焼かれ出てきた骨を骨壺の中に入れていく様子に
人間の生死の「あっけなさ」を感じたことは
自分にもあった。

それだけに人間は、死の対極で、生きていることの意味を問い思うのかもしれない。

隆の兄は「(自分が亡くなったときでも、あるいは棺に入ったときでも)額に触れてくれる
誰かの手のひらだけが欲しいと強く思った
」(49頁)
無縁仏のように独り寂しく亡くなりたくない。
亡くなる寸前まで人の温もりを、誰しも求めている。