自己流で始めた弾き歌いスタイルもすっかり定着してきて、
最近では唄の方が目立ってる感もあるのですが、
私はやっぱり三味線弾きです。
唄も大好きだけど、
三味線あっての唄だと思います。
だから、例えば、長唄をやるなら、
唄じゃなく三味線を選ぶだろう。
いや、やらないけど。
七月の華蓮の会では、三味線がすごく良くて、
楽器と自分が一体化した感じで、
撥が引っかかるとか、ツボが狂うとか、
一切の不安がなかった。
元々、津軽弾きなんだから手が回るのは当たり前なんだけど、
久しぶりに“三味線弾き”の面目躍如、な気分でした。
最近では唄の方が目立ってる感もあるのですが、
私はやっぱり三味線弾きです。
唄も大好きだけど、
三味線あっての唄だと思います。
だから、例えば、長唄をやるなら、
唄じゃなく三味線を選ぶだろう。
いや、やらないけど。
七月の華蓮の会では、三味線がすごく良くて、
楽器と自分が一体化した感じで、
撥が引っかかるとか、ツボが狂うとか、
一切の不安がなかった。
元々、津軽弾きなんだから手が回るのは当たり前なんだけど、
久しぶりに“三味線弾き”の面目躍如、な気分でした。
これまたよく言われます。
言われるのが鬱陶しいので、
あまり曲弾きをやりたくないとか思ったりしますが、
そういう時には、
私は竹山流の叩かない三味線をやってますので
と、にっこり笑顔でご説明するわけです。
それでも昔は気にしてた。
お客さんを満足させられないのが悔しいとか、
叩き以外の良さを伝えられない歯がゆさとか、
どうしたら、自分もお客さんも気持ちいい演奏ができるのか、
葛藤してた。
今は、確信を持って、
私は叩き三味線はやりません、と言えるし、
津軽三味線の良さは叩きじゃない、と言い切れる。
これは竹山先生のワークショップで得た確信です。
だから、最近はこんなこと言われても、
へっちゃらで流しちゃいます。
言われるのが鬱陶しいので、
あまり曲弾きをやりたくないとか思ったりしますが、
そういう時には、
私は竹山流の叩かない三味線をやってますので
と、にっこり笑顔でご説明するわけです。
それでも昔は気にしてた。
お客さんを満足させられないのが悔しいとか、
叩き以外の良さを伝えられない歯がゆさとか、
どうしたら、自分もお客さんも気持ちいい演奏ができるのか、
葛藤してた。
今は、確信を持って、
私は叩き三味線はやりません、と言えるし、
津軽三味線の良さは叩きじゃない、と言い切れる。
これは竹山先生のワークショップで得た確信です。
だから、最近はこんなこと言われても、
へっちゃらで流しちゃいます。