老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「かっぱえびせん」みたいに止められない煙草

2020-09-22 21:25:30 | 老いびとの聲
1688 「かっぱえびせん」みたいに止められない煙草


63歳の不良婆さんが生きている
(老人は65歳からです)
3年前にクモ膜下出血で一命をとりとめた
昨年、脳梗塞に遭遇し右上下肢は軽い後遺症が残った

医師は「煙草を止めなければ今度は危ないよ」、彼女に忠告した。
彼女は2日に1箱の割合で吸う

「煙草は止められないか」、と尋ねると
「止められない」
「クモ膜下出血或いは脳梗塞になったら、今度は寝たきりか若しくは死んでしまうよ、それでも煙草を吸う?」
「・・・・・・、止められない」

どうしたら長年喫煙をしてこられた「不良婆さん」の喫煙をストップできるか・・・・


殺される恐怖で夜通し歩いた

2020-09-22 04:50:37 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
漫画家 ちばてつや 夕陽に照らされ逃げる引揚者

1687 殺される恐怖で夜通し歩いた

昨日在宅訪問をして
西郷杏子さん(86歳)から貴重な体験を聴いた。

北朝鮮に政府から広大な土地をもらえる、と聞かされ多くの貧しい農民が海を渡った。

祖父母、両親、兄弟姉妹5人の9人家族。
現地の朝鮮人を使い、朝鮮の大地を耕し農業を営んでいた。
敗戦のとき、杏子さんは10歳だった。

釜山港(韓国)をめざし、昼間は森に隠れ夜通し歩いた。
当時お母さんのお腹に6人目の子どもがいた。
露助(ロシア人、ロシア兵の蔑称 不適切な表現になるが、あえて杏子さんの言葉をそのまま記載した)
に殺される、という思いで必死に逃げた。

一度は朝鮮の人に捕まった。
当時父親は朝鮮人を虐めず優しくしていたことで、私たち家族の逃避行を助けてくれた。
米や衣類、お金など必要なものを持たせてくれたのは、本当に助かり命拾いした。
韓国の領土まで逃げのびるのは死に物狂いだった。10歳の少女だった自分、よく歩いた、と思う。

博多港に到着した船から、着のみ着のままで引き揚げてきた杏子さんの一家(他の引揚者も同じだった)。
逃避行の苦労は並大抵なものではなかった。
焼け野原になった日本、辿り着いたのは阿武隈山中。
政府から与えられたわずかな原野を開墾し、牛を飼うまでには10年の歳月を要した。
戦後も本当に貧しい生活だった。

いま自分は、脳梗塞後遺症で左半身が麻痺し、歩くのもやっと。
糖尿病から人工透析になった86歳の夫の世話をしている。
世の中は便利になったが、金もかかる。

今度、じっくりと引揚のことを話してくれる、と約束してくれた杏子さん。
貴重な体験を聴くことができた。書物から得ることのできない実話であった。