楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

スタート前に(日光・奥州道中ひとり歩る記1)

2013年04月10日 09時30分39秒 | ひとり歩き旅
(日本橋の信号)


どういう風が吹いて、その気になったのだろうか?
日光・奥州道中を歩いてみようと思い立った。
2014年1月26日のこと。

以前勤めていた会社で、定年になって17年も経つのに、
お祝いを頂戴した。
ボクは会社に余程貢献したらしいと勝手に思っている。
その喜寿のお祝いを、資金の一部にして、歩こうと言うのだ。
なんか、ずいぶん沢山頂戴したようであるが、
少なくも地方に出れば一泊二日ほどの費用に、
都内なら10日ほどの費用に充当できそうである。

(日本橋)

奥州街道は、金売り吉次も、義経も弁慶も歩いた。
芭蕉も歩いたが、芭蕉が憧れる能因法師も、
西行法師も歩いた。

歌人や俳人が歩いたので、斉藤茂吉も歩いた。
奥州街道に沿って、芭蕉の奥の細道があったために、
その後沢山の人たちが、そのあとを追って歩いた。
芭蕉は岩手県の平泉まで行っている。

こんなことを言っているボク本人も、
芭蕉の奥の細道をたどって歩き、
その原形は奥州街道にあるということが判って、
今、歩こうとしている。
奥州街道は一体何処までなのだろうか。

徳川家康が五街道を制定した時には、
奥州道中は、福島県の白河まで、と言う事になっているが、
高野長英が母を訪ねてお別れに行ったのは、
奥州の水沢(今の奥州市水沢区)であることを考えると、
仙台を越えて、岩手に入り、青森の一戸宿から、
北海道の函館奉行所があった函館までを言うのだろうか。

(五街道制定の起点 日本橋)


いずれにせよ、先のことはボクにはわからないし、
千キロ以上もある先のことは、
あとでその場所に着いてからゆっくりと考えよう。
その前に生命が終りになってしまうかもしれない。
その時はその時、芭蕉ではないが、

・旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐり

くらいの境地で行く事にしようと思う。
何処までいけるだろうか。
(日本橋2)

Potora!  NTTグループ運営!