(日本橋魚市場発祥の地の乙姫像)
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(昔の魚市場の様子、説明板の写真より)
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(日本橋 3)
日本橋東詰めに「日本橋魚市場発祥の地」の石碑と乙姫像があることを、
前回紹介した。
東京都中央区教育委員会の説明板に、
当時の鮮魚を満載した船が接岸した様子が写真に残っているし、
当時の様子が説明されているのでその要約を紹介したい。
(日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、
幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする、
「魚河岸」が在りました。
ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが、
将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。
この魚市は日本橋川沿いの魚河岸中心として、
今の室町一丁目、本町一丁目一帯の広い範囲で開かれ大変な賑わいを見せていました。
この魚河岸へは近海諸地方から鮮魚を満載した舟が数多く集まり、
江戸っ子たちの威勢の良い取引が行われ、
一日に千両の取引があったと言われます。-中略。
関東大震災を期に、現在の築地の魚河岸へ移るまで、魚河岸は続けられました。
魚河岸の人たちが、昭和29年(1954)ここに石碑を建立しました。)とある。
道路を東へ進むと、左側は老舗デパート「三越」のライオン像が、
入り口でお客様を出迎えており、
右手には、日本橋の老舗が並んでいる。
鰹節やつゆのもとの「にんべん」とか、
山本山の海苔店、カステラの文明堂などが目に付く。
(三越のライオン)
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(老舗にんべん)
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(山本山の海苔店)
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(文明堂)
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少し歩くと右手に、「むろまち小路」の標柱があり、
一歩はいると、近所のビル街に勤めるサラリーマンの仕事帰りの一杯飲み屋や昼食街がある。
東京都の中心街という場所柄か、表通りの飲食店では、
昼食代は千円以下では難しそうである。
その先にCOREDO室町があり、レストランが中に入っているが、
表通りにあるメニューには、千円以下の昼食は無さそうである。
(COREDO室町)
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しかし道路を一歩はいると、信じられない価格の看板に驚かされる。
「六文そば」のお店、(そばうどん220円)の看板が堂々と建っている。
「六文」は現代の価格で、220円なのだろうか、よく分からないが、
そばうどんにしても220円では安すぎなる。
確かに本気になれば220円でも採算は取れるであろうが、
商売にするのであれば、どう考えても500円以下は考えられない。
あるいは江戸っ子の心意気が売り物なのであろうか。
そのほかいっぱい飲み屋が目に付く。
(むろまち小路の看板)
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(六文そばの220円の看板)
(そのほかの店)
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やがて交差点「室町三丁目南」信号を右折する。
これが旧日光・奥州道中である。
しばらくすると、「昭和通り」にぶつかり、上下が道路になっていて、
横断道路が無く、信号もなく、向こう側に渡るには、
左右どちらかに廻り、信号で渡るより仕方が無いと、
思案して見回すと、右側に地下道の入り口が見えた。
地下横断道路が出来ているようである。
(室町三丁目の信号)
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(昭和通りの上下の道路)
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地下へ階段を降りると、地下道は綺麗なタイル張りになっているが、
人があまり通る事がないらしく、
片隅に一列にダンボール箱が順序良く一定の間隔をあけて並んでいる。
考えてみればこの寒さの中、ホームレスは何処にねぐらを置いているのか、
時折気になったが、この地下道が彼らのねぐらになっていた。
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(地下横断歩道の入り口)
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(地下道のホームレスのねぐら?)
