老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❷

2020-09-11 15:00:54 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

               令和2年9月11日の朝 阿武隈川の辺から

1671 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❷

総合病院の地域医療連携室を通し
呼吸外科担当医に春男さんが右足の大腿部、股関節に痛みがあり、立ち上がりや立位も大変になってきたことを
「医師とケアマネジャーの連絡票」に記載しFAXをした。
(2日後に入院を予定していた)

入院の翌日 早速検査を行い、その結果健側である右大腿骨骨頭と患側の腸骨にも骨転移が認められた。
(医師から回答を頂いた)

放射線治療の開始となったものの、痛みのため体を動かすことはできず
ベッドごと移動しながらの放射線治療となった。

コロナウイルス感染防止のため面会はできず、医療ソーシャルワーカー(医療相談員)からの情報が唯一であった。
放射線治療が終わる頃、理学療法士、看護師、ソーシャルワーカーと話し合う機会をもつことができた。
現状では、左右の腸骨や右足の大腿骨骨頭に負荷をかけないためもあり、
起き上がりや端坐位(ベッドの端に座る)をすることもできない状態にあった。
このままの状態が続くと、在宅での生活はできるかどうか・・・・。

放射線治療を終え、ナルサス錠2mg(がん疼痛治療薬)が投薬され、
春男さんは痛みの最高を10としたら、いまは痛みは1の状態で、体調はいい、と話された。
理学療法士に最低限 ベッドから立ち上がり、立位保持ができ
立位の状態から車いすへの移乗、車いすからベッドへの移乗ができることを目標としてお願いした。

1週間後に春男さんと理学療法士に面会。
担当の理学療法士から嬉しい報告を聞くことができた。
見守りにより4点杖歩行が10m程度できるようになったこと
右手でベッド柵につかまり起き上がりができる(時間はかかるが)
端坐位から立ち上がり(疲れるとできないときもある、タイミングによりできる、できないときがある)
立位保持から車いすやベッドに乗り移りができる

移乗動作をクリアしたことで、何とか在宅に帰ることができるまでになった。

しかし入院前のときは、左手足の麻痺がありながらも、オーブンからおかず皿を取り出し、テーブルまで持っていくことができた。
いまの状態では、それを望むことは無理なことであった。

ではどうするか・・・・。
悩み考えた結果、4人掛けのテーブルを設置し、テーブルの上にオーブンを置けば
座ったままでオーブンからおかず皿の出し入れができる。
宅配の食材の利用とヘルパーの調理、後片づけの支援を得ることで食事はできるのでは・・・・。
やってみないと分からない(無責任な言葉に映るが、やりながら考えていく)

トイレが一番悩みであり心配であった。
自宅ではいまの歩行レベルでは一人で歩いていくのは転倒リスクが「大」であった。
本人は「できる」と過大評価のところがあった。一人ではいかないことを何度も何度も念を押した。
ではどうするか。

自宅では、夜間は紙おむつ(テープ式)、昼間は紙パンツの着用となった。
デイサービスでは介護員が付き添いトイレで用足しを行う。
お風呂は、自宅の浴室に手すりを設置しシャワー浴を行う(ヘルパー 身体介護、浴室には暖房設備あり)。
通院、入退院のときは車いすごと乗り降りできる介護タクシーを利用。

そうした内容をケアプランに入れ
退院6日前に病院でケースカンファレンスを持った(病棟看護師、担当理学療法士、医療ソーシャルワーカー)。
医療ソーシャルワーカーにお願いし介護サービスを提供される
居宅サービス事業所も出席できるよう段取りを行った。

※訪問リハビリ;作業療法士、訪問介護(生活援助、身体介護、通院等乗降介助)、地域密着型通所介護、福祉用具貸与、住宅改修、紙おむつ受給申請
介護保険以外のサービスは食材の配達(食材宅配業者)、お姉さん(通院付き添い、安否確認)

訪問介護は 8時から9時 毎日利用 排せつ支援、調理、後片付け
      12時から12時40分 調理、後片付け(9月のみ、10月はなし)
      17時から18時 毎日利用 排せつ支援、調理、後片付け、掃除、洗濯
訪問リハビリ 20分×2回/週
地域密着型通所介護(デイサービス) 週3回
福祉用具貸与 特殊寝台 特殊寝台付属品(サイドレール、マット、介助バー) 車いす 車いす付属品(クッション) スロープ
住宅改修 トイレと浴室内の手すり

9月1日付けで要介護認定区分変更申請を行い(要介護3にある)、
今日介護保険係担当者から電話を頂き、1次判定では「要介護4」の結果がでた
ケアプランは「要介護4」で策定した。
区分支給限度額を超え、金額にして自己負担額(10割)は4万円を超えているが
介護保険高額介護サービス費の申請を行い自己負担の軽減を図っていきたい。

肝心の本人 春男さんは家に帰るにあたり
どう思っているのか、は ➌に書いていきたい。
退院は4日後である。








”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❶

2020-09-11 03:25:08 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

“不在家主” 桜の葉は色づき秋の訪れを感じる


1670 ”在宅で生活するのは難しいのでは・・・" ❶

認定調査員(嘱託職員)は、認定調査(要介護認定区分変更)を終えたときに
実姉(別居)に「彼は在宅で生活するのは難しいのでは・・・・」、と話した。
不安になった姉は私のところに電話をかけてきた。

不用意な言葉をお姉さん(75歳)に話をしたものだ、と某認定調査員の言動に怒りを覚えた。
退院が決まり、明日病院でケースカンファレンスを予定していて
そのカンファレンスに春男さんが利用している介護保険のサービス業者も出席する。
病院スタッフと合同で、退院後のひとり暮らしをどう支えていくのか
検討している最中に、不用意にも認定調査員の言葉は実姉を不安になり動揺させた。

春男さん(71歳、要介護3)は、一昨年の正月に脳梗塞を患い左上下肢麻痺となった。
左足の麻痺は強く、短下肢装具を着け4点杖でどうにか歩行できるまでになった。
週に1回40分の訪問リハビリ、小規模デイサービス週に3回
生活援助(掃除、洗濯、買い物、調理)は週に6回
福祉用具貸与(特殊寝台、車いす、手すり)と住宅改修(手すりの設置と玄関から道路まで舗装にする)
通院は4週に1回 姉が車に乗せ付き添い。月1,2回見守りに訪問
村の週1回ゴミ収集を通し安否確認、救急通報システムの設置。
ケアマネジャー 月に3、4回の在宅訪問。
上記の介護サービスを使うことにより、ひとり暮らしをしてきた。

令和2年春頃、小規模デイの管理者は春男さんの躰の異変に気づき、ケアマネジャーに報告してきた。
その異変というのは左首のところが腫れ、瘤のようなしこりが感じ、左顎も腫れていた。
耳鼻科受診にするよう話をした。

春男さんは「歯が腫れたのでは・・・」ということで歯科受診をされたら
地元の総合病院耳鼻科に紹介され、その日のうちに受診した。
左首はリンパ腫(腺癌)と診断され、その他に左下葉肺癌も見つかった。
抗がん剤治療を毎月1回受けながら療養していた。

今年の7月下旬に入り右足大腿部や股関節の痛みを訴え
立ち上がりに時間がかかり、立位も不安定であった。
自宅で立ち上がり、夕方カーテンを閉めたときにバランスを崩し尻もちをついた(転倒)が
骨折に至らず胸をなでおろしたことがあった。
このときには骨転移の症状があった

小規模デイの管理者からも今治療を受けている呼吸器外科の医師に報告をされた方がいいのでは、と話があった。

《続く》