JR中央線 国分寺駅南口を降りると、ご婦人と子供の見事な彫像がある。
彫像は「かがやき」と命名されており、その右手に交番が、
左手に「殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園」への道順の案内がある
(国分寺駅南口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0e/a7522b69082a3e4d499d3ac6e6ad86bf.jpg)
(「かがやき」の彫像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ee/68a04398a4f40a48823444eba2def27d.jpg)
(都立 殿ヶ谷戸庭園の案内柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/46/03ea89a20ddd23f6afe27cd70fdd0f80.jpg)
案内と言っても見れば解る通り、左へまっすぐ行くと、
すぐ右手に「殿ケ谷戸庭園」入り口がある。
入口の先右側には、高札で「国指定名勝 殿ヶ谷戸庭園」とあり、
入場料やら、休園日などが記されている。
うれしいことに(65歳以上70円)となっている。
(国指定名勝 殿ヶ谷戸庭園入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b8/450151ad28df60ddb79f8b1d3a26378c.jpg)
(国指定名勝 都立 殿ヶ谷戸庭園の案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/95/293b987acd9fe7f02dbc18e6e104ff5c.jpg)
入口から見ると通路の奥に、もう一つの案内板があるようだ。
どうやらこれは庭園の案内のようだ。
中へ入るとこの案内板の右に、本来の姿の入口があり、
更に奥へ入ったところに入園料受付がありそうだ。
(庭園の案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/86/d8f2b880421f27ff7c822be77020e851.jpg)
(庭園右手の萱葺きの入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4d/223734de2b005f6b72bae3ef38d5f8b8.jpg)
入園料70円を払って中へ入ると、広い芝生が広がり、
松やモミジ、ケヤキが生い茂って、奥行きがどこまであるかと思われる。
案内に沿って進むと竹で編んだ籠の中へ。
説明では、萩のトンネルとなっているが、
春先で、萩は芽を出し少し伸びているだけ、
秋には生い茂って周りの竹矢来に覆いかぶさり、
赤い可憐な萩の花が咲き乱れると予想される。
(広い芝生地)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/3e/104a977fbc8310c74cb534c4b7810576.jpg)
(広い芝生地2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f2/419bb4090c357c69313bedeb42195d73.jpg)
(芝生地の奥から見た別邸)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/a1/62481d104b3cb8b12f1953dff971a209.jpg)
さて、ここで庭園の持ち主を紹介しなければならない。
今は東京都の庭園になっているが、その前の
(昭和4年(1929)~昭和49年(1974)は、
三菱合資会社の岩崎彦彌太が「国分寺の家」として親しんでいた。
昭和9年(1934)彦彌太は、和洋折衷の木造主屋に建て替え、
庭園建築として紅葉亭を新築し、主屋前面の芝生地と
崖下の湧水を利用した泉地を結んで回遊式庭園を完成させた。)(東京都)
別邸も現在は入場料売り場兼展示室となっている。
(秋になれば萩のトンネル、今は竹矢来、芝生地から見た風景)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e8/8aa2cd93c067e86bc1136e4d98b94c35.jpg)
左手に見える藤棚は、庭園の名物であるが、
まだ咲き始めたばかりである。
長く垂れさがる最盛期の様相が想像できる。
(藤棚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b4/fa235b3082b77f71cfd8d67f62bdd090.jpg)
(咲き誇るフジの花)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/7d/260eaa2a0badccad8bba6c8053cff1f4.jpg)
(咲き誇るフジの花2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/7b/318dd78dcb63a49bb2022ab5262627fc.jpg)
藤棚を過ぎると、順路は下り坂になっており、
いわゆる崖線下(崖が続く下部分)へ降りていく。
竹林が右手に、左手は崖が駆け上がっている。
今ちょうどタケノコが生え揃って伸びているところだ。
(竹林)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a5/3d62a532d0bd280467958911c2204b05.jpg)
(左手は崖が駆け上がっている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/cc/c44e0fa67ad2ff8a855669276f138913.jpg)
竹と崖線の間を進むと池に到達する。
次郎弁天池と名付けられている。
(次郎弁天池)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/e2/fd59d091923db6675ad610133f33d3dc.jpg)
庭園の説明によると、
(この池は、国分寺の崖線から湧き出る清水を集めてできた水溜まりを、
