楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

十五歳の春 (拝啓 ~十五の君へ~)

2024年09月28日 04時21分37秒 | つれづれなるままに考えること
今は二十六歳になり、
一人前の社会人になった孫息子が、
わずかな期間で、
高度な知識を得ていることに、驚いた。

日経ビジネスの記事で、
その孫の仕事にかかわる記事が有ったので、
メールで送ってその感想を聞いたのです。
ボクが知らなかった言葉を自分のものにしていました。

孫息子の将来に期待が掛かりますが、
そこまでボクが見届けることが出来ないかも知れないのです。


以下は、その孫が、十五歳の時の話で、
このブログに掲載するのは二度目です。


十五歳の孫が遊びに来た。
お昼に御馳走したステーキを頬張って、
美味しい美味しいと言って食べた。
これ位、美味しそうに食べてくれると、
ごちそうした甲斐がある。

ボクは年齢でカロリーの高いものは食べるのを遠慮している。
その所為か、自分中心に食べ物を選ぶから、
何時も食べるものがあっさりしていて、
孫には不人気であったに違いない。
自分のことだけ考えないで相手の立場も考えないといけないと、
つくづく思い知らされた。


十五歳の孫を見て、♪手紙~拝啓十五の君へ♪の歌と、
同じ年だったころの自分を思い出した。

アンジェラ・アキの歌、♪手紙~拝啓十五の君へ♪の中で、

「自分とは何で、どこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる。
荒れた青春の海は厳しいけれど、
明日の岸辺へと、夢の舟と進め・・・(後略)」

アンジェラ・アキ 『手紙~拝啓 十五の君へ~』

ずいぶん昔の話であるが、
これは孫の話ではなく、
ボクがこの歌詞のように十五歳の春3月、
自分はいったい何で、この一生をどう生きたらよいのか、
自問自答した時期がある。
中学三年を卒業した春休みの時のことである。

考えに考え尽くして、本を読みました。

「青春に読むべき100冊」の本を50冊近く読んで、
(人生は空しい)ことを悟った。

人間とは、「智恵、意志、感情を持った動物である。」と教わったが、
これ以上明快な解釈をボクは知らない。

そしてその構成は、感情がほとんど90%を占め、
残り10%が知恵と意志であると教えられた。
つまり水面に出た氷山の10%が知恵と意志であり、
海面下にある殆どの氷の塊が感情である、と言う。

人は生まれてきて、多種多様な生き方をし、死んでいく。
つまり、「生まれて死ぬ」ただ、それだけだ。

問題は、生まれて「何かをして」死ぬ、の「何か」だ。
この「何か」が解らない。
考え考え、結局「何か」を求めて何十年も生きて来てしまった。

結婚し子供を育て、生きて行くのに「一所懸命」であった。
もうこれ以上自分の能力ではどうにもできないほど、
何をするにも「一所懸命」であった。

思えばこの「一所懸命」が、
その「何か」であることに気が付いた。

自分の一生はこれで良かったのか、
日本人はどう思っているのか、
外国の人たちはどのように思っているのか、

そして今、芭蕉の歩いた道程(みちのり)を歩き進んでみて、
芭蕉はどのように思っていたのか、訪ねている。

ボクの人生は、あと五年残っているだろうか、
十年残っているだろうか、
こればかりは誰にも解らない。

芭蕉ではないが、

・旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡り

そんな具合に、一生をかけ巡ってみたいものだ。
孫のステーキの食べっぷりを見ながら、そう考えた。

それが人生だ!!

そして、このブログタイトルの

        「楽しんでこそ人生!」

                の意味は生きてくる。

一所懸命に今を生きてこその人生だ!

この孫の将来に期待したい!




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季節感ー秋のはじまり?

2024年09月05日 05時03分07秒 | つれづれなるままに考えること
今日、買い物に出かけた。

元は荒川でしたが、洪水が多いので、
人工で川を作って隅田川にした。
元の荒川は今は新河岸川に名前を変えた。
その川を渡る。

小豆沢水上バス公園から見たその橋。

(橋)

この写真では分かり難いが地上に落ち葉が散り始めている。

秋の始まり?これでは秋は感じられそうもない。

秋を感じさせる写真。
視線を変えただけで、こんなにも変わる。

(落ち葉がいっぱいの公園)


写真が変わるだけで、もう秋だと感じる。

気温は32度と夏の暑さだというのに。

秋の花コスモスが真っ盛りです。

植物は季節をよく知っていますね。

(黄花コスモス)

この分では、9月どころか10月も暑い日が続くでしょうか?

