楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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10分前の精神と2秒待つ心(旧中山道番外記16)

2006年01月21日 09時46分00秒 | つれづれなるままに考えること

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(10分前の精神と2秒待つ心)

2005年最後の定期健診で病院へ行った。
結果は問題なしでほっとしたが、予約時間に診察室前の待合室に
どなたもいらっしゃらなくて不思議に思った。
いつもなら4~5人の患者が必ず待合室にいるのに、その日に限って居なかった。
10分前に到着するのが、ボクのモットーだ。

ボクは人と約束すると必ず10分前に到着するように出かける。
これをボクは(10分前の精神)と呼んでいる。
人は生まれると両親を持つが、親によって豊かであったり、
貧しかったりする。しかし、環境こそ違え死ぬまでに持つ時間は、誰も同じでその質に差はない。
つまり不公平のない時間を誰もが持っている。その時間をどれだけ有効に使うかによって、
人の一生は変ってくる。

時は金なりのことわざが示すように、時間は大切にしたい。

ボクのせいで他人に無駄な時間を浪費させるなどもってのほかで、
決してそんなことがあってはならないと思っている。だから、人と約束をしたら、
必ず10分前に到着するよう心がける。途中、多少のハプニングがあっても,
この10分間が救ってくれるし、10分を経過しそうなときは、
先方に連絡して遅れる旨を伝えるようにしているが、遅れる時間はそんなに多くなく
最大でも15分以内である。それ以上遅れそうになるときは、
約束を反故にしてもらい、またの機会に約束をするようにしている。

15才からのこの<10分前の精神>を心がけている。

一方で、時間を浪費することも大切である。
話していることに矛盾があるように思われるかもしれないが、
晴れ渡った青空のもと、広がる田畑の真ん中で何も考えず、
「ボー」と過ごす時間も必要で、これをボクはリフレッシュの時間と呼んでいる。
そして気分が爽快になったら、生きた餌に狙いをつけるライオンのように、
一秒を惜しんで猛然と行動に移す。

2秒待つ心とは相反する。

ボクは大学を卒業以来、毎日車を運転しない日はない。現役時代は
朝晩、車で通勤したし、引退後はカミさんの買い物のお供でほとんど毎日
タクシー役を演じて運転している。
毎日運転するからだけでなく交通安全週間にもなると、
交通安全の講習会に年に一回は必ず出席している。
それはボクの知らないうちに法規が変わって、
知らぬ間に法を犯すような運転をしないように思うからである。

ある時、この講習会で、不注意による事故が多発している話があった。
その折、事故を減らすには、すべての運転者が二秒待つ心のゆとりを持てば、
ほとんどの事故を避けることが出来るだろう、と話された。
ほぼ五十年、何回か事故も起こした経験から、
二秒待つゆとりが事故をなくすのは確かなことと思い、以後実践している。

たかだか二秒であるが、車を運転する者にとっては、これは一大事である。
発進するときの注意、右折左折、一時ストップ、進路変更、人を下車させる時、バックする時、
そのほか注意を要するときに二秒の余裕を持つ。
最初は、一、二と勘定をしていたが、慣れれば一呼吸置く感じで終わる。
自動車は目的地まで、どんなに急いでも、通常の走り方で掛かる時間を
短縮できるのは一割以内といわれている。
一時間要する道のりは、どんなに急いでも6分短縮するのは難しい。
ということは、あらゆる場面で、
二秒待つ心を持っても6分以上余分に掛からないのである。
それで事故を回避できれば、これほど便利な乗り物はない。

カー・レーサーで有名な方の助手席に乗せていただいたことがある。
レーシング・サーキットでは、時速250kmを超えるスピードで運転して
いるので、きっと猛スピードで街中をサーカスの曲芸師のように
運転をするのだろうと予想していたが、案に相違して、
非常に慎重な運転であることに驚いた。

「私は運転を業としているので、公の場所では模範運転をしなければならないのです。
もし法規に違反すれば、罰金も普通の方の倍も徴収されます。
なによりも、仕事が出来なくなります。」と語られた。
肝に銘ずべきである。

後日、この方が運転する自動車にサーキットで同乗する機会を得た。
猛スピードで曲がりくねったサーキットを走ると、快適で格好よいと
テレビを見ているとそう思うが、快適なんてものではない。
恐ろしくて、顔面蒼白、危うく失禁するところであった。

話を元に戻そう。2秒待つ心を持てば、事故を起こす心配もなく、
事故処理に要する膨大な時間がなくなり、
結果として、大切な時間に余裕が出来るものである。
(10分前の精神と二秒待つ心)は、良く考えれば、
時間を安心して有効に使うことができる手段であることを、
悟る良い標語である。

時間を惜しんで、一秒を争ってはならない。
時間を大切にするには、二秒のゆとりを持ちたいものである。



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