別荘造成時に形の良い池として造られました。
池の水源である湧水は、
古くから「次郎弁天の清水」として信仰された名水で、野川に注いでいる。
ただ残念ながら、今もって、この池の名前の由来、
弁天様奉られてあった場所など不明です。)とある。
池の周囲にはモミジなどの樹木が鬱蒼と茂っている。
弁天池の奥の上部に見える建物が「紅葉亭」です。
また、湧水は紅葉亭の前の崖から、
それと池の左側にある「馬頭観音」の下の崖から、
流れているのが確認できた。
(弁天池2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/76/aea266ca6a8476bf94817f3a49fe6933.jpg)
(弁天池の飛び石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/95/ea327724bb821c938d14adaf5fb43599.jpg)
(紅葉亭)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fc/3fc82551785f86b76462f7f329b957a7.jpg)
(紅葉亭から見た弁天池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f3/911a8fe887e9e1dcbe961cb4e75f6fc5.jpg)
(紅葉亭から見た弁天池2奥に湧水が)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/12/b4d7434251371f3df8947379a4ce54e7.jpg)
(湧水の量の多いこと)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6d/a95fa72a83dc9b37365f754d7d89483b.jpg)
湧水量は平均して毎分約37リットルと言われる。
(馬頭観音の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/2c/e7de8e828ab6ab4ad74715d020fc11bb.jpg)
(馬頭観音碑の下にある湧水地)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3b/06ab4480d9348b77fae8f0380a1ffb18.jpg)
国分寺村に建っていた馬頭観音。
近くの府中宿への助郷で馬が駆り出されることが多く、
そんな関係で馬頭観音の石碑があったと思われる。
湧水の流れ落ちる音がこの弁天池の静寂を引き立て、
座して憩う人が多かった。
紅葉亭で憩う人ともう一度弁天池を眺めて、
国分寺の岩崎別邸からお別れしたいと思います。
(紅葉亭で憩う人たち)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/bb/7cbd0ca27dce7e0519e413fccd1f9b80.jpg)
(弁天池)
彫像は「かがやき」と命名されており、その右手に交番が、
左手に「殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園」への道順の案内がある
(国分寺駅南口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0e/a7522b69082a3e4d499d3ac6e6ad86bf.jpg)
(「かがやき」の彫像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ee/68a04398a4f40a48823444eba2def27d.jpg)
(都立 殿ヶ谷戸庭園の案内柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/46/03ea89a20ddd23f6afe27cd70fdd0f80.jpg)
案内と言っても見れば解る通り、左へまっすぐ行くと、
すぐ右手に「殿ケ谷戸庭園」入り口がある。
入口の先右側には、高札で「国指定名勝 殿ヶ谷戸庭園」とあり、
入場料やら、休園日などが記されている。
うれしいことに(65歳以上70円)となっている。
(国指定名勝 殿ヶ谷戸庭園入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b8/450151ad28df60ddb79f8b1d3a26378c.jpg)
(国指定名勝 都立 殿ヶ谷戸庭園の案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/95/293b987acd9fe7f02dbc18e6e104ff5c.jpg)
入口から見ると通路の奥に、もう一つの案内板があるようだ。
どうやらこれは庭園の案内のようだ。
中へ入るとこの案内板の右に、本来の姿の入口があり、
更に奥へ入ったところに入園料受付がありそうだ。
(庭園の案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/86/d8f2b880421f27ff7c822be77020e851.jpg)
(庭園右手の萱葺きの入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4d/223734de2b005f6b72bae3ef38d5f8b8.jpg)
入園料70円を払って中へ入ると、広い芝生が広がり、
松やモミジ、ケヤキが生い茂って、奥行きがどこまであるかと思われる。
案内に沿って進むと竹で編んだ籠の中へ。
説明では、萩のトンネルとなっているが、
春先で、萩は芽を出し少し伸びているだけ、
秋には生い茂って周りの竹矢来に覆いかぶさり、
赤い可憐な萩の花が咲き乱れると予想される。
(広い芝生地)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/3e/104a977fbc8310c74cb534c4b7810576.jpg)
(広い芝生地2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f2/419bb4090c357c69313bedeb42195d73.jpg)
