老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

他人(ひと)の気持ちはわからない{ 犬の気持ちはわからない }

2020-09-23 08:19:44 | 老いびとの聲

beagle genki は何を眺め 何を考えているのか

1689 他人(ひと)の気持ちはわからない{ 犬の気持ちはわからない }

昨日 春男さん(肺癌、躰のあちこちに骨転移)は
71歳の誕生日を迎え、桜デイサービスの爺様婆様に祝福された。
彼自身最後の誕生になるとは思ってはいない。

デイサービスから帰り彼の家に”おじゃま虫”をした。
肺癌に遭遇 癌は躰のあちこちに骨転移となって痛みが現れてきた
ナルサス錠2mgを朝夕1錠服薬
「痛みは10を最高にしたら、いまは1の痛み」だ、と話す彼。

彼に「(家に帰り)何かやりたいことはないか」と尋ねても
「ない・・・」
「食べたい物はあるか」
「ない・・・」
としか言葉が返ってこない。


人間は一人では生きてはいけない
けれど
人間、他人の世話を受けたくないのは下の世話である

おむつをするようになったら人生もうお終いだ、と思う老人
1歳の幼子はおむつが外れ、トイレでできると大きな喜びと自信になる

元気で健康なときはトイレで用を足すことは当たり前のことで
そのことで悩んだりはしない。空気みたいに意識せずにトイレで用を足している。
しかし、老いや病のために用足しが思うようにいかなくなる
それでも、なんとかして「自分の力で」トイレへ行こうと頑張る

老いて死ぬ寸前まで 自分の力で「食べ」「排せつ」することである
もう水を飲むことができなく オシッコもでなくなったら 死は近い


麻痺した左脚に短下肢装具を装着しなければ
歩いてトイレに行くことはできない

”どうにかして短下肢装具を着け、トイレに行く”
そのことがひとりで暮らしていく生きる力になるのだが・・・・
そのことについて春男さんはどう思っているのか
彼はどう考えているのか 彼の気持ちがわからない

自分でトイレに行くことができなければ
家で生活することはできず 介護施設を選ぶしかなくなる

 
beagle genkiに限らず犬は外へ出たがる
外へ出たい、という本能の他に
オシッコ、ウンチを外でしたい、と犬は欲している

散歩の途中 縁石に両足を乗せ
遠くの風景を眺めている
何を思っているのか
何を考えているのか
genkiに尋ねてみても
言葉は返ってこない

犬は鼻で風を感じるという
遠くの風景を眺めながら
流れてくる秋の風を感じているのであろうか