そして暖冬の冬を迎えることになる。

オーストラリアではホワイトクリスマスは、
理解できないだろうと笑ったが、
日本でも子供たちは、ホワイトクリスマスが分からなくなる時が、
来るかもしれない。

な~んて言って居るが、今年は厳寒で、
本当に苦しみました、なんて、
来年になったら笑い話ができるかもしれない。



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米不足

2024年09月03日 04時44分04秒 | つれづれなるままに考えること
一月ほど前に、散歩の帰り道で、
牛乳を買ってきてほしいと言われ、
帰り道で開店早々スーパーに寄ったら、

開店を待ちわびていた人たち十数人が、
駆け足で店内に入ったので、

ーなんだろうーと首を傾げていたら、
駆け込んだ一人が、米袋5kgを抱えてレジに並んだ。
他の数人も米袋を抱えている。

いつものコメ売りの棚の前に、
「おひとり様一袋でお願いします」と張り紙があった。

ボクは米に用はなく牛乳に用があったので、
牛乳を買って帰り、

このコメの話をすると、カミさん曰く、
「お米が品薄になっているの」という。

その後で、TVなどでしきり
にお米の品不足を放映する。

その内に農林水産大臣までも出てきて、
「今、品薄ですが、新米が出てきますから、
ご心配なく」と
品不足でも心配ないよ、と言っている。

これは「足りません」を宣伝しているようなもので、
ますます。スーパーの米棚には米が空っぽの状態が続く。

我が家のおコメ事情を聴くと、
「まだ一週間ほどあるから」といたって暢気なもの。

それから一週間ほど後、
下の写真のお米が台所に有ったので、
「お米無くて、これ買って来たの?」



と聞いたら、
保存食として、置いていたが、
「期限切れになりそうで、今夜食べようかと、
出してあるだけ」の返事。

考えれば、1973年ころ第一次オイルショックで、
トイレットペーパーからお米まで狂乱物価で値上がりすると言って、
値上がりを心配して、品物が無くなった。
その時、お米が店頭から無くなった。

その時の体験があるからか、

「そのうち出るわよ」と
カミさんはいたって暢気なもの・・・

考えて見れば、子供たちはいないし、
パンでもそばでもパスタでも、
口に入るものなら何でも良い亭主だけだから、
気にならないらしい。

保存食のクッキー、おにぎり、
水だけ入れればふっくらするご飯もあるし、
さらに一週間ほど心配はいらない。







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サルスベリで思うことーお手洗いの花

2024年08月29日 04時52分05秒 | つれづれなるままに考えること
しばらく(一週間ほど)無かったトイレの花。

咲いた花が手に入らなかったのだろうか、

今日はサルスベリの花が活けてある。

百日紅(さるすべり)の花。


せっかく花を活けたのに、一輪ポロっと落ちているが、
これが えもいわれぬ風情(ふぜい)があって、
面白い。

(サルスベリ)


パソコンで「さるすべり」と入力しても、
「百日紅」と変換される。

話が変わる。

孫娘の誕生花がサルスベリで高校生時代に、
「あなた猿よ」って友人に揶揄われた。

そうジジイに悲しげに告げたので、

「サルスベリをひゃくにちべに(百日紅)と書くのを知っている?
百日も赤く咲いているから百日紅と書くのだよ」

「ふ~ん・・・」

そう聞いて顔に生気が戻った事があった。

「その木は幹の皮がむけてつるつるのように見えるが、
猿どころか、ボクが木登りをしても、
さっと枝の高い所へ行けるよ、
幹の皮がむけて、見た目につるつるで滑るように見えるが、
触ってみると、実はしっとりとしていて、
掴みやすい木で、滑って落ちることは聞いたことが無い。」

「猿でも滑るように見えるから、サルスベリと言うのさ。
(弘法も筆の誤り)みたいなもんで、
弘法太子が字を間違うわけはないのさ。

千日紅と言う花もあるのは知っている?
百日紅がサルスベリと言うのなら、
千日紅はゴリラスベリとでもいうのかな。」

そう話してやったら元気になって帰って行った。

そんなことを思い出した八月二十九日(本日)の誕生花だ。

その孫娘、
身長180cmのにこやかな青年と結婚して、
もう二年になる。

便りのない所を見ると、幸せな生活をしているに違いない。


(街路樹の美しいピンクのサルスベリの花)

ボクの朝の散歩道だ。

(赤い花のサルスベリ)


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ユリの花

2024年08月24日 05時28分35秒 | つれづれなるままに考えること
鉄砲ユリでしょうか、

野に咲くユリの花です。

(昨日撮った写真1)



(二日目に撮った写真2)



どこか違いませんか?

そうです、昨日開いていた花が無くなっていたのです。
ユリの幹は全部で四本あったのですが、
二本もぎ取られているのです。

多くの人が愛でる公園の端っこに咲いた花を
盗っていく人がいるのです。
自分一人で楽しんで、それが楽しいでしょうか?

お年寄り?
中年のおばさん?
若者?

いずれにしろ、盗るときはキット 周りをそっと 見渡して、
人がいないのを確かめてから盗るのでしょうね。
意地汚い、
恥知らずですね。

世界へ出たら、
日本人です、なんて言えませんね!?

同じ公園の別の端っこに咲いたユリの花。
これは道路に面して咲いているのですが・・・



二本ありましたが、
明日もあるのでしょうね!!

残念です!!
翌日には根こそぎ無くなっていました。

情けない!?!



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