(芝生地の奥から見た別邸)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/a1/62481d104b3cb8b12f1953dff971a209.jpg)
さて、ここで庭園の持ち主を紹介しなければならない。
今は東京都の庭園になっているが、その前の
(昭和4年(1929)~昭和49年(1974)は、
三菱合資会社の岩崎彦彌太が「国分寺の家」として親しんでいた。
昭和9年(1934)彦彌太は、和洋折衷の木造主屋に建て替え、
庭園建築として紅葉亭を新築し、主屋前面の芝生地と
崖下の湧水を利用した泉地を結んで回遊式庭園を完成させた。)(東京都)
別邸も現在は入場料売り場兼展示室となっている。
(秋になれば萩のトンネル、今は竹矢来、芝生地から見た風景)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e8/8aa2cd93c067e86bc1136e4d98b94c35.jpg)
左手に見える藤棚は、庭園の名物であるが、
まだ咲き始めたばかりである。
長く垂れさがる最盛期の様相が想像できる。
(藤棚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b4/fa235b3082b77f71cfd8d67f62bdd090.jpg)
(咲き誇るフジの花)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/7d/260eaa2a0badccad8bba6c8053cff1f4.jpg)
(咲き誇るフジの花2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/7b/318dd78dcb63a49bb2022ab5262627fc.jpg)
藤棚を過ぎると、順路は下り坂になっており、
いわゆる崖線下(崖が続く下部分)へ降りていく。
竹林が右手に、左手は崖が駆け上がっている。
今ちょうどタケノコが生え揃って伸びているところだ。
(竹林)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a5/3d62a532d0bd280467958911c2204b05.jpg)
(左手は崖が駆け上がっている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/cc/c44e0fa67ad2ff8a855669276f138913.jpg)
竹と崖線の間を進むと池に到達する。
次郎弁天池と名付けられている。
(次郎弁天池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/e2/fd59d091923db6675ad610133f33d3dc.jpg)
庭園の説明によると、
(この池は、国分寺の崖線から湧き出る清水を集めてできた水溜まりを、
別荘造成時に形の良い池として造られました。
池の水源である湧水は、
古くから「次郎弁天の清水」として信仰された名水で、野川に注いでいる。
ただ残念ながら、今もって、この池の名前の由来、
弁天様奉られてあった場所など不明です。)とある。
池の周囲にはモミジなどの樹木が鬱蒼と茂っている。
弁天池の奥の上部に見える建物が「紅葉亭」です。
また、湧水は紅葉亭の前の崖から、
それと池の左側にある「馬頭観音」の下の崖から、
流れているのが確認できた。
(弁天池2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/76/aea266ca6a8476bf94817f3a49fe6933.jpg)
(弁天池の飛び石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/95/ea327724bb821c938d14adaf5fb43599.jpg)
(紅葉亭)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fc/3fc82551785f86b76462f7f329b957a7.jpg)
(紅葉亭から見た弁天池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f3/911a8fe887e9e1dcbe961cb4e75f6fc5.jpg)
(紅葉亭から見た弁天池2奥に湧水が)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/12/b4d7434251371f3df8947379a4ce54e7.jpg)
(湧水の量の多いこと)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6d/a95fa72a83dc9b37365f754d7d89483b.jpg)
湧水量は平均して毎分約37リットルと言われる。
(馬頭観音の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/2c/e7de8e828ab6ab4ad74715d020fc11bb.jpg)
(馬頭観音碑の下にある湧水地)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3b/06ab4480d9348b77fae8f0380a1ffb18.jpg)
国分寺村に建っていた馬頭観音。
近くの府中宿への助郷で馬が駆り出されることが多く、
そんな関係で馬頭観音の石碑があったと思われる。
湧水の流れ落ちる音がこの弁天池の静寂を引き立て、
座して憩う人が多かった。
紅葉亭で憩う人ともう一度弁天池を眺めて、
国分寺の岩崎別邸からお別れしたいと思います。
(紅葉亭で憩う人たち)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/bb/7cbd0ca27dce7e0519e413fccd1f9b80.jpg)
(弁天池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/4a/91ba20cfba4bc59a8981e6ac8b518207.jpg)