中山道板橋宿の上宿の先から、
分れて赤羽に向かう道にある庚申塔が二基、
今も残っている。
(小豆沢2丁目の庚申塔=青面金剛)
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庚申塔は平安時代に貴族の間で信仰された道教に由来するものらしい。
そのいわれは、庚申の日の夜、眠っている間に、
体内に居るサンシと言う虫が、体内から抜け出して天帝に
「その人の悪行を告げる」と信じられていた。
天帝はそれを聞き人の命の長さを決めるという。
それで庚申の日は、
サンシと言う虫が体内から抜け出ないように、
眠らず一夜を過ごした、と言う。
この信仰が、江戸時代に庶民にまで広がり、
庚申の日には、徹夜で眠らぬように、飲食物を持ち寄って、
一夜を明かした。
その庚申の日であるが、
庚申とは、「庚」は十干のの七番目、
「申」は十二支のサルを表し、
この組み合わせで日にちを表していた。
十二支は子、丑、寅、・・・でよくご存じですが、
十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸 となり、
この七番目にある。
明治時代の小学校の通信簿は、甲・乙・丙・丁で表していた。
母の通信簿は「甲」ばかりで、一科目体操が「丙」であった。
ボクの知っている範囲では、
昭和になって通信簿は、優・良・可・不可(落第)
それが戦後になって、5・4・3・2・1、
1があったかどうか覚えていない。
話を戻します。
十二支で表示した建物で一番有名なのは甲子園、
甲子の組み合わせの年に出来たので甲子園と言う。
本当の名は阪神球場(?)らしい。
また話が反れました。
十干の甲子から始まって日にちを表すと、
次の甲子の日まで一回りするには、
60日必要となります。
同じことで庚申の日は60日に一回やってきます。
二か月に一回徹夜することがはやり出して、
そのうちに集まって夜更かしして、
夜明けまで歌ったり踊ったりしました。
そのうちに目標となるものを作ったのが、
庚申塔で、庚申の日にはこの塔の許に集まり、
一夜を明かしました。
その庚申塔が各村にでき、
各街道沿いにでき道標となりました。
だから庚申塔の右わきには、
「ひがし あかばねみち」とか「にし うきまみち」とか、
左脇には庚申塔を作った年号が入っています。
正面の金剛像が「青面金剛」は仏教で、
神道の場合は「猿田彦神」が彫刻されている。
そんな話が隠されていることを、
ここで知って良い勉強をしました。
知らなかったことさえ、知らなかったことを
知ることが勉強です。