楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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日本人の宗教知識(3)

2012年03月03日 10時14分46秒 | つれづれなるままに考えること
法然上人は「南無阿弥陀仏」を唱えれば、
 極楽往生を遂げる(天国へ行ける)ことが出来る、
と説いた。

そこへ親鸞上人が現れ、
「南無阿弥陀仏」を唱えなくても、
唱えようという気持ちさえ持てば極楽へ行ける。
 つまり何もしなくても極楽へ行ける、
ということである。

 親鸞が唱えた
(南無阿弥陀仏を唱えようとする気持ちさえ持てば、
 極楽へ行ける)
を聞いた民衆は、なだれをうって浄土真宗に入った。
 
この姪の孫も、今では二児の母となって、
チイママには曾孫であるが、喜んでいるに違いない。


親鸞の説法を収録したと言う「嘆異抄」は、
弟子の蓮如上人が書いたものであるが、
 その「嘆異抄」によれば、

(「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」
世の人常に問いて曰く、
「悪人なおもて往生を遂ぐ、いわんや善人をや」)とある。

「善人でさえ極楽へ行けるのに、悪人が極楽へいけない事があるものか」
と親鸞上人は説かれた。
 これを聞いた民衆が不思議に思って、
親鸞に質問する。
「悪人でさえ極楽に行けるのに、善人が極楽へ行けない事があるものか」
の間違いではありませんかと。

親鸞は答えて言う。
 (悪人はもともと悪いことをしたのだから、
極楽へはいけないものと思い込んでいる。
だから善人より余計に極楽へ行かせて欲しいと、
阿弥陀様にお願いをする。
阿弥陀様はお慈悲を持って悪人を極楽へいざなう。)

つまり悪人だろうが、善人だろうが、極楽へ行きたいために、
阿弥陀様に「極楽へ行かせて頂戴」とお願いするから、
 誰も彼も極楽浄土へ行けるのです。
と親鸞は説いた。


人間は誰だって極楽往生したい(天国へ行きたい)と思っている。
 「どうぞ極楽へ行かせてください」と
「南無阿弥陀仏」を唱える。
これは阿弥陀様へのお願いである。これは法然上人の説。

 「南無阿弥陀仏を唱えようとする気持ちを持てば極楽へ行ける」
と親鸞は言う。

つまり人間は誰でも極楽へ行きたいと思っている、
 ということは
「南無阿弥陀仏」を唱えようと言う気持ちを持っている。ことになる。

親鸞にとって、いや民衆にとって「南無阿弥陀仏」は
「阿弥陀様、極楽へ行かせて戴けるそうで、有難うございます。」
これは「お礼」であって「お願い」でない。
 これが親鸞の説。

それで民衆はどっと親鸞に帰依した。

人は何もしなくても、誰もが極楽へ行ける。
ーーー日本人は幸せである、誰もが何もしなくても、
何も知らなくても、極楽往生出来る(天国へ行ける)のだから。
そんなことで日本人は自分たちの宗教のことを、
殆んど何も知らない。

甥のお嫁さんが実家の父親を亡くした。
実家に帰って法要を営んだが、
仏教が何宗か知らないので、
 自分の夫の親の宗教ー正確には、
夫の父親が死んだときの宗派(浄土真宗)で、
 法要を済ませたと、
自慢げに話した。
本当は何宗かも知らないと言うことだった。
事ほど左様に、日本人は宗教に疎い。

 さて、後日、忘れた頃に、アメリカの姪の娘から、お礼の手紙が来た。

「hideおじさんに教えてもらったことをレポートにして提出したら、
95点でOK貰いました」と。

 ところで100点には-5点ですが、
どうしてですか?と聞くと、
「英語力」ですと答が返ってきた。
姪の娘のつたない英語力は、
多分ボクのつたない分かり難い説明にあったに違いない。

 (おわり)

コメント (4)
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