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地下道を抜けると、周りはビル群に囲まれており、やがて大通りと交差する。
左に行けば小伝馬町の交差点となる。
この信号を超えて進むと右側に有料駐車場があって、
「旧日光街道の案内」が建っている。
日光・奥州道中の案内書によれば、もとはホテルのあった場所である。
懸命にホテルを探したのに、見当たらないわけだ。
取り壊されて今は有料駐車場になっている。
「旧日光街道本通り」
標識の前面には、そのように刻んである。
旧日光街道の案内があるということは、
ここが元日光街道であった証拠である。
(地下道を抜けるとビル群に囲まれる)
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(左に行けば小伝馬町の信号)
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(駐車場が見える)
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「旧日光街道本通り」
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(昔の魚市場の様子、説明板の写真より)
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(日本橋 3)
日本橋東詰めに「日本橋魚市場発祥の地」の石碑と乙姫像があることを、
前回紹介した。
東京都中央区教育委員会の説明板に、
当時の鮮魚を満載した船が接岸した様子が写真に残っているし、
当時の様子が説明されているのでその要約を紹介したい。
(日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、
幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする、
「魚河岸」が在りました。
ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが、
将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。
この魚市は日本橋川沿いの魚河岸中心として、
今の室町一丁目、本町一丁目一帯の広い範囲で開かれ大変な賑わいを見せていました。
この魚河岸へは近海諸地方から鮮魚を満載した舟が数多く集まり、
江戸っ子たちの威勢の良い取引が行われ、
一日に千両の取引があったと言われます。-中略。
関東大震災を期に、現在の築地の魚河岸へ移るまで、魚河岸は続けられました。
魚河岸の人たちが、昭和29年(1954)ここに石碑を建立しました。)とある。
道路を東へ進むと、左側は老舗デパート「三越」のライオン像が、
入り口でお客様を出迎えており、
右手には、日本橋の老舗が並んでいる。
鰹節やつゆのもとの「にんべん」とか、
山本山の海苔店、カステラの文明堂などが目に付く。
(三越のライオン)
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(老舗にんべん)
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(山本山の海苔店)
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(文明堂)
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少し歩くと右手に、「むろまち小路」の標柱があり、
一歩はいると、近所のビル街に勤めるサラリーマンの仕事帰りの一杯飲み屋や昼食街がある。
東京都の中心街という場所柄か、表通りの飲食店では、
昼食代は千円以下では難しそうである。
その先にCOREDO室町があり、レストランが中に入っているが、
表通りにあるメニューには、千円以下の昼食は無さそうである。
(COREDO室町)
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しかし道路を一歩はいると、信じられない価格の看板に驚かされる。
「六文そば」のお店、(そばうどん220円)の看板が堂々と建っている。
「六文」は現代の価格で、220円なのだろうか、よく分からないが、
そばうどんにしても220円では安すぎなる。
確かに本気になれば220円でも採算は取れるであろうが、
商売にするのであれば、どう考えても500円以下は考えられない。
あるいは江戸っ子の心意気が売り物なのであろうか。
そのほかいっぱい飲み屋が目に付く。
(むろまち小路の看板)
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(六文そばの220円の看板)
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(そのほかの店)
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やがて交差点「室町三丁目南」信号を右折する。
これが旧日光・奥州道中である。
しばらくすると、「昭和通り」にぶつかり、上下が道路になっていて、
横断道路が無く、信号もなく、向こう側に渡るには、
左右どちらかに廻り、信号で渡るより仕方が無いと、
思案して見回すと、右側に地下道の入り口が見えた。
地下横断道路が出来ているようである。
(室町三丁目の信号)
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(昭和通りの上下の道路)
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地下へ階段を降りると、地下道は綺麗なタイル張りになっているが、
人があまり通る事がないらしく、
片隅に一列にダンボール箱が順序良く一定の間隔をあけて並んでいる。
考えてみればこの寒さの中、ホームレスは何処にねぐらを置いているのか、
時折気になったが、この地下道が彼らのねぐらになっていた。
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(地下横断歩道の入り口)
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(地下道のホームレスのねぐら?)
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地下道を抜けると、周りはビル群に囲まれており、やがて大通りと交差する。
左に行けば小伝馬町の交差点となる。
この信号を超えて進むと右側に有料駐車場があって、
「旧日光街道の案内」が建っている。
日光・奥州道中の案内書によれば、もとはホテルのあった場所である。
懸命にホテルを探したのに、見当たらないわけだ。
取り壊されて今は有料駐車場になっている。
「旧日光街道本通り」
標識の前面には、そのように刻んである。
旧日光街道の案内があるということは、
ここが元日光街道であった証拠である。
(地下道を抜けるとビル群に囲まれる)
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(左に行けば小伝馬町の信号)
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(駐車場が見える)
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「旧日光街道本通り」
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